新しい青色顔料が200年ぶりに発見されたというBiglobeのニュース(2019.7.17)に目がとまった。私自身、かつて酸化物の青色への変化を利用した表示素子の開発をしていたことがあるからであるが、もうひとつ最近は青色顔料の原料でもある鉱物、ラピスラズリに興味を持っていることも理由であった。
2019年7月17日付のこのニュースには「ハッとするような鮮やかな青、『YlnMnブルー』。2009年にアメリカで発見された無機青色顔料の一種」という言葉と共に、Wikipediaから引用したという次の写真が添えられている。
新発見の青色顔料「YlnMnブルー」の画像(Wikipediaより)
写真を見ると確かにこの記事の言葉通り、「YlnMnブルー」(インミンブルー)はとても鮮やかな青色に見える。記事は次のように続いている。
「偶然に生まれた『YlnMnブルー』、古くは古代エジプトや中国の漢王朝、マヤ王国など、紀元前より高貴な青色顔料は人気が高いが、色落ちしやすかったり、毒性があったり、製造に手間とコストがかかりすぎたりと、あらゆる面で完璧な青色を創り出すのは長年の課題であった。・・・
顔料業界にとって世紀の大発見ともいわれており、年内には販売も開始される予定ということで世界中から注目を集めているという。
実はこの顔料は全くの偶然から生まれている。酸化マンガン類の電気的特性を研究していた米・オレゴン州立大学の大学院生が、黒い酸化マンガンと他の化合物を混ぜ合わせ摂氏1200度という超高熱の炉で焼いたものの一部が、美しい青い粉に変化していたことを発見したのである。
研究チームを率いているマス・サブラマニアン教授らはこの変化に驚きと興奮を持って直ちに調査を開始し、この物質が「三方両錐構造」というユニークな結晶構造をしており、内部のマンガンイオンが緑と赤の光を吸収して、吸収されない青のみが鮮明に現れていることを突き止めた。
そして耐久性に優れて安定性も高く、水や油にも強いことが判明したのである。
教授らは原料であるYttrium(イットリウム)、Indium(インジウム)、Manganese(マンガン)の元素記号を取って「YInMnブルー」と命名した。・・・
オレゴン州立大学からライセンスを受けて「YlnMnブルー」の販売を予定しているShepherd Color Companyは、環境に優しくかつ生産しやすいこの顔料がさまざまな場面で活用されることに期待を寄せる。すでに製品化も進んでおりサンプル販売の認可は下りているため、年内にも市販できるめどが立っているという。
『YlnMnブルー』に続き緑や紫、オレンジなどの各色の研究にも着手したというサブラマニアン教授のチーム。また別の鮮やかな“新色”が発見されるのか、吉報を待ちたい。(文=Maria Rosa.S)」
原著論文は、Journal of Chemical Society 2009,131,47 に掲載されているが、これによると、インミンブルーは、YMnO3とYInO3の固溶体であり、YIn1-xMnxO3と表現されていて、結晶の中でIn:インジウム原子とMn:マンガン原子は同じ位置に入り、その割合xは0から1の間で連続的に可変である。
論文によると、Mnの割合xを変化させたときの結晶の色は次のようであり、X=1の時、色は黒になる。
「YlnMn(インミン)ブルー」の色とMnの割合xとの関係(Journal of Chemical Society 2009,131,47 )
200年ぶりと言われる理由について調べてみると、1802年にフランス人化学者のルイ・ジャック・テナール(Louis Jacques Thenard)がコバルトブルーを発見して以来のことだからということである。また、この青色について、発見者の教授は「われわれが見つけた色素は、ウルトラマリンに似ているがずっと長持ちするので、美術修復に役立つ」といっているとされる。
コバルトブルーやウルトラマリンという言葉が出てきたが、これはご存知の通り青色顔料の名前であり、油絵具などでも同様の名前が用いられている。これら種々の絵の具の青色を比較してみると、次のようである(各色のR,G,B値を用いて色を表示しているが、あくまでも相対的なものとしてご覧いただきたい)。
各種青色顔料の色の比較
ここで、新発見のインミンブルーの色を表示させる際には、ウィキペディアに示されている「代表的なR,G,Bの数値」を用いたが、マス・サブラマニアン教授の言うようにウルトラマリンに近い色になっていることが分かる。尚、ウルトラマリンは天然のラピスラズリを精製して得られるが、その結果鉱物のラピスラズリとはやや色が異なるとされているので、同時に示しておいた。
ところで、このラピスラズリが最初に顔料として利用されたのは6–7世紀におけるアフガニスタンの寺院の洞窟画であり、これが鉱物顔料の始まりとされる。天然のラピスラズリ鉱物から良質の青色顔料を得る方法は13世紀の初頭に開発されており、この顔料が最も広く使われたのは14世紀から15世紀にかけてで、朱色や金色の補色として映えるため、装飾写本やイタリアの陶板画に用いられたという。
ヨーロッパの芸術家たちはこの貴重な顔料をめったに使用できず、聖マリアやキリストのローブを塗るための取って置きの品であった。天然ウルトラマリンを使った画家のうち、フェルメール(1632.10-1675.12)はとても有名で、フェルメール・ブルーという呼称があるくらいである。中でも1665年の作とされる「真珠の耳飾りの少女」はよく知られている。次の写真は土産物として売られていた複製画を撮影したものである。
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(2019.12.30 撮影)
上で、インミンブルーがYMnO3とYInO3の2種の酸化物の固溶体(混合物ではなく均一にまじりあっている結晶のこと)であることを紹介したが、鉱物のラピスラズリもまた固溶体であり、4種類の鉱物からなることが知られている。その4種類とは主成分のラズライト(青金石、Na8-10Al6Si6O24S2)、ソーダライト(方曹達石、Na8Al6Si6O24Cl2)、アウイン(藍方石、(Na,Ca)6-8Al6Si6O24(SO4)1-2)、ノゼアン(黝方石、Na8Al6Si6O24SO4)であるが、複雑ながらも類似の結晶構造を持つことがわかる。このためラピスラズリは12面体の結晶でしばしば産出するという。
このうち、ラズライト、ソーダライト、アウインの3種はそれ自体が青色の鉱物であるが、ノゼアンは無色透明な鉱物である。これらが混じり合うことでラピスラズリの青色が生まれている。尚、天然の鉱物にはこのほかに白い方解石や金色の黄鉄鉱が混じることがある。
ラピスラズリは人類に認知され、利用された鉱物として最古のものとしても知られている。エジプト、シュメール、バビロニアなどの古代から、宝石として珍重されてきた。有名なツタンカーメンの黄金のマスクにもラピスラズリが用いられている。日本ではトルコ石と共に12月のほかに9月の誕生石とされる。
鉱物としてのラピスラズリに興味があって、その原石をくりぬいて作られたドイツ製のキャビアボウルを手に入れ、ガラス製品ではないのだが私のガラス・ショップに置いている。ボウルの直径は約15cm、高さは約11cmで次のようなものである。
ラピスラズリ製のキャビアボウル
さて、最後は表題に掲げた「電子を見る」話である。といってももちろん電子を直接見ることができるわけではなく、電子の動きを間接的に色の変化として目で見えるようにできるというもので、私が経験した中でも、なかなか興味深い実験なのでここで紹介させていただく。ただし、準備には専門的な装置も必要なので、どなたにでも追認していただけるものではないことをお断りしておく。
用意する材料は、ガラス板にWO3:酸化タングステン膜を薄く(0.5ミクロン程度)形成したもの、金属針(インジウム)、電解液(希硫酸溶液)などで、実際にはシャーレなどの容器に、電解液を注ぎ、ここにWO3膜のついたガラス板を沈めて実験を行うが、次図(上)のように配置する。この状態は1種の電池のようなもので、WO3膜と金属針の間には電位差が発生している。この状態で、金属の針の先端をWO3膜に接触させると(図の「中」)、WO3膜はその接点から着色して、周囲に向かって広がっていく(図の「下と右」)。この着色が起きる理由は、金属針から電子が膜に注入されているからで、膜の中を電子がゆっくりと拡散している様子を見ていることになるのである。電子にはもちろん色は付いていないが、電子のあるところ色ありという感じで着色していく。電子の注入と同時に電解液からは水素イオン(プロトン)が素早くWO3膜に図に示すように移動する。
WO3薄膜に金属針から電子が注入されるのを見る実験
WO3薄膜は元来透明であるが、電子と水素イオンとを同時に取り込むことで、タングステン・ブロンズという青い物質に変化する。膜の中で電子が比較的自由に動くことができるため、光の中の赤から近赤外線部分を吸収するためである。この現象は、インミンブルーで見た結晶中のInをMnで徐々に置き換えていくと、色が濃くなっていく現象に似ている。
きちんとした結晶構造を持つインミンブルーなどの物質では、高温で熱処理をしないとMnを結晶中に取り込むことはできないが、WO3の膜の場合膜が非晶質で空隙の多い構造であるため、電池作用で、室温下でも膜の中に電子と共に水素イオンをとり込むことができるためにこうしたことが起きるのである。
新しい青色顔料発見のニュースを知り、その着色のメカニズムを見ていて、40年ほど前に行った実験のことを懐かしく思い出したのであった。
2019年7月17日付のこのニュースには「ハッとするような鮮やかな青、『YlnMnブルー』。2009年にアメリカで発見された無機青色顔料の一種」という言葉と共に、Wikipediaから引用したという次の写真が添えられている。
新発見の青色顔料「YlnMnブルー」の画像(Wikipediaより)
写真を見ると確かにこの記事の言葉通り、「YlnMnブルー」(インミンブルー)はとても鮮やかな青色に見える。記事は次のように続いている。
「偶然に生まれた『YlnMnブルー』、古くは古代エジプトや中国の漢王朝、マヤ王国など、紀元前より高貴な青色顔料は人気が高いが、色落ちしやすかったり、毒性があったり、製造に手間とコストがかかりすぎたりと、あらゆる面で完璧な青色を創り出すのは長年の課題であった。・・・
顔料業界にとって世紀の大発見ともいわれており、年内には販売も開始される予定ということで世界中から注目を集めているという。
実はこの顔料は全くの偶然から生まれている。酸化マンガン類の電気的特性を研究していた米・オレゴン州立大学の大学院生が、黒い酸化マンガンと他の化合物を混ぜ合わせ摂氏1200度という超高熱の炉で焼いたものの一部が、美しい青い粉に変化していたことを発見したのである。
研究チームを率いているマス・サブラマニアン教授らはこの変化に驚きと興奮を持って直ちに調査を開始し、この物質が「三方両錐構造」というユニークな結晶構造をしており、内部のマンガンイオンが緑と赤の光を吸収して、吸収されない青のみが鮮明に現れていることを突き止めた。
そして耐久性に優れて安定性も高く、水や油にも強いことが判明したのである。
教授らは原料であるYttrium(イットリウム)、Indium(インジウム)、Manganese(マンガン)の元素記号を取って「YInMnブルー」と命名した。・・・
オレゴン州立大学からライセンスを受けて「YlnMnブルー」の販売を予定しているShepherd Color Companyは、環境に優しくかつ生産しやすいこの顔料がさまざまな場面で活用されることに期待を寄せる。すでに製品化も進んでおりサンプル販売の認可は下りているため、年内にも市販できるめどが立っているという。
『YlnMnブルー』に続き緑や紫、オレンジなどの各色の研究にも着手したというサブラマニアン教授のチーム。また別の鮮やかな“新色”が発見されるのか、吉報を待ちたい。(文=Maria Rosa.S)」
原著論文は、Journal of Chemical Society 2009,131,47 に掲載されているが、これによると、インミンブルーは、YMnO3とYInO3の固溶体であり、YIn1-xMnxO3と表現されていて、結晶の中でIn:インジウム原子とMn:マンガン原子は同じ位置に入り、その割合xは0から1の間で連続的に可変である。
論文によると、Mnの割合xを変化させたときの結晶の色は次のようであり、X=1の時、色は黒になる。
「YlnMn(インミン)ブルー」の色とMnの割合xとの関係(Journal of Chemical Society 2009,131,47 )
200年ぶりと言われる理由について調べてみると、1802年にフランス人化学者のルイ・ジャック・テナール(Louis Jacques Thenard)がコバルトブルーを発見して以来のことだからということである。また、この青色について、発見者の教授は「われわれが見つけた色素は、ウルトラマリンに似ているがずっと長持ちするので、美術修復に役立つ」といっているとされる。
コバルトブルーやウルトラマリンという言葉が出てきたが、これはご存知の通り青色顔料の名前であり、油絵具などでも同様の名前が用いられている。これら種々の絵の具の青色を比較してみると、次のようである(各色のR,G,B値を用いて色を表示しているが、あくまでも相対的なものとしてご覧いただきたい)。
各種青色顔料の色の比較
ここで、新発見のインミンブルーの色を表示させる際には、ウィキペディアに示されている「代表的なR,G,Bの数値」を用いたが、マス・サブラマニアン教授の言うようにウルトラマリンに近い色になっていることが分かる。尚、ウルトラマリンは天然のラピスラズリを精製して得られるが、その結果鉱物のラピスラズリとはやや色が異なるとされているので、同時に示しておいた。
ところで、このラピスラズリが最初に顔料として利用されたのは6–7世紀におけるアフガニスタンの寺院の洞窟画であり、これが鉱物顔料の始まりとされる。天然のラピスラズリ鉱物から良質の青色顔料を得る方法は13世紀の初頭に開発されており、この顔料が最も広く使われたのは14世紀から15世紀にかけてで、朱色や金色の補色として映えるため、装飾写本やイタリアの陶板画に用いられたという。
ヨーロッパの芸術家たちはこの貴重な顔料をめったに使用できず、聖マリアやキリストのローブを塗るための取って置きの品であった。天然ウルトラマリンを使った画家のうち、フェルメール(1632.10-1675.12)はとても有名で、フェルメール・ブルーという呼称があるくらいである。中でも1665年の作とされる「真珠の耳飾りの少女」はよく知られている。次の写真は土産物として売られていた複製画を撮影したものである。
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(2019.12.30 撮影)
上で、インミンブルーがYMnO3とYInO3の2種の酸化物の固溶体(混合物ではなく均一にまじりあっている結晶のこと)であることを紹介したが、鉱物のラピスラズリもまた固溶体であり、4種類の鉱物からなることが知られている。その4種類とは主成分のラズライト(青金石、Na8-10Al6Si6O24S2)、ソーダライト(方曹達石、Na8Al6Si6O24Cl2)、アウイン(藍方石、(Na,Ca)6-8Al6Si6O24(SO4)1-2)、ノゼアン(黝方石、Na8Al6Si6O24SO4)であるが、複雑ながらも類似の結晶構造を持つことがわかる。このためラピスラズリは12面体の結晶でしばしば産出するという。
このうち、ラズライト、ソーダライト、アウインの3種はそれ自体が青色の鉱物であるが、ノゼアンは無色透明な鉱物である。これらが混じり合うことでラピスラズリの青色が生まれている。尚、天然の鉱物にはこのほかに白い方解石や金色の黄鉄鉱が混じることがある。
ラピスラズリは人類に認知され、利用された鉱物として最古のものとしても知られている。エジプト、シュメール、バビロニアなどの古代から、宝石として珍重されてきた。有名なツタンカーメンの黄金のマスクにもラピスラズリが用いられている。日本ではトルコ石と共に12月のほかに9月の誕生石とされる。
鉱物としてのラピスラズリに興味があって、その原石をくりぬいて作られたドイツ製のキャビアボウルを手に入れ、ガラス製品ではないのだが私のガラス・ショップに置いている。ボウルの直径は約15cm、高さは約11cmで次のようなものである。
ラピスラズリ製のキャビアボウル
さて、最後は表題に掲げた「電子を見る」話である。といってももちろん電子を直接見ることができるわけではなく、電子の動きを間接的に色の変化として目で見えるようにできるというもので、私が経験した中でも、なかなか興味深い実験なのでここで紹介させていただく。ただし、準備には専門的な装置も必要なので、どなたにでも追認していただけるものではないことをお断りしておく。
用意する材料は、ガラス板にWO3:酸化タングステン膜を薄く(0.5ミクロン程度)形成したもの、金属針(インジウム)、電解液(希硫酸溶液)などで、実際にはシャーレなどの容器に、電解液を注ぎ、ここにWO3膜のついたガラス板を沈めて実験を行うが、次図(上)のように配置する。この状態は1種の電池のようなもので、WO3膜と金属針の間には電位差が発生している。この状態で、金属の針の先端をWO3膜に接触させると(図の「中」)、WO3膜はその接点から着色して、周囲に向かって広がっていく(図の「下と右」)。この着色が起きる理由は、金属針から電子が膜に注入されているからで、膜の中を電子がゆっくりと拡散している様子を見ていることになるのである。電子にはもちろん色は付いていないが、電子のあるところ色ありという感じで着色していく。電子の注入と同時に電解液からは水素イオン(プロトン)が素早くWO3膜に図に示すように移動する。
WO3薄膜に金属針から電子が注入されるのを見る実験
WO3薄膜は元来透明であるが、電子と水素イオンとを同時に取り込むことで、タングステン・ブロンズという青い物質に変化する。膜の中で電子が比較的自由に動くことができるため、光の中の赤から近赤外線部分を吸収するためである。この現象は、インミンブルーで見た結晶中のInをMnで徐々に置き換えていくと、色が濃くなっていく現象に似ている。
きちんとした結晶構造を持つインミンブルーなどの物質では、高温で熱処理をしないとMnを結晶中に取り込むことはできないが、WO3の膜の場合膜が非晶質で空隙の多い構造であるため、電池作用で、室温下でも膜の中に電子と共に水素イオンをとり込むことができるためにこうしたことが起きるのである。
新しい青色顔料発見のニュースを知り、その着色のメカニズムを見ていて、40年ほど前に行った実験のことを懐かしく思い出したのであった。