シリーズ中の前作となる「塗仏の宴~宴の支度~」&「塗仏の宴~宴の始末~」の壮大なバカ騒ぎの余韻から醒めやらないまま「陰摩羅鬼の瑕」の分冊文庫版の上巻を手に取ってみた。書店に並ぶ上巻は初版2006年版にも関わらず、第1刷と書かれていた。つまり分冊文庫版として世に出てから7年の間も売れずにいたわけである。(ネットから購入した中巻では「2010年第5刷」だったので2006年の第1刷で印刷打ち切りとなっているわけではないらしい)そんな状況なので一抹の不安を抱きながら読み始める。
物語の割りと初期の頃に、目の見えなくなったという設定の榎木津によって犯人が指名される。(他人の記憶が見えるという奇特な設定の人物であるが、今回は病によって目が見えぬ設定となっており、榎木津自身が『誰の記憶を見た』のかが読者に見えないようになっている・・・この手があったか!)
しかしながら、(読者としては)既に犯人がわかっているのに周到に整理された状況証拠は、いかなる常識をもってしても犯人にはたどり着けないようになっている。これもまた巧妙なのであるが、この状況において京極堂が拝み屋として、どのような憑き物落としをやってのけるかという思いがページをめくるごとに募ってくるのである。
途中、投げ出したくなるほどに退屈な展開が続くが、最後まで我慢して読み続けて良かったなあと思う瞬間が来る。その結末は余りにも衝撃的で儚くて悲しい。幽玄な鳥の城、オビタダシイ数の鳥の剥製たち、人とかかわることなく孤独の中で生きる伯爵・・・一見、無駄に思える数々の調度類や由良家を取り巻く奇妙な環境も実は事件の真相を語るためには必要な要素であることに気づかされる。逆に言えばここまで見事に作られた世界であるからこそ、物語が今回のような結末であったとしても「奇妙奇天烈で到底あり得ないコト」に分類することが出来ない妙な説得力があるのだろうなあと思った。前作と比べると極端に登場人物が少ないけれど、読後の充実感は前作の「塗仏の宴」よりも比べ物にならないほどあると思う。
兎にも角にも本当に『こんな展開が待っていたとは夢にも思わなかった』感が読後ずっと続いていて、その重量感がなかなか消えない。そして、現在並行して読んでいる他の小説が薄っぺらくも思えてくる。これぞ京極夏彦の実力なのだろうか・・・。
分冊文庫版 陰摩羅鬼の瑕(上) (講談社文庫)
分冊文庫版 陰摩羅鬼の瑕(中) (講談社文庫)
分冊文庫版 陰摩羅鬼の瑕(下) (講談社文庫)
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