本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

穴 と 呼びかけ。 : その後@8

2006-01-28 00:00:00 | その後
存在と無 下巻

人文書院

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【穴という概念】

サルトルは、人間存在にとって人生とは、「かなりの部分は、いろいろな穴を塞ぎ、いろいろな空虚を見たし、象徴的に充実を実現し確立するために過ごされる。」(『存在と無』1115頁)というように述べている。
このことは、われわれが、「満たされない」とか、「むなしい」とか、「空虚な感じがする」などというようなことを考える上で、も相互的に参照しうるし、同じように、あの養老孟氏が、

「若い人やフリーターは自分にあう仕事がないと不平を言う。しかし、自分は能力が高いのに、こんな仕事しか与えられないと愚痴るのは間違いだ。自分探しなどと言う考え方を教え込んだ大人の責任でもある。
  世の中が自分に合う仕事を用意しているなどと考えてはいけない。仕事とは世の中に開いている穴。穴の大きさをニーズという。穴を埋めると周囲の人が迷惑しなくなり、それなりのカネをもらえるようになる。それが仕事というものだ。」 (「日経新聞」2006年1月16日12面より)

というように、それを社会というシチュエーションにも応用しうる概念だ。加えて、ここでは、引用はしないが、最近ニュースなどでも、なにか、過失を行ったという意味合いで、「穴を開けた」というようなふうにも応用できる概念だ。

【穴と人間存在】

穴、というからには、養老氏がいうようにそれは与えられうる形を伴ったものでもないし、あらかじめ満たされているものでもない。サルトルは、ここでも何度も述べてきた対自-即自という概念を引き合いに出し、
「対自は、即自の単なる無化より以外のものではない。対自は、『存在』のふところに、存在の一つの穴として、存在する」(1124頁)
というように述べる。このことは、対自の即自へのアプリオリな無化作用というこれまでみてきた概念を想定すると、穴へのアプリオリな、挿入の可能性というように言い換えることができる。
穴という満たされて否状態であるがゆえに、挿入により、満たされることが必要となる。

【対他的な穴】

サルトルは、一般的には、禁忌されうるであろう言い方で、よりダイレクトに、
「女の性器の猥褻さは、すべての口のあいたものの猥褻さである。それは他の場合にすべての穴がそうであるように、一つの『存在-呼び求め』である。それ自身において、女は、侵入と溶解によって自分を実存充実へと変化させてくれるはずの、外からやってくる一つの肉体を呼び求める。また、逆に、女は自己の条件を、一つの呼び求めとして感じる。(中略)なるほど、女の性器は、口である。しかも、ペニスをむさぼり食う、貪欲な口である。」(1116頁)
というようにも述べている。
ここでの、記述に対しては、フロイト的な解説も、ハイデガーとの関連という観点からでも解説は可能であろう。
しかし、ここでは、その叙述を原理としてだけみていこう。
サルトルがいわんとしていることは、先の対自-即自存在のこととの関連から明らかになる。われわれは、多かれ少なかれ、空虚感に苛まれて生きている。それは、満たされることを条件とする。そのことで、実存充実へとわれわれは導かれることが可能となる。ということである。

満たされえぬ存在であるがゆえに、満たされることを対他存在として求める。そのモデルがここでみられるわけである。逆に言うと、この議論は、先に挙げた養老氏の引用についての議論へと膨らんでいくこととなる。

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