寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

お酒の話し・・

2023年12月06日 07時26分29秒 | 笑い

おはようございます。

12月六日は お酒の日 といってもよいくらいの日です。1650年と言いますから江戸幕府が

出来て少し落ち着いてきた頃、三代将軍徳川家光の世になっていました。

 当時のお酒の本場は関西でした。その中の摂津の国 いまの大阪府ですが、ある造り酒屋で主人

から怒られた下男が、仕返しをしてやれ、と夜中に酒の仕込み樽に木炭を投げ入れて逃亡しました。

 翌朝、逃げた下男の事はまだ知らず何気なく酒樽を見廻っていた主人が、ある酒樽だけが 

琥珀色に澄みきっているのを見て驚いたそうです。

だって当時のお酒は今で言う 濁り酒で白いのが当たり前だったのです。

 ※「価なき 宝といふとも 一坏の濁れる酒に 豈まさめもや」 大伴 旅人

   あたいなき たからというふも いっぱいのさけにあにまさめもや

 万葉歌人の大伴旅人が詠うとおり日本酒は元々濁り酒でした。

主人が樽の中をよく覗いてみるとたくさんの木灰がそこに沈んでいました。

それでも試しにひと口飲んでみるとすこぶる口当たりがよい。

主人は、これを半樽二本に詰めて江戸に運び大名屋敷に行って一升二百文で売ったところが大評判。

これを清酒と名付けて何十万樽を船で江戸へ送りました。

江戸時代の豪商 鴻池の由来話でした。

 また ところ変わって米国。

1933年のこの日に禁酒法を解禁したのです。

米国って新しい国でしたので色んな人が集まっていました。中にはお酒は飲んではいけない、

と自分の信じる宗教に決まっていたので禁酒していたのですが周りは大酒飲みばかりで

飲んでは暴れ 暴れては飲む みたいな無法ぶりが横行していました。あまりに非道いのと

禁酒している人がいるのと両方の意見で1917年に禁酒法が出来ました。

後に禁酒法を逃れてヤミ酒が造られたりして中毒死になったり闇取引が横行して治安が悪くなりました。

これなら前の方がマシだった、と16年で禁酒法は終わりました。

お酒は百薬の長 と言われますが 何事にもそこそこが無難だと言われているようです。

※ 値無き宝は仏典の「無価の宝珠」を念頭に置いたもの。
「どんなに価値のつけられないほど貴重な宝と言っても、そんなものは一杯の濁り酒の価値に及ばない

という意味でした。

コメント
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