寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

好物♪

2015年04月09日 08時24分05秒 | 日記
この歳になると 楽しみは 食べることぐらいですが…^^;
私ら(1950年代生まれ)の年代は 貧しい…ちょっと語弊があるかも知れません。つまり質素な前近代的な暮らしから高度経済成長 を経て一遍に豊かな生活を体験して今日に至っています。
前近代的な暮らし向きとは たまにテレビで外国の貧困な暮らしを観ますが 正にあのままの生活を過ごしていたのです。
例えば物を作る作業は全て 手作業でした。 スーパーや量販店など無くて
買い物は全て個人商店でしたし、食べ物でご馳走と 言えば 中華そば、キツネうどん、親子ドンブ、チキンライス、チキンカレー…でした。
それも毎日食べられるわけでもなくて 年に数回、駅前の商店街の売り出しに出掛けて食事をするのが最大の娯楽でした。
だから日用品、衣類などもその時に買い込むので 普段 買い物とは無縁な暮らしです^^;
今から回想しても とても信じられないような話でした。
そんな生活でしたから
太った人などいません。 大人は手作業のお陰か筋肉質な体型でしたし、栄養不足な所為(せい)か子どもにアオ鼻を垂れている子が多かったように思います。
今はそんな子どもいませんよね^^;
そんな話を話題に出来る年代が私らでした。
三谷役員は九州のご出身で やはり同じような体験をして育ってこられました。
ちょっと違うのが、私は純農村でしたのに 三谷役員は炭鉱を中心にした街に住んでいらっしゃったそうです。 子どものころ 銭湯に行くと、周りに刺青を入れている人が多くて…たぶん炭鉱街は気が荒く、ヤクザ者なんかうろうろ いたようで^^; 自分も大人になったら あのような刺青を入れるんだなぁ…と子ども心に思っていたよ。と笑いながら話していらっしゃいました。
貧しい質素な暮らし振りでも地方によってこれほど違うのかと 感じましたが 同じころ私の実家はさすがに農村でしたから内風呂がありました。
内風呂とは 家の中にあるお風呂のことですが…五衛門風呂と呼ばれる 円形の木の樽にちょっと小さめな木の板を沈めて入るお風呂でした。
この木の板を敷かないと、熱くて足を火傷してしまいます。つまり下はコンクリートで出来ていてその下から薪や藁を焚いてお湯を沸かしていたからです^^;
お風呂の焚き番は幼少の私か兄、あるいは祖母でした。
風呂の焚き付ける薪や藁は後ろにドンと積んでいて よく見ると ヘビの脱け殻なんかがありましたっけ^^;
シャワーなんかもちろんなくて 水は 手動式のポンプで汲み上げていました。
まぁ ちょっと簡単に説明しても 想像つかないでしょうが、^^;
電気は薄暗く、質素な食事、粗末な衣類…どこに行くのも歩きか自転車…
何度も言いますが、 今から想像出来ない暮らしだったのです♪
不便などと今になれば思いますが、世の中全てがそうだったからみんな ノンビリ暮らしていたのですね♪ 成人病で悩んでいらっしゃる方は あの時代に戻った暮らしをしたら 直ぐに健康になるのではないですか(^^)

余談になりました。
コメント
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