・・・ うっすらと哀しい ・・・
8月4日の 折々のことば は幸田文のことば。身に浸みる言の葉である。
~ うっすらと哀しいのがやりきれないんだ。ひどいかなしさなんかまだいいや。少しかなしいのがいつも浸みついちゃってるんだよ。 幸田文 ~
わたしの場合だが 「うっすらと哀しい」 ときこそ詠める、ひどく哀しいときは詠めない。辛いときに詠めば傷の痛みがさらに激しくなりそうで、詠む気になれない。幸田文(1904~1990)は明治時代の文豪・幸田露伴の娘である。父を看取ったのちに40代で文壇にデビューした。「黒い裾」 読売文学賞、「流れる」 新潮文学賞。
うっすらと哀しい五首 松井多絵子
見送りに行きて見送られておりぬ動く歩道に運ばれながら
目標に遠く離れた位置にいて何を捨てればいいのか風よ
朝かげの漲るバスのなかに立ち夜の顔しているかもしれぬ
ひとりには広すぎるベンチのかたわらに笑顔の私おすわりなさい
しろたえのケミカルレースのカーテンを隔てて風の泣きごえを聞く
はるかなる幸田文さま いつも哀しいのが私に浸みついちゃってます。
8月6日 松井多絵子
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます