- 松永史談会 -

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内務省地方局『感化救済事業講演集・上下』、1909

2014年08月21日 | 断想および雑談
社会福祉は大きく、慈善事業、感化救済事業、社会事業、社会福祉事業などの段階を経て発展してきたが、感化救済事業期の特徴は、貧困や失業などの社会福祉問題を社会的問題と捉えずに、個人の生活態度や性格的な問題と捉えるところにある。したがって、その対応には、道徳や教育的な視点が導入されることが多い。感化とは、ものの考え方や生き方などに影響を与えて、自然にそれを変化させることだったようだ。

高島平三郎
西川光二郎が取り組んだのは社会改革(=革命)を否定し、ここでいう「感化」(高島は「心的革命」)事業の推進だった。
洛陽堂は明治44年9月に良民社編『英雄物語-良民講話-』を出版、その後良民社を立ち上げ雑誌「良民」を山本瀧之助に委ねている。『英雄物語』の序文は山本や当時生活に困っていた山口孤剣(田中英夫は山口執筆だと)・西川光次郎ではなく、良民社の名義での文章であり、やや稚拙な用語法と朴訥な文体なので『かまくら及江の島 』の執筆者でもある河本亀之助自身の執筆だろ。
出獄後の心変わりを西川は『心懐語』という自著の中では、明言は避けているが、多分体制側の人間から懐柔されて堺利彦・荒畑寒村らから袂を別ったのだと思う。

幕末・明治の人の感覚では「未曾及修身、譬猶敗絮質、炫成金色新」(大沼枕山の漢詩「飲酒」・・・『江戸詩人選集・10巻、岩波、1990、223-224頁』)、中身はボロボロの綿入れ状態だが、それを飾り立て金ぴかにみせるような新人類が目立つ。問題は革命ではなく、そういう新人類の意識改革だ。高島の主張もそういう思潮の延長線上に位置づけられようか。

池本によると感化救済事業の主旨は、天皇の慈恵を地域社会での共同のあり方が依拠すべき模範としつつ、国民が共同で社会防衛に努め、国家利益に叶うように自営の道を講ずることとなる。感化救済事業を提唱することによって、救済事業が従来の「一部の救恤問題」という理解から「自営の方法」すなわち防貧へと、その範囲が拡大されて把握されるようになったといえよう。それは、恩賜としての窮民救済を受ける民であることから、地域社会の構成員として、恩賜を受けず、国家に負担をかけない「良民」すなわち一般勤労国民となることを積極的に奨励していく方向を目指すものといえる。この自営の道を講ずることが、地方の隣保相扶の堅持・強化の要請となり、さらには、地方の再編という課題に結びつく」ようだ。





これらの講演集は国会図書館のデジタルアーカイブの中で公開されている→こちら


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河本哲夫:洛陽堂編集部

2014年08月21日 | 断想および雑談
高島平三郎監修 河本亀之助編『国民教養知識の泉』、洛陽堂、大正8

洛陽堂編集部に高島の弟子:関寛之、河本亀之助の弟:哲夫らがいたようだ。


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