とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

夫婦別姓

2015-12-29 04:31:18 | 社会
〔判決は妥当である〕
 夫婦別姓の裁判のことが話題になっています。夫婦別姓の問題は現代の日本社会で重要な問題だとは思います。しかしこの裁判に対する意見は混乱しています。

 この裁判は夫婦同姓を規定した民法が合憲か違憲かで争っていたものです。夫婦同姓がいいのか、夫婦別姓も認めるほうがいいのかを争っている裁判ではないのです。それなのにそういう議論になってしまっているケースが多く見られます。ここにこの議論の混乱の一因があります。

 もちろん現代社会では夫婦別姓を認めるべきだという意見はよくわかります。私自身もそのほうがいいと思います。しかし、それと夫婦同姓が憲法違反であるという意見は次元の違う問題です。

 夫婦同姓は日本の伝統的な『家』という制度を前提としたものです。しかし時代は変わりました。夫婦同姓のせいで日本人の未婚化、晩婚化を推進している現実もあります。少子化が進む中、娘しかいない家族も増えなかなか娘を手放せなくなっています。あるいは逆に自分の親の面倒を見たいという女性も多く、昔ながらの男性の家に嫁ぐという形に抵抗があるのであります。夫婦同姓は現代日本社会にそぐわないものとなっているのは事実です。もう日本も夫婦別姓を認めるべきです。

 しかし、この家制度をひとつの柱として日本社会が成立してきたのは事実です。夫婦同姓というのも日本の伝統的な社会通念から言えば合理的な方法でもあるのです。だから違憲であるとまでは言えないという今回の判決は妥当だと思います。だから批判されるべきものではありません。

 だからこの判決を批判するのはおかしな話だと思います。議論を混乱させてはいけません。


〔時代にあった法律を〕
 それにもかかわらず、この合憲判決に批判的な意見が多くあります。また、最高裁判事の15人中5人が違憲判断をしているという事実もあります。

 私はこのあたりに日本社会の大きな変化を感じずにはおれません。

 わたしも古い世代の人間になってしまったため、これまでの大きな変化を好まないような日本の風潮に慣れてしまっています。だからこの合憲判断を当たり前だと感じているのかもしれません。しかし、このような変化の乏しい社会では現代の大きな変化についていけなくなってきているという主張もよく理解できます。変わるべきものはすみやかに変わらなければならないという風潮に変わってきたのかもしれないのです。

 安倍政権による安全保障にかかわる憲法解釈の変更も、時代の変化の節目としてとらえられるのかもしれません。もちろん、解釈改憲は許すべきものではなく、憲法改正をするのが筋だと思います。しかしの時代に必要なルールを作るべきだというのは、当たり前すぎる考え方です。

 伝統は大切です。しかし、時代にそった考え方も重要です。変化を恐れずに新しい時代を切り開くことが今求められています。

 夫婦別姓に話をもどせば、必要なのは判決を批判するのではなく、早く夫婦別姓を認める法律を作ることです。判決批判という筋違いなことをしていれば、逆に反感をかってしまうだけです。夫婦別姓を認めることはより「合理的」なことなのだから、前向きに活動することが本筋であり、正々堂々と主張していくべきです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする