団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

本屋で立ち読みして

2006-12-05 05:57:00 | 日記
昨日 家内と駅の三省堂で待ち合わせしました。たまたま週刊誌の「エコノミスト」を立ち読みしましたら児童文学家の高木敏子さんのインタビュー記事が載っていました。
高木さんは戦争のため12歳で家族全員を亡くされて、その後結婚されるまで一人で生きてこられたとのこと。そのあたりのことを「ガラスのうさぎ」という本にかかれたとのことです。
インタービューで印象に残ったのは「私は敗戦記念日の8月15日ではなく戦争を始めた12月8日に重きをおいているというようなことが書かれていた。日本はなぜ戦争を始めてしまったのか。そこを考えるのが重要ですというようなニュアンスだったたと思います。
さっそく私も「ガラスのうさぎ」という本を注文しました。
戦争というものは悲惨なものという認識をさらに強くしました。今 日本は多少右翼化しています。若者に戦争の悲惨さを伝えてみえる高木さんのような存在が重要だと思います。

下記にインターネットの高木さんのプロフィールを無断転用させていただきました。

児童文学家

高木敏子さん



 1932年、東京本所区(墨田区)に生まれる。 文化学院卒業。

 処女作「ガラスのうさぎ」で、78年に厚生省児童福祉文化奨励賞、 79年に 日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。2005年エイボン女性大賞を受賞。

 「ガラスのうさぎ」は旧版、新版、文庫版あわせて計220万部のロングセラー。
 英語、ハンガリー語ほか9ヶ国で翻訳されている。
 仏語、ポルトガル語、アラビア語での翻訳が 現在進行中。
 初めてのアニメ映画化「ガラスのうさぎ」は好評公開中。



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平和の尊さを訴え続ける
    
  

 もしも、あなたのお子さんが12歳で、米軍による東京大空襲で母と妹2人を一瞬にして亡くしたとしたら・・。そして、こんどは戦闘機による機銃掃射で父を亡くし、たった一人で、周囲の助けをかりて遺体を運び、火葬のための薪を集めてもらい、お骨にしようと奮闘するまだいたいけない少女だったとしたら・・。
 この胸が潰れるような「もしも」の現実を、「戦争」の渦中を、生き抜いてきたのが、高木さんだ。しかも、お父さんを亡くしたのは敗戦のわずか10日前、新潟へ2人で引っ越すというまさにその日、疎開先の神奈川県二宮町の駅でのこと。一人ぼっちになってしまったが、途方にくれる暇はなかった。「どんなことがあっても生き延びなければ」と悲痛な思いを胸に秘め、自分を奮い立たせる。埋葬許可書、火葬許可書を取るために奔走し、役所にも医者にも一人で交渉した「敏子ちゃん」は、まだ12歳。
 その前向きでひたむきな「交渉力」「行動力」には驚かされる。きっと、それらはたった一人で戦後の混乱を生き抜くために、天が授けてくれた「守り刀」だったに違いない。「人さまに笑われないように。人さまにご迷惑をかけないように」「人さまにやられて嫌なことはしない」「江井(旧姓)の娘として恥ずかしくないように」-折に触れ母がかけてくれた言葉も、少女を常に導いてくれていた。

 それから60年の歳月が流れた。今もなお、高木さんは明るい前向きなオーラを発散している。ピンクの縁なし眼鏡がよく似合ってチャーミングだ。「こう見えても、私は病気持ちで、膠原病のリューマチ、60歳のときは脳梗塞、63歳でアミロイドーシスという難病にかかって、あと3年の命と言われたんです。でも、ほらもう10年も過ぎちゃった」と笑う。新版の発行では、各章の最後に用語注釈をつけ、漢字にはふりがなを振った。そのため、黄班変性症を悪化させ視力を失った。「でも片目が見えるからそれでいいかって」。下町育ちは楽観的で威勢がいいが、「戦争のことを少しでも多くの人に分かってもらうために生きさせてもらってるんじゃないかな」と、しんみりする。話が心の奥深い傷に触れると、目が潤み涙がこぼれそうになる。


 子どもたちが小さいうちは家庭に専念、学校の役員を引き受け通した。下のお子さんが高校に入り、両親と妹の33回忌を終えた結婚20年目に「私の戦争体験」を自費出版する。それが出版社の目にとまり「ガラスのうさぎ」が誕生。本邦初のアニメ化には、お孫さんの言葉が生きている。「おばあちゃんの本にはね、難しい言葉がいっぱいあって分からないよ」-平和になった世の中では「学徒出陣」「灯火管制」「戦災横死」「国体の護持」など死語に近い。「 『焼夷弾』を雨あられのように投下ってあるけど、空襲のイメージが湧かないから、アニメにしたらもっと飛行機が何百機も襲ってくるイメージが湧いて分かりやすいよ」と。「戦争を知らない世代が増えてきていますが、戦争は体験して欲しくない。でも戦争の悲惨さやむごさは追体験できるはず」「今の子どもたち、少し幼いかもしれないけど、それでいいんです。しなくてもいい苦労はしなくてもいい。13歳が13歳らしく生きられる世の中をつくろうじゃないですか」-高木さんの言葉には強くて熱い願いがこもっている。

 「そうそう」と言いながら、高下駄を長いこと探し続けていた古武道を学ぶ孫の、とあるお店で下駄と遭遇した時の話を披露してくれた。「彼はお年玉などを集めても全財産5千円しかなかったんです。一本歯の下駄は6500円、どうしたと思います?」いたずらっぽく問う。「彼は誠心誠意つくして交渉して、お店の人の心を動かしちゃったんです」-祖母へお金を無心するのではない。祖母から孫へ伝わったものが確実にそこにはある。

 12歳から一人で生きることを強いられた高木さん。「なぜ、大人は戦争を止められなかったのか。なぜ、女性は反対するどころか、賛成をせざるを得ない状況で、夫や子どもにやっと『生きて帰って』と言うくらいの意思表示しかできなかったか」と心底恨んだ日々もある。「でも、選挙権がなく、そういう状況下ではやらざるを得なかったんですね」と、最近読んだという「国防婦人会」(藤井忠著 岩波新書)を紹介してくれた。

 「平和の時代を生きている私たちがまず平和を守っていくことが一番の責務です」 「戦争を起こすのは人の心。戦争を起こさせない、というのも人の心。みんなで戦争を起こさせない心の輪を広げていきましょう」と、微笑んだ顔にはもう涙はなかった。







 


コメント
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