えくぼ

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星野朝子という車

2015-06-25 08:52:19 | 歌う

             → 星野朝子という車 →

 ♠ 信号の青がみるみる迫りきて海がひろがる真鶴の海   松井多絵子

 わたしが車の運転を始めたのは半世紀余りも前、日産自動車の真っ黒い車だった。その日産自動車で初めての女性専務になったのは★星野朝子(55歳)である。車の営業経験はゼロだとか。でも車の運転はなさるんでしょうね。もちろん日産自動車。2002年、市場調査の会社役員から日産・ゴーン社長に請われて転職。慶大を出て日本債券銀行に入り、米国の大学院でマーケティングを学んだ彼女は写真で見るかぎり 「やまとなでしこ」。

 ♠ 運転の免許更新手続きをするかしないか迷いていたり

 半世紀余り前の東京ではマイカー族はまだ少なかった。私が運転を始めたのは母にすすめられたからである。体が弱かった母は始終タクシーを利用していた。ジャジャ馬の私をお抱えの運転手にしたかったのだ。当時は女のドライバーは少なく私はカッコよかった。結婚しても母は車の維持費は出してくれたが私はお抱えの運転手、さらに夫の縁者も、、。そして車の渋滞、駐車困難、わたしは車がお荷物になってしまった。 

 ♠ 運転の免許更新手続きをするかしないか迷いていたり

 ♠ 新東名高速道の運転はわれを凶器にするかもしれぬ

 我が家から450歩のところにバス停があり、かなり便利な所に住んでいるとマイカーなんて無用の長物だ。旅行も自分で運転していたらゆっくり景色を楽しむことができない。私はペーパードライバーになったが、免許は更新し続けていた。

 ♠ 視力検査はぎりぎりですよと我に云う穂村弘に似ている警官

 ♠ 視野の狭い作品ですねとわが歌を穂村弘が危ぶむような

 3年前に免許更新の際に私の視力が急に弱くなっていると言われた。1・2が0・8に。検査を担当している警官は私や他の高齢者にそれとなく免許証の返上を勧めていた。もしあの警官が穂村弘に似てないオッサンだったら私は運転免許証をまだ持っていたかもしれない。

     星野朝子専務よ くれぐれも貴女の視力を大切になさいますように。

                         6月25日  松井多絵子


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