とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

夏目漱石『夢十夜』「第一夜」の授業

2017-09-08 10:53:43 | 国語
 夏目漱石の『夢十夜』の授業を行いました。高校3年生に対しての授業です。最初から細かく読むのではなく、大きな問いをひとつ与えて班で討議させ、発表させました。問いは
「『自分』にとって『百年』『待つ』とはどういうことか。」
 この問いについて根拠を示して回答しなさいというものです。かなり難しい。私もどう答えるのが正解かはわかりません。生徒は前向きに考えてくれて、様々な答えを出してくれました。そしてその様々な答えに刺激されて新たな答えを導き出した。刺激的な時間になました。

 最初に出てきた解答が
「『百合』という字は『百』と『合』という字が使われている。『百合』は『女』の象徴であり、『百年』『待つ』とは死後にもう一度出会うということを示しているのだ。」
というものでした。

 それに対して新たな意見がでます。
「『百年』『待つ』とは死後にもう一度出会うという意味では同じだが、『女』が死ぬ間際に涙を流す。その涙ははるか上から落ちてきた露と同じものであろう。だから、『女』は暁の星になったのではないか。」
という意見が出てきます。

 すると少し角度を変えた意見が出てきました。
「集中している時は時間が早く進んでいく。『自分』は『女』の言葉を信じていた。純粋に信じていたからこそ時間があっという間に過ぎていったのだ。」
という意見が出ます。だとすると「百年」「待つ」とはどういうことなのか、まで答えてくれればさらに発展したのですが、残念ながらこの指摘で終わってしまいました。しかしいい意見です。

 ところが文中終わり近くに「自分は女にだまされたのではなかろうか」という箇所が出てきます。そこを取り上げて意見が出てきます。
「この不信こそが、『自分』の『女』への愛だったのではないか。」
と言うものです。かなり哲学的です。わかったようなわからないような解答ですが、おもしろい方向に進む可能性のある答えです。

 時間がなくなってきた時に、
「『自分』が見ているすべての光景が実は『女』だったのではないか」
という意見が出てきました。おもしろい意見です。

 教えることが目的でなく、発見し発展的に考えることを目指していた授業なので、かなりうまくいったのではないかと思います。さらにもう一歩考えてもらう手立てを考え中です。
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1 コメント

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夢十夜の授業 (教育エジソン(山崎茂雄))
2020-09-18 11:04:15
 先生の適切なテーマ設定と自由な議論の投げかけで、さまざまな意見が出て、生徒たちも心に残る授業になったのではないでしょうか。
「この不信こそが、『自分』の『女』への愛だったのではないか」というのはおもしろいですね。この一抹の迷いと不信が、第一夜の「愛」にリアリティを与えているのですね。
 私がやってみた「夢診断士になって『夢十夜』を読む授業」、よろしければご覧ください。私のホームページで国語授業のページにあります。
https://www.ed-ed.net/blank-1
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