新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月23日 その2 カタカナ語排斥論者が本音を言えば

2024-05-23 14:52:48 | コラム
「カスハラ防止条例案」の「カスハラ」と聞いて本気で思うところを言おうと思った:

回りくどいことを言うのではなく「本当に思っていることを真っ向から言わないことには、何を主張したいのか理解して貰えないのでは」と懸念して、この際本音で行こうと思うに至った。

情けないことが流行ってしまったものだと何時でも憤慨している現象がある。それは「キチンと自分の国の言葉である日本語で物事を表現すべきなのに、妙に格好を付けて良く理解も認識も出来ていない中途半端に覚えた英語の単語をカタカナが気にして使う人が余りにも多いこと」だ。本心から言う事は「そういう言葉を遣うのを即刻お止めなさい」なのである。

既に取り上げた「パワハラ」などは「権力者または上司による権力や威力の濫用による迷惑または嫌がらせ」とでも素直に意味が解るような日本語で言え」という意味の指摘もしてあった。「これでは長すぎる」と言うのならば「権力濫用の迷惑行為」でも良くはないか。ここはアメリカでもUKでもない日本国なのだから日本語を使え。言って置くが、英語の世界でのharassmentの使い道は“sexual”と“racial“しかないのだ。

それなのに、英語の勉強で単語ばかり覚えされられた悪影響で「意味」だけ知ったので、「これだ」とばかりに何でも「ハラスメント」(=harassment)を濫用して「カスハラ」だの「モラハラ」だの「マタハラ」だのとんでもなく珍奇な「マルハラ」まで粗製濫造して見せた輩が何処かにいるのだ。ここまで来ると、もう笑うしかないのだ。

先ほども取り上げたことを拡張してみるのだが、単語を覚えても文法を正確に理解出来なかったので、「カスタマーハラスメント」ではなく「カストマーハラスメント」なる用語まで創造した。これは“harassment by customer“とすると文法的に意味を為すのだと指摘済み。ここには「発音の表記の仕方と、文法の誤りがあるぞ」と言ってやりたい。”customer“の発音記号を辞書で確認したら如何か。

こういう理論的なおかしさを指摘するのもカタカナ語排斥論者(兼英語評論家)の重要な仕事だと思うが、他にも嘆かわしいと指摘したいことは山程ある。その中から少しだけ気になる例を幾つか挙げておこう。

その一つが「ローマ字式表記」である。我が国に事務所を開設するかという話題になった「北大西洋条約機構」=NATOの発音は断じて「ナトー」ではない。「ネイトー」である。元の発音を無視して勝手にローマ字式で表記されている例は多すぎる。「砂漠の中の水と木がある緑地」を意味する“oasis”は「オウエイシス」であって「オアシス」ではない。「愛国者」の“patriot”は「ペイトゥリアット」で「パトリオット」ではないのだ。

未だある。“stadium”は「ステイデイアム」ではあっても「スタジアム」ではないし、“security”は「セキュアラティー」であり「セキュリティ」などと発音するnative speakerに出会ったことなどない。「ミッション・インポッシブル」は酷すぎるが、正確な発音のカタカナ表記はしないで置く。

次は単語の意味だけを覚えたらしく、「この店の料理は量も多くあるし、良い食材が使われていて、味も素晴らしかった。このレストランの常連客になりそう」と言いたかったはずの若い女性が「ボリューミーでクオリティーも高いし味は最高。リピーターなりそう」と言ったのをテレビのニュースだったかで見た時には毒気を抜かれて、言うべき言葉を失い「こんな出鱈目な日本語、じゃなかったカタカナ語を話す若者を誰が作ったのか」と叫んでいた。

最後にもう一つ情けない例を「ベストを尽くす」だの「自己ベスト」なんていう漢字の熟語との複合語というか合成語等を年がら年中聞かされていると本当にウンザリさせられる。学校では「ベスト」即ちbestは形容詞の最上級であり、名詞の前に来るべき単語で、名詞として使う時は「最も良いもの」か「最上のもの」を意味すると教えていないのかと腹立たしいのだ。単語を好い加減に覚えさせるから濫用し、誤用するのだ。困ったものではないか。

因みに、「ベストを尽くす」は「できる限りの最善の努力をする」であるだろうし、「自己ベスト」とは「自己最高記録」のことだろう。カタカナ語は表音文字である英語の単語が元だ。それを表音文字であるカタカナ語を使って表すのがおかしいと思わない神経を疑う。

結論めいたことを言えば「だからと言って、えいごの教え方を改善せよ」等とは言わない。それは我が国では圧倒的多数の方々が日常的に英語で会話をするとか、仕事をすることなどあり得ないし、英語での自己表現の能力など万人が必要としている訳ではないのだから。矢張り、従来通りにTOEICやTOEFLや英検で好成績を挙げる為の、試験の為の試験を乗り越えていけるように教えていくので良いと思う。

ここまでの私の主張に対して、「何を言うのか。貴殿は間違っている」と異論がおありの方は、何卒遠慮なくお聞かせ下さい。

東京都の「カスハラ防止条例案」の考察

2024-05-23 08:05:04 | コラム
カストマーハラスメント(カスハラ)を考えてみれば:

今週、東京都が数多く発生する所謂「カストマーハラスメント」(カスハラ)を防止すべく条例案を策定したとNHKが下記のように報じていた。

>引用開始
客からの迷惑行為などのカスタマーハラスメント、いわゆる「カスハラ」を防ぐ全国初の条例の制定を目指す東京都が、客のほかに、役所の窓口を利用する人などもカスハラを行う対象とし、官民を問わず対策を求めるとする素案を取りまとめたことがわかりました。

全国初のカスハラを防ぐ条例の制定を目指す東京都は、これまでにカスハラを「就業者に対する暴言や正当な理由がない過度な要求などの不当な行為で就業環境を害するもの」などと定義づけるとともに、罰則は設けない考えを示しています。(以下略)
<引用終わる

「尤も考え方だろうな」とは思って聞いた。実際にそういう場に出会う経験などなかったが、役所の窓口で係員に向かって暴言を吐くことや、甚だしきは鉄道の駅で係員を殴打するような輩から担当者を防御しようというのが東京都の意図だと読める。

だが、テレビにニュースで流されている例には「タクシーの運転手さんに向かって暴言のみならず悪口雑言を浴びせるだけに止まらず、暴力を振るう、料金を踏み倒す」とか「旅館の対応に苦情を言うだけではなく謝罪の土下座を要求した客の場面のような例」なのである。このような悪行というか卑劣な行為は“harassment“の範疇を遙かに超えている犯罪であると思う。役所の窓口での暴言にしたところで同様ではないのか。

自慢にも何にもならない話だが、私のような業界でも「直ぐに怒る人」と定評があった短気な性格の場合に、仕事の面での多忙さ為に、何らかの欲求不満となっていたか、精神的乃至は感情的に緊張が募っている時(ストレスのことだ)には爆発して、他人様に向かって怒鳴るとか当たり散らすことがあり、顰蹙を買っていたものだった。このような恥ずべき行為が“harassment”ではないのかと理解している。

先日も取り上げたことで、我が国では既に「パワーハラスメント」に対する条例まで設定されているそうだ。このような「権力の濫用」(=abuse of power)は「カスハラ」とは異なる面が多いと思って聞いて(見て)いる。それは「上司が部下を叱責することをハラスメントである」とする傾向があるとかで、これでは迂闊に昇進して部下など持たない方が良くなるのかもしれない。

私が「厄介なことを決めようとしているのではないのかな」と思ってみているのだが、その訳は「上記のようなかなり幅広い概念というか現象を、カタカナ語を使って一括りにして定義してしまい、該当する行為しないように注意せよ」と決めるのは如何なものかと思うからだ。即ち、harassmentの標的にされた人が「サラリ」と受け流せば何でもなくなるが「とんでもない大迷惑な不当な行為だ」と憤慨されれば立件されてしまうだろうから。

私の経験では、工場の事務方の重要な案件の処理が遅く、我が国の得意先から強硬な苦情を申し立てられた時に、その事務方を電話で「事務処理の遅れで我が社が危うく信用を失うところだったし、私は顔を潰された。反省せよ」ときつい口調で叱りつけた。すると、彼はなんと副社長に「彼奴に不当に責め立てられた」と訴えたのだった。

副社長から「何を言ったのか」と直ちに電話が来たので、「事務方には言われた期間内に速やかに処理する責任があると知れと言った」と、詳細を説明した。彼は「解った。工場の事務方には俺から説明しておくから、忘れても良い(You may forget it.)」となった。思うに、事務方はきつい言い方からharassmentを受けたと考えたのだろう。反省点は「言うべき事を言う場合でも、表現に気を付けなければならない」だった。

終わりにカタカナ語排斥論者兼英語評論家から一言。「カストマーハラスメント」=customer harassmentではカタカナ語として理解されているようだが、英語としては宜しくないのだと思う。行為の当事者をcustomerと言いたいのならば、harassment by customerとでもしないと意味を為さない。また、理屈を言えばcustomerは「商店か企業の顧客」の意味であり、役所に用事があって訪れる方はその範疇には入らないと思うのだ。

でも、最早「カストマーハラスメント(カスハラ)」が日本語に戸籍を得て通用してしまっている以上、「使いたい人が使われることを阻止しようとはしない」のである。だが、「カタカナ語を創る場合には、チャンと英語の意味を理解してからにしたら如何か」と言って終わろうと思うのだ。