本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

正しい社会科の教科書。 : 松山情報発見庫#382

2006-01-09 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
“呼びかけ”の経験―サルトルのモラル論

人文書院

このアイテムの詳細を見る

これでいよいよこの本について述べるのは最後である。
つくづく思うが、澤田氏の本がなければ卒業論文は完成し得なかったであろう。(現時点では未完成)

-----

今回はサルトルの倫理思想がこの概念に集約されるとも言える「アンガジュマン」という言葉についてみてみよう。
人々が一般的にこのアンガジュマンという言葉から連想するのは、「社会参加」「政治参加」「現実参加」などの意味であろう。
しかし、これらのどちらかというと、容易に政治的な行動、示威行為と結びつきかねないような用法はサルトル自身インタビューの中で否定している使われ方であるようである。
サルトルは、アンガジュマンという概念に関して、
「作家のアンガジュマンは、伝達不可能なもの(生きられた<世界-内-存在>)を伝達することであり、それは共通言語のうちに含まれる脱情報の部分を用いることでなされる」(『シチュアシオンVIII』454/332)
というように述べている。

これは、これまでの記述で追ってきたように、「作家の」という言葉をとって考えるなら、一般的なモラルへの連関が見えてくるだろう。
「アンガジェした作家の真の仕事とは、指し示し明らかにし、瞞着を暴き、神話や物心を批評という酸に浸して溶解することなのだ」(『シチュアシオンIX』35/28)
というようにも述べている。
このようなことが必要となる背景には、
「だれもが状況に入り込んでしまっているのだとしても、そのことをみんなが完全に意識しているわけではない。多くの人は、自分の拘束状況を自分に隠すために、時を過ごす。〔…〕作家が参加していると私がいうのは、彼が状況に入り込んでいることについてもっとも明晰で、最も全体的な意識を持とうとしているからだ。つまり、彼は、自分と他人のために、この拘束=参加を無媒介的な自発性から、反省的なものにしようとしているのだ。」(『文学とは何か』98/83)
というようなことがあるからだ。

このように、アンガジュマンとは、作家という文脈からすると、繭に閉じこもってしまっている事実を、彼が<真理>と信じる形で指し示すことであり、私たち一般的な文脈においては、これまでのべてきたように、贈与することであるということである。
つまり、アンガジュマンとは、ほかでもない、贈与のことであり、他者へのコミュニケーションのことなのであろう。(簡略化していうと)

ps.
ここから怒涛のように未記述であった『存在と無』(上)の「対他存在」以降をようやく読解を得たということもあり、述べて生きたいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする