新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月15日 その2 「もしかすると意外な情報」の訂正版

2024-05-15 10:21:15 | コラム
それは「日本は新聞用紙の世界最大の生産と消費の国」だった事:

このニュースを紙業タイムス社の週刊誌版Future誌の24年5月20日号に見て、私は思わず「へー。そんな事があったのか」と声を上げてしまった。もしかすると、意外だ等と感じたのは私だけかも知れない。

アメリカでは20年近くも前に土・日に紙の新聞を発行してする会社が無くなり、インターネットの圧力を悲しい程感じさせられていた。これ即ち、印刷(紙)媒体の衰退以外の何物でもなく、アメリカでは新聞用紙の需要も消費も10年程の間に60%以上も減少していた。

私はアメリカというかアメリカ人たちは情報源としては新聞には依存しないという事態になったのだろうと受け止めていた。実際に我が社は2005年に、インターナショナルペーパーは2007年から印刷用紙そのものから撤退を開始していた。我が国と大いに需給の事情が異なっているのだ。

ところが、我が国ではアメリカと違って未だに印刷(紙)媒体はアメリカ程には衰退していないようで、紙に印刷された新聞への需要に減少傾向は見られても、需要も消費も10数年間に30%程度の減少で収まっていた。即ち、情報源としての新聞への依存度は、速報性ではインターネットやテレビに劣っていても、アメリカ程に激しく低下していないという事。事実、私などは今でも毎朝欠かさずに熟読している。

アメリカの調査機関であるRISIが毎年発行する統計の22年版が、上記のFuture誌に掲載されていたのだった。それによれば、何と生産でも消費でも我が国が1位だったのだ。認識不足と反省すべきか。もともと新聞用紙は担当(専門?)外の分野だったので、それ程細かい点にまで関心が無かったが、まさか1位だったとは想像も出来ない事だった。その統計を引用してみよう。

22年度の生産量(単位000トン)
1位 日本   1,854 △6.3%
2位 カナダ  1,847 △4.1%
3位 ロシア   982  △17.3%
4位 ドイツ   908  △13.7%
5位 中国    900  +6.4%

6位以下はインド(+43.7%)、フランス(△15.8%)、スウェーデン(△7.6%)、韓国(+6.5%)、ノルウエー(+7.5%)なのだが、アメリカはUKに次ぐ12位で△16.2%なのだ。何故、これほど低位に沈んでいるかは別途説明する。

消費量では1位が我が国で△6.3%、2位がインドで+21.0%、3位は中国で△12.6%、4位はアメリカで△12.0%、5位はドイツで△12.9%、以下UK、韓国、イタリアとマイナスが続き、フランスはプラス、カナダとなっていた。

アメリカが生産量は12位と我が国の20%にもならない少なさにも拘わらず、消費量では4位に上がってくるのには訳がある。それは、長い年月カナダからの輸入紙に依存してきたからである。だから、カナダは生産量では2位でありながら、消費量は10位に下がるのだ。この点はカナダの人口が3,820万人とアメリカの11%程度だという事から考えても解る事だ。

インドの消費が21%も伸びているのは人口が14億と中国を超えた事もあるが、10数年前に紹介したタイ国の製紙会社の経営者の印象的な予言を再録して終わりにしよう。それは「世界中で紙の新聞が消滅する時が来ても、インドだけにはこれまで通りの新聞が残り、需要は続くだろう」というもの。この人物が何を言おうとしたかを考えて貰うのも興味深いと思うのだ。


意外かも知れない情報

2024-05-15 07:32:16 | コラム
日本は新聞用紙の世界最大の生産と消費の国だった:

このニュースを紙業タイムス社の週刊誌版Future誌の24年5月20日号に見て、私は思わず「へー。そんな事があったのか」と声を上げてしまった。もしかすると、意外だ等と感じたのは私だけかも知れない。

アメリカでは20年近くも前に土・日に紙の新聞を発行してする会社が無くなり、インターネットの圧力を悲しい程感じさせられていた。これ即ち、印刷(紙)媒体の衰退以外の何物でもなく、アメリカでは新聞用紙の需要も消費も10年程の間に60%以上も減少していた。

私はアメリカというかアメリカ人たちは情報源としては新聞には依存しないという事態になったのだろうと受け止めていた。実際に我が社は2005年に、インターナショナルペーパーは2007年から印刷用紙そのものから撤退を開始していた。我が国と大いに需給の事情が異なっているのだ。

ところが、我が国ではアメリカとは未だに印刷(紙)媒体はアメリカ程には衰退していないようで、紙に印刷された新聞への需要に減少傾向は見られても、需要も消費も精々10数年間に30%程度の減少で収まっていた。即ち、情報源としての新聞への依存度は、速報性ではインターネットやテレビに劣っていても、アメリカ程に激しく低下していないという事。事実、私などは今でも毎朝欠かさずに熟読している。

アメリカの調査機関であるRISIが毎年発行する統計の22年版が、上記のFuture誌に掲載されていたのだった。それによれば、何と生産でも消費でも我が国が1位だったのだ。認識不足と反省すべきか。もともと新聞用紙は担当外の分野だったのそれ程細かい点にまで関心が無かったが、まさか1位だったとは想像も出来ない事だった。その統計を引用してみよう。

22年度の生産量(単位000トン)
1位 日本   1,854 △6.3%
2位 カナダ  1,847 △4.1%
3位 ロシア   982  △17.3%
4位 ドイツ   908  △13.7%
5位 中国    900  +6.4%

6位以下はインド(+43.7%)、フランス(△15.8%)、スウェーデン(△7.6%)、韓国(+6.5%)、ノルウエー(+7.5%)なのだが、アメリカはUKに次ぐ12位で△16.2%なのだ。何故、これほど低位に沈んでいるかは別途説明する。

消費量では1位が我が国で△6.3%、2位がインドで+21.0%、3位は中国で△12.6%、4位はアメリカで△12.0%、5位はドイツで△12.9%、以下UK、韓国、イタリアとマイナスが続き、フランスはプラス、カナダとなっていた。

アメリカが生産量は12位と我が国の20%にもならない少なさにも拘わらず、消費量では4位に上がってくるのには訳がある。それは、長い年月カナダからの輸入紙に依存してきたからである。だから、カナダは生産量では2位でありながら、消費量は10位に下がるのだ。この点はカナダの人口が3,820万人とアメリカの11%程度だという事から考えても解る事だ。

インドの消費が21%も伸びているのは人口が14億と中国を超えた事もあるが、10数年前に紹介したタイ国の製紙会社の経営者の印象的な予言を紹介したので、ここに再録して終わりにしよう。それは「世界中で紙の新聞が消滅する時が来ても、インドだけにはこれまで通りの新聞が残り、需要は続くだろう」というもの。この人物が何を言おうとしたかをお考え願うのも興味深いと思うのだ。


矢張り野球観戦は面白かった

2024-05-12 07:18:13 | コラム
DeNAが7点差を逆転した面白さと痛快さ:

私は昭和20年(1945年)に中学1年生で蹴球部に入った、言うなれば筋金入りのサッカー人であるはず。だが、これまでに何度も「見るスポーツとしてのサッカーは、残念ながらベイスボール(発音記号通り)には及ばない」と認めるような事を言ってきた。物書きを始めた頃に「野球はその辺の草野球でも結構見ていて楽しめる性質だが、サッカーは余程競技そのものに精通でもしていない限り、点が入らなくて見ていても詰まらない」となってしまう。

その野球の面白さを、昨日のDeNA対阪神の試合で「これこそ野球観戦の醍醐味か」と感じさせられた程味わった。NHKがBSで中継していた事に気が付いていなかったので、Yahooニュースで阪神が3回までで9対2と圧倒していると知ってPCを切ってテレビに向かった。正直な事を言えば「また、DeNAが雑な試合をやっているのか」と思っていたが、何故か何となく「DeNAがひっくり返すのでは」と閃いてきた。

いざ試合を観れば、阪神は伊藤将司を先発に起用していたので「もしかすると、ひょっとするかも知れない」と見た。それは今年の伊藤は昨年程の切れ味がなく、先頃も1回に乱打されて交代させられていた記憶があるし、解説の藤川球児も「全般的に高めに浮いている」と指摘していた。果たせるかな5回に強打者でもない京田陽太に風に乗せた満塁の2塁打までで5点も取られてノックアウトとなった。

実は、5回にはこの満塁の好機に不思議な事に「左対左の場面だが、京田でも何とか出来るのかも知れない」という気がしたかと思えば、ライトの頭上を越す大フライボールを打って走者一掃にして見せたのだった。解らないものだと思った。でもその後に、DeNAはノーアウトで伊藤光が二塁打を打ちながら無為。さらに一死一三塁で京田がダブルプレーに討ち取られるなど、2点差の儘だった。それでも「逆転があるかも」と閃いていた。

8回の裏に岡田彰布監督は安全策を採ったのだろう「走者を出しても失点をしない左投手」の岩崎優を出してきた。そこで走者を置いて準レギュラーでもないような蝦名達夫が出てきた。藤川球児は何度か「左投手から10打数6安打で得手としている」と繰り返した。当方は閃きというか「ここで蛯名がホームランを打てれば同点だが」と考えていると、センターオーバーの物凄いホームランを打って一気に同点とした。「なる程、こういう形でDeNAは追いつける事だったか」と感心した。

ところが、その後に4打席凡退の筒香嘉智が「ゴーゴー筒香」の応援歌に乗って登場。閃きは「もしかすると、ひょっとすると、ホームランでも打ってしまうのかも」と来ていた。モメンタムを掴んだ勢いは凄いもので、NPB有数の左投手岩崎から筒香は打った途端に確信の表情で右手を突き上げる動作をして走り出した。球の飛んだ方向を見なくても解る大ホームランだった。即ち、10対9と引っ繰り返しに成功したのだった。

話はここで終わらなかった。「4番の牧秀悟も打てばなお一層面白いな」と期待した瞬間に、替わって出てきた岡留から鮮やかなホームランを左翼席深くまで打ち込んだのだった。藤川球児は「牧の4番打者の誇りと意地が打たせたホームラン」と賞賛した。「閃き」とは言ったが「こういう展開になれば面白いのだが」との希望的観測が全て実現してしまった、何とも言えない面白さと感動を充分に味あわせて貰えた凄い試合だった。

このように一度モメンタムに乗ったら凄い試合をして見せてくれるのが、DeNAのDeNA足るところなのだ。5点を取り返した後に2度も絶好のチャンスを逃して「もう駄目かな」と思わせても、岩崎優程の投手から2人続けてホームランという、2度と出来るかなというような離れ業をする所が魅力だろう。そこにもう少しで良いから緻密な試合展開が出来るようになれば、阪神も読売も蹴散らして優勝出来るかも知れない。

すると、今永昇太がアメリカに行ってしまった穴を埋めるのが焦眉の急だろう。残すは三浦大輔監督の力量(器量)なのかも知れない。何れにせよ、野球の面白さを存分に味わえたし、「閃き」が外れなかったのも快感だった。見方を変えれば「アメリカ発祥の競技の方が英連合王国からでたサッカーよりも面白く観戦出来るのが国民性の違いかな」となる。ではあっても、阪神を引きずり下ろして5月と雖も読売を首位にしたのは遺憾だ。

自民党政権の危機ではないのか

2024-05-11 08:43:14 | コラム
岸田文雄総理/総裁は何処までの自覚症状があるのだろうか:

1953年だっただろうか、選挙権を与えられて以来ズーッと自民党政権だったとすら感じている程、この政党は信頼されて我が国を古い俗な言い方である「戦争による荒廃」から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と、崇拝する外国人にも言って貰えるまでに成長発展させたのだったと思う。だが遺憾ながら、現在の自由民主党の何事でも纏めきれない体たらくを、これでもかと見せつけられると「権力は腐敗する」って本当だったのかと痛感させられる。

テレビ的にはスターである政治ジャーナリストたちの批評は「岸田文雄総理/総裁は何としても政権を維持し、総理大臣の座から降ろされる事態が生じないようにと全力を尽くしている」と批判しているように聞こえてならない。それが現状を正しく現状を表現しているのだったならば、そんな事で良いのだろうかと疑問に感じてしまう。

現在の「政治資金規正法」の改正案が与党内で纏めきれずにいる有様を見ると、「目的は手段を正当化する」=End justifies the means.であり、検索すれば一部には「嘘も方便」と訳している例もある。この点も某大学教授が指摘された「自民党は政治資金パーティーを止められないだろうし、政策活動費の全面改正など資金源を断つような事が出来る訳がない」の皮肉が「これでもか」という程表しているのではと感じた。

私が政治を論じる場合には「全てマスコミ報道に出てきた事柄だけを基にしている」と、何度か予防線を張ってきた。即ち、55年体制からずっと政権を維持し、何とかなってきていたのだったが、故安倍晋三元総理が不慮の死を遂げられて以来、それが原因で崩れたのか、そもそも崩れても不思議ではない程度(低度?)の者たちの集団だったものを故安倍元総理が覆い隠しておられたのかと何れかと思う事もある程、醜態を曝している。

それが岸田内閣の低支持率となって現れたのだと見えて仕方がない。岸田総理/総裁は大英断だったのか、窮余の一策だったのか知らないが、派閥の解消という策に打って出られた。だが、拍手喝采とはならず「自分が宏池会の長でありながら総理大臣になっていたとは」との批判を浴びる結果になった。派閥を無くして為に党内がかえって「烏合の衆」の如くになってしまった感があるのは何故だろう。

私には岸田文雄という希代の政治家は(今日までに岸田氏のような総理が出たか?)大目的として「自分の政権と総理大臣の座は明け渡さない」と「何とかして我が国の景気を立ち直らせて実質賃金が物価上昇を上回るように、デフレもインフレも克服しよう、円安も克服しよう、国民の安全を保障しよう、中国の脅威から守ろう、西側諸国の一員として恥ずかしくないように外交を等々」も追求しようとされているとしか見えない。両立するのかと疑問に感じるのは誤りかな。

田崎史郎氏は「岸田総理は何でも自分で対応し処理されようとしておられるし、自分はこの難局の下で上手くやっていると確信しておられる」と語っていた。迎合するような事を言えば「一国の総理たる者、それくらいの意気込みと気骨と信念と自信を持って事に当たるのは当然」であり「俺は何をやっても上手く行かない。どうすれば良いのか」などと迷っていられてはならないのだ。「問題は目指している方向が正しく、対応が適切である事」では。

古い言い方に「君側の奸」というのがある。私が常に不安に感じている事は「総理は側近に人を得ていないのではないか」がある。そういう批判をする方々の対象になりそうな人物が誰かは、私がここに名指ししようとするまでもあるまい。また、総理が指南役であり相談役に仰ぐのは麻生太郎副総裁である。これもある政治ジャーナリストの嫌味だろうが「麻生さんは悪夢の民主党政権を招来した際の選挙に敗れた総理/総裁」というのがある。

何時も「岸田さん奮起して下さい」と言って締めてきたが、あの政治資金規正法改正案を公明党との間で纏めきれずにいる様を見せつけられては「自民党員全員は立憲民主党に政権を奪取されないように奮起せよ。彼等は全選挙区に候補者を立てると言っているのだから」に変更せねばなるまいと本気で心配している。