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寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

誰のためでしょうか

2016年03月03日 06時54分09秒 | 日記
おはようございます。ようやく 冬も 終わりになりつつ あるようですね(^^)
しかし 油断は禁物! 三谷役員さんは九州が生地、その後 東京の大学に進まれて、東京の今の会社に 就職されました。 本来なら、 官僚の道に進まれる筈が なんでか 民間企業にいらっしゃいます。
昨年暮れ 会食の後、帰る道で訊いた話です。タレントの ラサール○し○ と同級生だったそうで
「あいつがクラスで一番ビリでその次が私だったんだよ」
なんて どこまで ほんとか わかりませんが、今でも賀状が来るんだ…と聞くと 満更でも ないようで その三谷役員さんより十番くらい上にいたのが、某有名航空会社の社長をしていらっしゃるそうです。
他にも お歴々の方々がいらっしゃるようですが、親交のある人、ない人… 様々でしょうから 機嫌の良いとき折りを見つけて尋ねてみようかな…と思います(^^)
ところで 春めいて きました。 うちは毎日新聞を採っていますが ここ数日やたら 宣伝してるのが 高校野球です。
春は センバツから~
んん^^;…その見出しに ワクワクしたのは 随分昔の話で 近頃は 派手な広告に少々食傷気味になっています。
以前も 書きましたが、去年の暮れ、高校ラグビーがありました。 これも毎日新聞が主催者でしたが、
そりゃあ もう 新聞の一面いっぱいにラグビー一色ですから^^;
ラグビーって こんなに 人気あるスポーツだったかしら~と驚きましたね。
試しに 他の新聞を見てみると、確かに高校ラグビーは載っていましたが、それは 普通に枠取りされた記事で ごくごく 平凡な内容でした(^^)
ただ これが その新聞社主催のスポーツになると 途端に様変わりするでしょう。
先ほどのラグビーじゃないですが、ほんと 世の中の一大事件みたいな扱い なぜこうなるのかな ^^;
そもそも新聞とは あくまでも公平で客観的な立場で取材をして自説を入れるにしても極端な意見は使わないようにしているはずで、社会の公器としてるのはその為ではないでしょうか。
だから 新聞社は税制上でも優遇されているでしょう。それに来年から始まる消費税増額についても新聞の購読料金は軽減税率に入るそうですから、その意向をよく噛みしめて 公平な 新聞作りに励んで頂きたいものですな。
そんな毎日新聞の記事を見ていると、地方版にセンバツ出場校の野球部員のプロフィール が二人ずつ紹介されています。 これなんかも 社会の公器として 果たして紙面を裂いてまで載せる意義があるのか 疑問なのですが、
取り合えず そのプロフィールを見ていて ビックリしたのが、部員の出身地でした。
今日の紹介欄、他府県出身者、昨日も他府県、一昨日もやっぱり出身地さ他府県…
念のため二週間前から 辿(たど)ってみると、ほとんどが他府県出身者です。 都合 本県出身者は三名、他府県出身者が11名…
これが全てではないでしょうが あまりに大勢の県外部員に 唖然としたわけです。
この頃近くにある市庁舎に大きな垂れ幕が掲げられてます。
(祝)○○学園野球部 選抜出場!

皆さん 違和感感じませんか。
私なんか 高い市民税を取られている関係で 嫌悪感すら覚えています。
だいたいこの○○学園がある市域には公立高校が幾つもあります。 生徒は市内か近郊から通っているのですね。
ところが この○○学園は 野球部員のほとんどが通学できない距離からの生徒で 寮生活をしなければならないのが現状。
春は、センバツから 郷土の誇りを胸にして… こんな美辞麗句は噴飯もの 偽りの看板でしょ。
○○学園はこの10年余り前から 矢鱈スポーツ部活に力を入れ出しました。
まず 駅伝が手始めで ケニアやアフリカから留学生を取り 高校駅伝で5位にまで上がった時期がありました。それから次はテニスでした。 そして今や野球ですが、私ら庶民からすると 野球は一番気になる競技ですね。 駅伝もテレビでやりますが、やっぱり野球の知名度からしたら雲泥の差があります。 それは今流行りのサッカーなんかと比較しても一目瞭然でしょう。 どう違うか まずサッカーは 開催日時の都合もあるためか 何ヵ所かの競技場で複数の試合を行いますが、野球部は違います。一日3~4試合を全て甲子園で行いますよね。 サッカーは試合を全てテレビに映しませんが 野球は全試合を生中継 しかも 天下のNHKがですよ。主催者の朝日さえ 途中中継を中断するのにNHKなんか完全中断ですから^^;
一体そこまで 力を入れなければならない 理由は何なのか…と私は問いたいですね。 テレビ局がこんな態度でしょ…
だから 私学の学校は 渡りに舟。
ただでさえ公立高校に生徒を獲られているのにこの少子化でしょう。学校の存続さえ危ぶまれているご時世に
何とか生徒を確保したいと考えたら それは 学校の売名でしょ…
私学でも昔からある有名私学なら未だしも ちっとも人気がない 公立高校の滑り止めに甘んじている私学が起死回生の策を取ったのが 野球ですね。
高校野球。 これを青春のシンボルとした風潮は未だに根強いのは周知の通りでしょ。
ここに目をつけない私学経営者はいないでしょう。
なにせ無料(ただ)で天下のNHKが宣伝してくれるのですから^^;
ただし甲子園への道程は簡単ではありません。
かつて名を馳せた公立高校や有名私学が群雄割拠している中で 生半可な努力で出場を取れる筈もなくて なんとか有望な生徒を獲得するため 学費を免除したり 奨学金を出したり 専用球場を作ったり 甲子園出場経験のある請負監督を入れたり莫大な資金を投じています。
その割りを喰っているのは 普通の生徒や保護者です。
学費は市からの援助もあり兎も角 、入学金や寄付金… これは 学園が力を入れている部活 の整備につぎ込まれているのです。

これだけの投資が公立高校には出来ませんよね。
市役所は自らが経営している公立高校を見殺しにしながら 手段を選ばぬ えげつないやり方の私学の甲子園出場をどうして 称(たた)えるのか …ほんと私は理解に苦しみます。
最近 甲子園出場高校は ほとんどが 私学でしょ でも日本全国にある高校は私学、公立の比率は全く逆ではないでしょうか。
こんな私学の金に物を言わせたやり方で、たかが高校生の野球大会をなぜNHKは贔屓(ひいき)するのかわかりません。
ちょっと違いますがNHKは大相撲中継もしています。
皆さん 相撲を観ていて気がついてませんか?、相撲の取り組み前に 懸賞金が付きますよね。
龍角散とか 永谷園…などが旗にして 土俵を回る光景ですが、
あの時
テレビカメラが ググッと離れて映します。 あれは 民間の宣伝になるからで 公平な立場で放映するがために わざと 懸賞金を出している会社名を見にくくするためなのですね。
それは 理解出来ます。
でも それならば、 高校野球も同じじゃないかと思うのです。
教育と商業宣伝は違う とおっしゃる向きもあるでしょう。
でも昨今の高校野球の実情からは 教育の一貫とした部活動など 全く形骸化しています。
昭和の時代は私学校と公立校が共存共栄しながら競いました。 例えば 広島県。
当時 広商(県立)と広陵(私立)が県内の覇を争っていました。
どちらも強くて人気もありそれでいてお互い相手を敬愛し切磋琢磨していったのです。
だから広島県の高校野球は非常に強かったでしょう。

それが 今は 全国 どこを見ても 新興私学が 金に糸目をつけないやり方で有望な生徒 を自分の学校へと引っ張りあっています。
だから 高校野球を麗言讃歌している記事を見るだけで ヘドが出てくるのです。
春から夏にかけて 高校生の野球部の記事が派手になりますが、その期間だけは 日経新聞を採ろうかと考えてます。
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奥の手…

2016年03月02日 06時57分44秒 | 日記
松中が引退を表明しました。
ようやく と見出しに なるのか、ちょっと新聞の記事を注目ですね。
ご存じない方に ちらりと解説をしますと、松中信彦(42) ソフトバンクホークス を昨年退団。
2004年に三冠王。 ワールドベースボールクラシック (WBC)でも日本の4番を打つ
球界を代表する強打者として 一斉を風靡(ふうび)しました。

松中は 頑固と言いますか、芯のある考え方をする人です。
全盛期のイメージが抜けきらず、最後は 一人寂しい引退表明。
ソフトバンクは 球団に貢献した選手として 引退の花道を用意していたと聞きます。
それを振りきって 退団 として 新たに他球団 の入団テストを受けました。 しかし打撃に往年のスイングは見る蔭もなく 敢えなく 落選。
他の球団も同様の結果に ようやく 力の限界を認めて 引退を決意。
と ここまで 新聞などで 調べた松中選手の動向です。

松中は ヤクで騒がせている清原と違って
ほんと真面目に野球に取り組んだ選手でした。
私が一番 記憶に残っているのは WBCです。
日本の4番として出場した松中は目を覆いたくなるくらい打撃不振(スランプ)に陥ってました。

そんな中優勝をかけた一戦で チームが敗けている打席で 松中は セーフティーバンドを試みて 頭から一塁に滑りこみセーフ。
一塁で立ち上がった松中 の顔は 正に鬼の形相 でした。

これをきっかけに日本は逆転勝利したのですが。
試合後のインタビューで
記者はどう訊くんだろ と思って観ていると 「松中さん、あのセーフティーバンドは考えた策でしたか」
三冠王を獲った日本の4番を任された松中。 不振であっても 絶対バンドなんてあり得ないのが 常識でしょ。
例えば ここで一点取れば優勝する場面でも 打席に松中でしたら どんな監督でも ノーサインでしょ。
つまり お前に任せた、打て です。

それが 松中は自身の不甲斐ない打撃に責任を痛切に感じていたと思います。
そしてチームは敗けている状況で 次の打者に任せる、 と判断したのでしょう。
三冠王が自らも生きるセーフティーバンドが一番チームに貢献できると判断して 自身のプライドを投げ捨てて バットを短く持った あの気持ち。

それで松中がインタビューで答えたことば 「自分は高校時代から足には自信があるのですよ」
泣かせる台詞じゃないですか!!

これは松中の負けん気の裏返しの、言葉だと思いましたね。

そうだ、テスト受けた時 セーフティーバンドしたら 良かったんじゃ ないですか(^^)
永いあいだ お疲れ様でした(^^)
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他力本願とは違う…

2016年03月01日 06時39分02秒 | 日記
最近我々の仲間内で あいさつ代わりといってよいくらい 出てくる言葉に
どや、なんかええことないのか?
…ここは関西、^^; なまり が入ってますから 訳しますと、
どう、何か いいことないですか?
… となりますが、
これに対して 大抵の人は、 ほんなもん ええことなんか あるかいな…
吐き捨てるように返しますが、 尋ねた方も 別に 断られた腹いせに 何か 文句を言うわけでもなく
ああ…そやなぁ、 で収まってしまいます。
こんな会話が日に何回かあるし、違う人から同じようなことを訊かれていたら 仕舞いには 怒ってしまうかと思うと
今度はその本人が別の人に同じように訊いていたりします。
ちょっと話がややこしくなりましたが、二三日空いた場合に 久し振り とあいさつした次の言葉に よく使われていますね。

訊いている 中身は 他愛もない あいさつ言葉に近いのですが、 ひと昔前 商人の街 船場(大阪市内)では似たようなあいさつがありました。 まず、 まいど、(これは毎度ありがとうございます。を略してますね)
相手方も 同じく まいど、 そして次に出るのが どないや、儲かりまっか?
これに対応するのが いや、あきまへん、と手を振るか 若しくは ボチボチでんなぁ …と頭を掻く(笑)
あきまへん とは 大したことありません、の意味。
ボチボチでんなぁ、は 良くもないけど悪いこともない の意味合いでしょうね。
私が若いとき勤めていた繊維会社でも よく似た 会話ありました。
ただし 儲かりまっか とは言いませんでしたが、それに近い感覚の 会話はありました。
これはもう 何十年も前の話で 今では 経済の流通が大きく変貌を遂げて 船場辺りの 問屋街は見る影もありません。
それでも まいど、 と今でも気軽に声をかけるのは 私ら昭和三十年代の世代まででしょね。
関西弁にも流行り廃(すた)りはありますが まいど は是非 残していきたい 方言のひとつだと私は思っています。

話を戻しますが、 なんかいいことないか!? に対して最近 私は 別のあいさつで 対応しています。
それは
ええこともないけど 悪いこともあらへん。差し引き ゼロや(笑) とね^^;
私は 常用化しつつ あった なんかいいことないか…について 整理をしてみました。

ええこと …とは 一体 なんなんだろう~とね^^;
これを使う年代は 先ほど話しました昭和二十数年~三十年代に生まれている人がほとんどで じゃ 何があったら いいんだい!?と訊いても ああ…と言うまま 簡潔な答えが返ってきませんが
それどころか、そんなのわかるやろ~と
為心同心を求めてくるのです。
なるほど わかる 。
感覚として わかる…けど ハッキリした いいこと とは なんじゃろ!? と改めて尋ねても 相手は お手上げの形を見せて さぁ 仕事や 仕事や と逃げるように その場を立ち去ります。
たぶん 言っている誰もが いいこと について 明確な説明が出来ないと思います。
それは ナゼなのか!?
背景には 昭和生まれの今の置かれた立場の悲哀みたいなものがあるのではと私は感じました。
私ら五十~六十代は職に就いたら世の中は、高度経済成長の真っ只中でした。 給料は今考えたら驚くほど安かったのですが、その分、絶対就職できたし派遣や請け負いもなく みんなが社員で毎年毎年 給料が上がっていって 働いたらなんでも買えるぞ、夢と希望がありました。 私が最初貰った給料は、確か五万円くらいでした。 寮に入っていたので食費は掛かりましたが、寮費はただ、電気水道もただ(^^) お風呂はなかったので 近くの銭湯でしたが、 生活するための費用は二万円もあれば十分でした。 それで私の場合 次男でしたから いずれ家を建てなければ いけない ということで 毎月三万円を天引きされていました。 このように 天引き預金は今でもあるでしょうが、私みたいに給料の半分を積み立てていたのは 当たり前みたいな風潮でした。
独身寮で自炊をした経験はないので 毎夜 どこか喫茶店のピラフを食べたり 店屋物の出前を取ったり、ちょっと足を延ばせば 王将もありましたし、食べることに困ることはありませんでした。
それでも 調子よくお金を使ってると 給料前に ピーピー啼くことになります。
そんな時は インスタントの焼そばやラーメン を食いつないで 凌いだものでした。
私は 容姿もそんなに 悪くなかったので ワリとモテたんですが
運がなかったのでしょう… 相思相愛にならなかったのは唯一悔やまれるのですが、当時私は 硬派でしたし、 遊ぶ 器用さや割り切る柔軟性に欠けていましたね^^;
かなり脇道に逸れてしまいましたが、 昭和の五十年代 私が働き出した頃の背景はそんな感じでした。
給料は最初五万円ほどと話しましたが、ボーナスは3ヶ月くらいありましたし、翌年は七千円上がりました、又その翌々年も同じくらい上がりました。
整理して見ますと 五万円→五万七千円→六万四千円→七万円…
ザッと羅列しましたが、 私に限らず誰もがこんな感じて給料はどんどん上がっていきました。(^^) 今では考えられない夢のような話ですが、 当時は 辛抱しなさい、辛抱していたら 給料は上がるから…とよく先輩や親から 言われたもので 事実 上がりましたから、世の中 働くのはよいことだ。と皆が感じていたでしょうね。 それから 年月が過ぎて 現在に翔びます。
給料は 昭和と比較にならないくらい貰えますが、物価も上がってます。
学校で習いました、可処分所得…^^; これを引き合いに出すまでもなく お金の価値観が変わってきていますね。

それと 肝心なのは就職の安定さ 現在の環境の悪さとは これに尽きると思います。
昭和の時代、夜の食事は一家団欒で摂っていました。
父親がいて母親、祖母、兄…弟 どの家も 五人くらいが 一緒にごはんを食べていました。
そりゃ たまには 残業もあったでしょうが 基本 一家で食事をすることが 当たり前だったのですね。
それが いつからか 経済成長が突き進み 仕事量が増し 家庭がお座なりになりだしたのは…
昭和から平成に代わるころ バブルの全盛あたりから 家庭を顧みない、仕事一辺倒な時代になっていき バブルが弾けて 未曾有な不況が 日本をおおいだして から なにもかも おかしな方向へと湾曲していったのです。
バブル以前も日本人の勤勉さ は誇れるもののひとつでした。 それは今でも変わらないと思います。
たただ 余りにも 金儲け志向に走りすぎた帰来があります。
バブルが弾けて どの会社も瀕死の重傷を負って それでも 会社は存続させなければならない、 この使命感が強く噴き出た反動や 余りにも 片寄りすぎた輸出増大 の所為(せい)で 労働者の調整に苦慮した 結果 が派遣、請け負い業 です。 これは 会社にとって 実に都合のよい制度ができましたね。
自分ところの社員には キチンと給料やボーナスを払い 福利厚生や社会保障なども 保証する一方、 同じ仕事を別の会社(派遣会社、請け負い会社)の人にやらせるのです。
そして
為替が変動して会社に損失が出たら 契約を打ち切り 業績が回復すれば 新たに 契約をして人員を増やすのです。
会社の業績に合わせた 調整弁にされているのが 派遣業や請け負い業で働く人達です。日本が 終身雇用制度を採っていた時代 雇用が安定していたお陰で 治安も維持されていましたし、国民皆が貧乏でも 皆が 幸せでした。
それが今や 治安は悪化する一方ですし、多数が貧乏でも 一部だけだ 幸せ なんて 嫌な時代になりつつあります。
私らは 全てを体験してきていますから わかるのです。
なにかいいこと…
なんか探さなくても 毎日がいいことずくめだったのですね!

だから 冒頭の ボヤきみたいな あいさつになったのではないでしょうか。
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