中日新聞の「くらしの作文」に「母在りて」というタイトルで、62歳の女性が投稿されていました。
私の胸ですやすや眠る孫娘の顔を見ていたら、亡き母のことが思い出され、涙がこぼれそうになりました。
私が生まれ育ったのは小さな島で、子どものころのトイレは家の外にありました。
かめがいっぱいになると、二つのおけにくみ出し棒で担ぎ、
畑へ運ぶのが母の仕事でした。
畑へ続く坂道を、バランスを取りながら運ぶのは、大変な作業だったと思います。
島外へ嫁ぐ私の荷造りを母としていた時
「あのとき、あんたを置いて出て行かんでよかったわ」と母が笑いました。
私が2歳のころ、母は体調を崩し島外の病院に入院したそうです。
やっと退院できたその日に、
しゅうとから「便所がいっぱいだから、すぐくみ出してくれ」と言われ、
「今日だけは勘弁してください」と泣いて謝ったそうです。
そんな生活の中で疲弊しきった母は、わずかな荷物を風呂敷にまとめ、
家を出る決心をしました。
置き手紙を書き、最後に一目だけと私の寝顔をのぞいた瞬間、
涙があふれその場に座り込んで、動けなくなったといいます。
初めて聞く話に、涙がこぼれ落ちました。
母がつないでくれた人生を幸せに歩んでこられ、
孫とも巡り合うこともできました。
感謝の思いは尽きることがありません。
以上です。
>私が2歳のころ、母は体調を崩し島外の病院に入院したそうです。
やっと退院できたその日に、
しゅうとから「便所がいっぱいだから、すぐくみ出してくれ」と言われ、
「今日だけは勘弁してください」と泣いて謝ったそうです。
泣けます。
昔のしゅうとは、思いやりというものがないんでしょうか?
お嫁さんを奴隷と思っていたんでしょうか?
こんな扱いが許された時代だったんでしょうね。
なぜ体調が治ったばかりのお嫁さんが、泣いて謝らなければいけないのか理解しがたいです。
しゅうとが、お嫁さんの体調が戻るまでやればいいのに。
それが人間でしょ。
腹が立つ!
いのちの歌
私の胸ですやすや眠る孫娘の顔を見ていたら、亡き母のことが思い出され、涙がこぼれそうになりました。
私が生まれ育ったのは小さな島で、子どものころのトイレは家の外にありました。
かめがいっぱいになると、二つのおけにくみ出し棒で担ぎ、
畑へ運ぶのが母の仕事でした。
畑へ続く坂道を、バランスを取りながら運ぶのは、大変な作業だったと思います。
島外へ嫁ぐ私の荷造りを母としていた時
「あのとき、あんたを置いて出て行かんでよかったわ」と母が笑いました。
私が2歳のころ、母は体調を崩し島外の病院に入院したそうです。
やっと退院できたその日に、
しゅうとから「便所がいっぱいだから、すぐくみ出してくれ」と言われ、
「今日だけは勘弁してください」と泣いて謝ったそうです。
そんな生活の中で疲弊しきった母は、わずかな荷物を風呂敷にまとめ、
家を出る決心をしました。
置き手紙を書き、最後に一目だけと私の寝顔をのぞいた瞬間、
涙があふれその場に座り込んで、動けなくなったといいます。
初めて聞く話に、涙がこぼれ落ちました。
母がつないでくれた人生を幸せに歩んでこられ、
孫とも巡り合うこともできました。
感謝の思いは尽きることがありません。
以上です。
>私が2歳のころ、母は体調を崩し島外の病院に入院したそうです。
やっと退院できたその日に、
しゅうとから「便所がいっぱいだから、すぐくみ出してくれ」と言われ、
「今日だけは勘弁してください」と泣いて謝ったそうです。
泣けます。
昔のしゅうとは、思いやりというものがないんでしょうか?
お嫁さんを奴隷と思っていたんでしょうか?
こんな扱いが許された時代だったんでしょうね。
なぜ体調が治ったばかりのお嫁さんが、泣いて謝らなければいけないのか理解しがたいです。
しゅうとが、お嫁さんの体調が戻るまでやればいいのに。
それが人間でしょ。
腹が立つ!
いのちの歌
でも小さな島での生活はそんなにきびしいものだったのですね
この方のお母さん本当によく我慢されましたね
でもそのお母さんの愛情をいっぱい受けて、この方の幸せにつながった
素晴らしいお母さんです
masaさんのおっしゃるとおり、なかなかひどい義父さんですね
奴隷とまでは思ってなくても、相手への思いやりが欠けていることは確かですね
>この方のお母さん本当によく我慢されましたね
でもそのお母さんの愛情をいっぱい受けて、この方の幸せにつながった
素晴らしいお母さんです
よく我慢されましたね。
お嬢様がいらっしゃたからでしょうね。
でも、今の女性なら我慢しないでしょうね。
お子様を連れて離婚されるでしょう。
どちらが幸せかわからないですが、私は今の女性の方が幸せだと思います。
>masaさんのおっしゃるとおり、なかなかひどい義父さんですね
奴隷とまでは思ってなくても、相手への思いやりが欠けていることは確かですね
昔だから許されたのでは。
今の時代で、このような義父さんは袋叩きでは?
終戦後に男女平等になり、
母親が「男が言う間違ったことにはノーと言えるようになったと」と
すごく喜んでいたことを思い出します。
それ以前は亭主が「黒」と言えば白いものも黒だった時代から解放されたのです。
島ではまだ封建制度が残って居たのでしょうか?
でも最近はそうなら何も我慢することはない
ある意味社会は成長しているんでしょう
でも苦労があって成長してそれを振り返る楽しみ喜びってもんもあるにはあるんでしょう
この方のご苦労が偲ばれます。
僕の母も姑のことは苦労したようですが僕にとっては大好きなばあちゃんでしたねぇ
私の父母も、とにかく牛や馬の様に働いていたことを覚えています。
農家にとって、婿や嫁(我が家は両貰い)は労働力として扱われていましたから・・・
多分、都会育ちのmasaさんには、理解しがたいでしょうね。
私が嫁いだ地域も、かなりこれに近い因習の所ですから・・・
今はずいぶん変わりましたよ~~
今の周りのお嫁さんは、強いですから・・・
くちこの伯母は、見合い結婚して、結婚後、すぐに妊娠したら、すぐだとみっともないと理由で、義父母から中絶を強要されましたよ。
くちこの祖母や、くちこの母が、産まさせてくれと頼みに行ったそうですが、結局・・・
不義の子でも、婚前子でも無いのに、です。
サメ氏の両親も、サメ氏の元妻を相当いじめたと聞いています。
近所で有名なほど。
ただ、どう生きるかは、自分が決める。
我慢するか、しないかは、自分次第ですね。
>終戦後に男女平等になり、
母親が「男が言う間違ったことにはノーと言えるようになったと」と
すごく喜んでいたことを思い出します。
この面では、日本が負けてよかったと思います。
>それ以前は亭主が「黒」と言えば白いものも黒だった時代から解放されたのです。
あぁ、そうなんだ。
女性にとっては、暗黒の時代でしたね。(苦笑)
>こういうことが多かったように思いますが少なくなったとはいえ今なおそんな人がいるんでしょうね
でも最近はそうなら何も我慢することはない
ある意味社会は成長しているんでしょう
今そのような舅さんがいたら、嫁さんから絶縁場を渡されるのでは。(苦笑)
>でも苦労があって成長してそれを振り返る楽しみ喜びってもんもあるにはあるんでしょう
この方のご苦労が偲ばれます。
耐えられたから、娘さんとも別れずに済んだのでは。
苦労が報われましたね。
>私の父母も、とにかく牛や馬の様に働いていたことを覚えています。
農家にとって、婿や嫁(我が家は両貰い)は労働力として扱われていましたから・・・
それだから農家にお嫁さんが来なくなられたのでは?
農家の娘さんも農家に出さないのでは?
>私が嫁いだ地域も、かなりこれに近い因習の所ですから・・・
今はずいぶん変わりましたよ~~
今の周りのお嫁さんは、強いですから・・・
ねこママさんは大変でしたでしょうね。
畑仕事は手伝い、会社勤めはされ、お子様たちを育て上げ、主婦作業もされ、休む暇なんてなかったでしょうね。
>くちこの祖母や、くちこの母が、産まさせてくれと頼みに行ったそうですが、結局・・・
不義の子でも、婚前子でも無いのに、です。
めでたい話を世間に恥だと中絶させるのですか!
そんな道理がまかり通ったんですね。(苦笑)
>ただ、どう生きるかは、自分が決める。
我慢するか、しないかは、自分次第ですね。
今は我慢しない!
ただし、帰られた娘さんやお子様を引き受けるご両親は大変だと思います。