本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

アメール(amer)の泉 【寓話】 : その後@7

2006-01-27 00:00:00 | その後
アメールはいつも森の中を歩いていた。アメールは、探していたドゥース(doux)という名前の果物を。
彼はいつも歩き疲れると、森の茂みの中にある小さな泉の前で考えをめぐらせるために立ち止まることが習慣になっていた。
アメール少年は、その泉の水を眺めるのが習慣となっていた。
アメール少年がその泉を眺めているときあたかも彼は、泉の中に自分の存在が吸いとられていくように感じることがあった。

「この水はいったい・・・」

アメール少年はいつもそれから先にその問いを進めることができなかった。

「僕は歩いている・・・」

アメール少年は、普段自分が、ほかの連中より美しくありたいと強く思っていると感じていた。
アメール少年は、許せなかった。
自分を、こうやっていく当てもなく、森の中を歩き続けさせるこの森以外の自然を。
森以外の自然。
森以外の自然も間違いなく自然であったし、森であった。
それが、森でなく、森であるという、少なくとも、アメール少年が歩くことができないという意味での森であるという意味で、それは、アメール少年にとってはもはや森ではなかった。
彼は、どこかにドゥース(doux)という名前の果物があるということは知っていた。
彼は、それがどこか海の向こうの別の国から来た果物であるということも知っていた。
生みの向こうの別の国、彼にそれがどこの国かということは、まったく検討すらつかなかった。

というのも、彼が唯一確実といえることは、海の向こうというのは、あくまでのこの森の向こうということであり、その海の向こうという場所においても、そこは所詮森にすぎないということだけであった。

彼が、このドゥース(doux)という果物について知らないこと。
それは、今彼が止め処なく、探しているということからも、あまりに多い。
ほとんど彼はそのことについて何も知らないといってもいい。
その中でも、彼が徹底的に知らないというのが、
それが、douxというスペルなのかdouceなのかということである。
それが、海の向こうの言葉であるということで、彼はおよそその言葉を音でしか把握していなかった。
ドゥース。
それは少なくとも、果物であるということは彼にとっては確実なことであった


彼は、森の中にあるいろいろな果物に見えるものに気を掛けた。
彼は、そのドゥースという果物を探すということに関してほとんど狂信的でさえあった。
彼は実は、その果物似にた果物を食したことがあると思っていた。
しかも、ほんとうのところをいうと、何度も何度もそれに似たなにか別な果物を食したことがあると思っていた。

「どうしてだろう・・・」

彼は、それでも、それがただドゥースに似たものであるとしか感じれなかった。

何故そう感じるかは彼自身まったく検討つかなかった。
ただ、彼が追い求めているそれとはちがう。
そう直感するだけであった。
どこか、熟していすぎるという直感であったり、
どこか、甘すぎるという直感であったり、
あまりに硬質な枝にぶら下がっているとうう直感であったり、
彼が歩く森の中の木々をやたら怒り発たせすぎるという直感であったり、
なにゆえか、黄色く不気味な樹液をその木々が発し、なんとも嗚咽を覚えさせる芳を発せさせるというようなそんな気分であった。

アメール少年は、とにかくそのドゥースに似た果物を見つけたら、
自分のものに一度してみたいという欲求に突き動かされた。
正直なところをいうと、それはドゥース少年自身の自発的な考えということではなかった。
ドゥース少年を取り巻く森の木々たちが、彼をそういう気分に駆り立てるのであった。

「失敗するだろう」

彼はいつもそのドゥースに似た果物に対するときいつもそんな気分を味わっていた。
それでも、彼はその果物を食してみたいという衝動は抑えられなかった。
最初の内は彼はただその果物をふつうに口に入れるだけであった。

「失敗するだろう」

そういう強い気分に苛まれるようになった彼は、果物の食べ方を工夫しようと考えるようになっていた。彼の考えによると、自分がドゥースを探し出せないのは、食べ方を間違っているからではないかという気持ちがあったからだ。

「それにしても、どの果物もどうしてこれほどにうまいのだろう。
その艶といい、その味わいといい、房といい・・・」

アメール少年は、正直ドゥースという彼が本当に捜し求めている果物自体が見つからなくてもいいという考えさえ日々持っていた。
どの果物も、うまいからだ。
だが、一つ大きな問題を彼は抱えていた。

アメール少年が、ドゥースではない、その果物を食べるときはよいのだが、食べたそのしばらく後になんともいいがたい苦味が彼のしたの上に沈殿するのであった・・・

「ああも、甘くうまかった果物がどうしてこの味を毎回残すのであろう・・・」

彼が、本当のドゥースという果物があるという希望を見出したのは、そんなところからであった。

彼が、途方にくれたとき、いつも来るのが、この森の中にある泉であった。
水はよい、透明だから。澄んでいるから。

泉はきれいだ。
そういう想念はいつも、彼の

「この水はいったい」

という想いを起こすことになるだけであった。
ドゥースという概念が彼の頭の片隅においてあるかぎりにおいて、その水のおくそこに、ドゥースの幻影を彼はみてしまうのだ。

「どうして、おれは、こんな果物に取りつかれなきゃいけないんだ・・・」

彼は、その泉が濁って逝くのをみるにつけそんな気分を催した・・・
泉は静かだ。
あたかも、森の中を歩く人々が、その気分を嘲りといってみたり、挫折と言い習わしているのに近い気分を彼も感じた。
彼は、そういう気持ちを懸命に否定しようと試みたが、結局は無駄な試みに終わるということは、彼は知っていた。
それは、彼も、どれだけ背伸びをしてみようにも、他の人々と同じように森の中を歩くドゥースの幻影を追う人々にすぎないのだから・・・

泉の濁り。
上から他の原因によりもたらされたり、アメール少年自身がもたらしたり、
美しさを他の人より、求めたいと願っているアメール少年にとっては耐え難いことであった。
泉の濁り、
結局彼はそれにより、ドゥースという果物を捜し求めるという旅を続けなければならないということを宣告されるだけであった。
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