軽井沢からの通信ときどき3D

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蘇民将来と初詣

2019-01-11 00:00:00 | 日記
 国道18号線を使って上田方面に出かけることが時々あるが、道路沿いに一風変わったモノを見かけていた。妻に聞くと、「蘇民将来」ということばが返ってきていた。埼玉県飯能市にもこの「蘇民将来」ゆかりの「竹寺」があり、若いころ行ったことがあるとのことで、その寺では、木彫り・六角柱状の「蘇民将来符」を参拝者に頒布していたという。


上田市の国道18号線・国分西交差点にある「蘇民将来符」をかたどった案内塔(2019.1.7 撮影)

 しばらくの間、それ以上深く調べることもなく、日が過ぎていたが、今回年始に長野市に出かける機会があり、ふとしたことから、またその話題になった。調べてみると、、正月の7日と8日に上田市の八日堂(信濃国分寺)で行われる縁日で、この「蘇民将来符」を参詣者に分けていることが判った。

 7日の午後1時から、寺が用意した「蘇民将来符」の頒布があり、翌8日の朝8時からは、地元の組織「蘇民講」が用意した七福神などの絵入り「蘇民将来符」の頒布があるという。どうも、この蘇民講製の蘇民将来符を手に入れようと、遠く東京、関西方面からも参詣者が来るらしいので、我々は、予想されるこの混雑を避けて、7日にお参りをすることにして、信濃鉄道を利用して出かけてきた。


信濃鉄道の信濃国分寺駅(2019.1.7 撮影)

 最寄りの駅は、信濃国分寺駅であり、これまでにも一度だけこの駅を利用したことはあったが、様子が一変していた。静かで乗降客もまばらな駅であったのが、この日は多数の参詣客がいて、八日堂まで途切れながらではあったが参詣の人の列ができた。

 18号線沿いにある、山門までくると、そこから縁日の屋台が始まっていて、細い道路の両脇には、ずっと奥の方までこれらの店が続いていた。久々に見る、ヤキソバ、たこ焼き、チョコレートバナナ、串焼き肉などの店を通り過ぎ、本殿に近くなると縁起物のだるまを売る店が増えてきた。高崎のだるまと同じようなものである。


国道18号線沿いにある八日堂信濃国分寺の山門(2019.1.7 撮影)


山門をくぐるとすぐに屋台の列が続く(2019.1.7 撮影)


縁起物のだるまを売る店が多くみられる(2019.1.7 撮影)


後方に本殿が見えてくる(2019.1.7 撮影)
 
 我々も参拝者の列に加わり、お参りを済ませてから、本殿両脇に設けられた「蘇民将来符」の頒布所に向かった。


信濃国分寺本殿(2019.1.7 撮影)


お参りする人々(2019.1.7 撮影)


本殿脇の「蘇民将来符」頒布所(2019.1.7 撮影)


大小さまざまな「蘇民将来符」が頒布されている(2019.1.7 撮影)

 大小さまざまな大きさのものが台の上に置かれていたが、私たちは、大きめのもの(高さ20cm)と、一番小さく紙で包まれているもの(高さ9.3cm)とを買い求めた。それぞれ、5千円と千円であった。小さい蘇民将来符を包んでいた紙には、蘇民将来についてという説明が書かれていた。


本殿脇の頒布所で求めた大小2種の蘇民将来符(2019.1.8 撮影)


小さい方の「蘇民将来符」の包み紙にはそのいわれと、蘇民将来についてが書かれていた

 「蘇民将来符」に書かれている文字は大・小どちらも同じもので、6つの面に大福、長者、蘇民、将来、子孫、人也と2文字ずつ書き分けられている。


6つの面に書かれている、大福、長者、蘇民、将来、子孫、人也の文字(2019.1.8 撮影後合成)

 この蘇民将来符については、ちょうど信濃国分寺のすぐ目の前、18号線沿いにある上田市立・信濃国分寺資料館で、「蘇民将来符展」が開催されていたので、立ち寄ってきたが、展示品の他に「蘇民将来符-その信仰と伝承-」という小冊子も受付で販売されていて、先ほどの包み紙にも説明はあったが、さらに詳しい情報を得ることができた。


上田市立・信濃国分寺資料館正面(2019.1.7 撮影)


上田市立・信濃国分寺資料館で販売されていた「蘇民将来符-その信仰と伝承-」の表紙

 それによると、蘇民将来信仰は、中国から伝わったとみられる民俗信仰で、「蘇民将来子孫人也」と書かれた護符を持っているものは、災難をまぬがれ、その子孫は富み栄えるという説話にもとづいているという。最も古い護符としては、京都府の長岡京跡から奈良時代(710-794)末期のものが発見されていて、現在は、青森県から鹿児島県トカラ列島まで、全国約50か所に蘇民将来信仰が伝わっている。

 この蘇民説話の中身であるが、和銅6年(713)に中央官命により作成された報告公文書のひとつとされる、「備後国風土記」に、わが国で最も古い蘇民逸話がある。この原文を要約すると次のようである(上田市立・信濃国分寺資料館発行の「蘇民将来符-その信仰と伝承-」より)。

 「・・・むかし、武塔神が求婚旅行の途中宿を求めたが、裕福な弟将来はそれを拒み、貧しい兄蘇民将来は一夜の宿を提供した。後に再びそこを通った武塔神は兄蘇民将来とその娘らの腰に茅の輪をつけさせ、弟将来たちは宿を貸さなかったという理由で皆殺しにしてしまった。武塔神は『吾は速須佐雄の神なり。後の世に疫病あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ』と言って立ち去った。・・・」

 また、今回の展示では、信濃国分寺に伝来する「牛頭(ごず)天王之祭文」を見ることができたが、これは、室町時代の文明12年(1480)に書き写された、年代が判明している日本最古の牛頭天王祭文とされ、上田市指定文化財になっているもので、ここにも前述の「備後国風土記」同様、蘇民将来信仰の起源が述べられている。
 
 「備後国風土記」との相違点だけをみると、神名が武塔神でなく牛頭天王となっている。牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神で、除疫神として京都の祇園社(八坂神社)等に祭られているものである。また、「弟将来」は「小丹長者」となり、「兄蘇民将来」は「蘇民将来」となり、小丹長者の妻が蘇民の娘とされている。さらに、「備後国風土記」における茅の輪と呪文は「祭文」では「柳ノ札ヲ作テ蘇民将来之子孫也ト書テ」と変わっている。この「柳の札」が現在の信濃国分寺の蘇民将来符にあたる(上田市立・信濃国分寺資料館発行の「蘇民将来符-その信仰と伝承-」より要約)。

 過去のある時期には、柳の木の札に「蘇民将来之子孫也」と書かれていたことを伺わせる内容である。

 今回のこの蘇民将来符展は撮影が禁じられていたので、詳細を伝えることができないが、このほかに江戸時代後期の八日堂縁日の様子を描いた「八日堂縁日図」が展示されていた。ここには、363人の人物が描かれているが、薬師堂と境内東西で現在と同じ六角形状の蘇民将来符が分けられる様子が描かれている。

 これらのことから、現在と同様の木彫り・六角形状の蘇民将来符は少なくとも江戸時代後期には作られ、頒布されていたことが判る。

 館内のこの特別展とは別の場所には、上田市内の民家が収集していた明治期からの蘇民将来符や、蘇民講が作成した七福神が描かれた蘇民将来符が展示されていた。


上田市内の峯村家が収集した蘇民将来符の展示用説明パネル(2019.1.7 撮影)


峯村家から寄贈された明治16年から平成2年までの蘇民将来符(2019.1.7 撮影)


七福神の描かれている蘇民将来符(2019.1.7 撮影)

 蘇民将来符の製作であるが、原木はドロヤナギで、樹高は15m~20m、直径は30cmほどになり、材質が加工しやすいことからマッチの軸木やツマ楊枝、箱材などに用いられているものであるという。そして、ドロヤナギという名は、ドロノキあるいはハコヤナギと共に上田地方の通称で、正式名称はヤマナラシというポプラの仲間の植物であるとされている(前出蘇民将来符-その信仰と伝承-)。

 しかし、「原色牧野植物大図鑑」(2008年 北隆館発行)で確認すると、ドロノキとハコヤナギは別種で、ドロノキの種名(和名)はデロで、ハコヤナギの種名がヤマナラシであり、ドロヤナギという名は見当たらなかった。どちらも、ヤナギ科・ハコヤナギ属に属する、雌雄異株の高木であるとしている。

 もう一つの資料、「植物の世界-68号」(1995年 朝日新聞発行)にはドロヤナギの名が見られた。ヤマナラシとドロノキの2種の名が別種として紹介されていて、ヤマナラシはハコヤナギとも呼ばれ、ドロノキは別名ドロヤナギとも呼ばれ、和名のドロノキは、北海道松前地方の方言名デロに由来するとしている。

 最後にウィキペディアを見ておくと、ここでもドロヤナギはドロノキの別名として扱われていて、そのほかドロ、ワタドロ、ワタノキ、デロ、チリメンドロといった別名も紹介されている。ヤマナラシ、別名ハコノキはここでも別種の扱いである。ともにヤナギ科ヤマナラシ属として分類されている。

 属名が出典により異なっているが、これはときどき見られることで、両方の名が使われているようである。

 これらを整理すると次のようになる。


ヤマナラシとドロノキ=デロの分類と別名の比較表

 上田市発行の先の資料には、”ドロヤナギ”は、四月に褐色の穂状の花をつけるとあるが、これはデロ=ドロノキの特徴であり、ヤマナラシ=ハコヤナギの花穂は雌雄ともに緑色である。さて、蘇民将来に使われているドロヤナギとはヤマナラシ、デロ=ドロノキのいずれであろうか、それともこの両方が区別されずに使用されているのであろうか。


原色牧野植物大図鑑のヤマナラシの項


原色牧野植物大図鑑のデロの項

 樹種のことはさておき、毎年11月に入るとこの木の原木を切り出し、12月1日に作り初めの行事である「蘇民切り」を行った後、各蘇民講の家ですべて手作業で護符作りが行われる。ドロヤナギの木は、原則として割木を用いず真中にシンが通った材を使用するとされている。1月7日には寺に納めて護摩の祈祷を受けたものが、一般に頒布される。

 現在、全長1cmほどから27cmほどまでの大きさの異なる、9種類の蘇民将来符が作られていて、小さい方から「ケシ」・「平ジ」・「二番中」・「中」・「中ジク」・「中大」・「大」・「大ジク」・「大々」という符号で呼ばれているという。私達が購入したものは、「平ジ」と「中大」だろうか。尚、この中の「平ジ」の蘇民将来符に限って、年間を通して寺務所で頒布が行われているという。


購入した2種の蘇民将来護符の底面(2019.1.8 撮影)

 今回購入した蘇民将来符の底を見ると、国分寺・八日堂の印が見えるが、木目を見るとシンは真中ではない。近年、山中に自生するドロヤナギの発見が困難になってきているとの話もあるので、中サイズ程度のものは割木を用いざるを得なくなっているようである。

 蘇民将来符の方は、物珍しさも手伝って購入したのであったが、昨年からガラス・ショップを始めているので、商売繁盛を願って「マネキネコ」も1つ買い求めて帰路についた。


まねきねこ(2019.1.8 撮影)
















 
  
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