新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月17日 その2 我が国とアメリカの大学の授業料

2024-05-17 16:00:26 | コラム
東京大学が10万円引き上げを検討中とか:

報道によれば、東京大学は授業料を現行の535,800円から10万円程上げて、642,960円とする検討に入った」とあった。私が承知している限りではと言うか、世間にも知られているように、我が国の大学の授業料はアメリカと比較すれば経済的であるようだ。言うまでもない事で、ここに取り上げているのは授業料だけであって、年間の学費の総額ではない。

試しに検索してみれば、かのハーバード大学の授業料は$57,261とあった。これは$1=¥155の為替レートで換算すると8,875,500円程になるのだ。東京大学の値上げ後の額の13.8倍になっている。ここには円安の影響が見えるが、為替が$1=¥100になったとしても8.9倍なのだ。現実に東海岸のハーバードまで行けば、寮費や食事代が加わるのだから、年間の学費の総額は軽く10,000,000万円超となってしまうのだ。

この辺りを捉えて、私は「アメリカで富裕な家庭に生まれ育ち、尚且つ頭脳明晰で学業成績も優秀な精鋭たちが、経済も政治も支配していくことになっている」と指摘し続けてきたのだ。現に副社長は長男と長女をIvy leagueの大学に送り込み、リタイア後に大学院大学の教授になった元の上司は長男をカリフォルニア州の有名な私立のcollegeに、長女はIvyのBrownにと1年置きに送り込んだ。1980年代でもその学費は合計で約20,000,000円に達していたと聞いていた。

それではと、我が国の私立大学では幾らになるのかと調べてみることにした。そこで、恐れ多くも四大私立大学の中に加えて頂いた我が上智大学で如何ほどかと検索してみた。440,000円とあった。為替レートを$1=¥155としてみると、何と$2,838となり、アメリカドルで考えるとハーバードの20分の1となったので、計算間違いかと思ってやり直した。尤も、ここには円安という重大な要素があるのを忘れてはなるまい。

何故、これほどアメリカと我が国では違いがあるのかは、ここで論じるよりも、アメリカの友人知己の見解も聞いてみようかと思って、先ほど照会するメールを送って置いた。また、YM氏にも訊いてみるのも良いかと思案中である。


J1リーグのサッカーを見て落胆させられた

2024-05-17 07:00:56 | コラム
余り批判的なことは言いたくないが:

一昨日の話で遅くなってしまった。NHKのBSだったと思うが、Jリーグの東京ヴェルディ対ガンバ大阪の試合を観ることになった。残念なことだが、結論から言ってしまえば「ウンザリするようなサッカー」だった。

「何でこんな消極的なサッカーをするのだろう。U-23の代表の若手たちは意欲的に熱気溢れる積極的な攻撃サッカーをやっていたのに、年長者のリーグ戦ともなると、この後方と横方向への展開ばかりになるのか」と嘆かせられた。

ヴェルディと言えば嘗ては往年の大スターであるラモス瑠偉、三浦知良、北澤豪、武田修宏、柱谷哲二等々(の往年)の名手をずらりと揃えて、一時代を築き上げた凄いサッカーをする素晴らしいティームだった。それが、時代が変わるや2部に落ちていたものが、やっとJ1に上がってきて、監督も名監督の誉れ高き城福浩だった。

一方のガンバと聞けば真っ先に思い浮かぶのはキックの(だけではないが)名手遠藤保仁である。その他にも良い選手を擁して、これもガンバ時代を出現させたと評価していた。勝手なことを言えば、この両者が当たるのであれば、さぞかし「手に汗握る」熱戦を展開するかと、浅はかにも期待していた。

だが、現実に展開されていたサッカーはといえば、はWMフォーメイション時代に育った古き良き時代のサッカー選手だった私には「見ちゃいられない凡戦」で消極的な暇さえあればバックパスばかりで、甚だし場合には「折角、相手のペナルティエリアまで入りながら、ノーマークの者がいないとみるや攻撃を諦めて後方へのパスを続け、遂にはGKにまで戻してロングキックで再度前方への展開を図るというような愚挙までする」のだった。

この後方から横へのパス交換を恰も積極性の如くに両方で展開し続けるのだから、ボールの保持率は何時まで経っても50%同士という事になってしまう。このような消極戦法で試合を進めながら、意外にも後方から無用な当たりをして相手を転がして、本当なのかどうか、痛さにのたうち回らせるような乱暴なプレーが多く、イエローカードも何枚か出ていた。何か積極性をはき違えているのかと思わせられて、余計にウンザリさせられた。

こんな試合を見続ける程暇ではないと腹が立って、チャンネルを変えた。後で検索してみれば0対0の引き分けに終わっていた。「あの有様では、そんな事だろう」と納得した。あんなサッカーを見せられてウンザリさせられたし、つまらない試合を観てしまったと後悔までする始末だった。

U-23の代表のようにオリンピック出場権がかかっていれば、若手たちがあれほど積極的に意欲溢れるサッカーが出来るのに、一本目を集めたはずのJリーグだとあのような間延びしたことをやるのは何故だろう。まさか「リーグ戦だから1試合くらい落としても、後で取り返せば何とかなる」とでも考えているのではないだろうな。

ここで、英語評論家としては取り上げておきたい英語というか、カタカナ語の表現(言葉)がある。「また英語の話か」などと言われないで、是非ともご一読を。

それは「バックパス」(=back pass)なのだ。私は“backward pass”であるべきだと考えている。理由は簡単で「前に向けてのパス」は“forward pass”だからだ。また、backwardの意味には「後方に」の他に「積極的ではない」というのもあるから。なお、検索すると、権威ある「Oxford English Dictionaryには“back pass”は載っていない」とあった。即ち「後ろ向きで消極的な」試合を見たということになった。あーあ。

5月16日 その2 監督が変わると

2024-05-16 13:21:24 | コラム
阿部慎之助新監督の器量が問われるか:

つい先日、世間で名監督の如くに評価されていた原辰徳に変わって阿部慎之助が監督になってからは「ジャイアンツ、端倪すべからず」と評価したばかり。

タイガースが意外にももたついているし、新人の頃の輝きを失ったままの佐藤輝明は二軍に落とされる有様だし、村上頌樹もすっきりしないようでは、阿部慎之助新監督が何年振りかの優勝をさらっていくかも知れないと思ったりもした。

ところが、「好事魔多し」とは先人は良くも言ったもので、週刊新潮が坂本勇人の何億円かの脱税の疑いを大きく取り上げていた。正力松太郎氏が唱えた「巨人軍は紳士たれ」は「今何処」と化してしまうのか?「兎角この世は・・・」なのだ。

政治資金規正法改正案の問題

2024-05-16 07:22:03 | コラム
自民党は単独の改正案を単独で提出:

この件に関しては当方の関心事はただ一点「自民党の改正案が『国益の為になるのか』あるいは『自由民主党の為だけを優先している』のか」にあるのだ。

ここまで引っ張って単独で提出だそうだ。公明党との協議が不成立だったからと報じられた。ここで、先頃取り上げた某大学教授(「某」としたのは単純に大学名を失念しただけ)がテレビで指摘された「自民党が自社の資金源を断つような改正案を出せる訳が無い。それほど選挙に金をかけているのだから」という皮肉を思い出さずにはいられなかった。言い方は諧謔的だったが、私には単に事実を言われたかのように聞こえた。

矢張り、自民党は公明党にも譲らず、野党に対しても一切聞き耳持たず、自分たちにとって都合が良い方向に持っていくと、最初から固く決めてあった通りにしただけだと読みたくもなる。岸田文雄総理/総裁の今日までの振る舞いを見ていれば「ご自身の内閣と等にとって都合の良い事だけは必ず成し遂げようとして、妥協も譲歩もしない」としか見えない事例がかなり多かった。

その点では何を要求されても「検討する」と気を持たせる事までは言うが、譲る事は無い「意志強固な政治家」に見えるのだ。報道によれば「衆議院は押し切れても単独過半数を占めていない参議院では困難な事になるのでは」のだそうだ。

それにつけても思う事はといえば、岸田文雄総理/総裁は自信家であって「我が党を下野させ、泉健太首相、玉木雄一郎副首相の新政権をお望みですか」と我々国民に問いかけておられるのではなのである。


5月15日 その3 水原一平の過ちには

2024-05-15 14:09:12 | コラム
仮に少しだけは理解しても同情はしない点がある:

私は1994年までの約22年も「通訳も出来る当事者」と自称して仕事をしてきた。1972年8月にアメリカの会社に転進するまでは、通訳という仕事をした経験は無かった。だが、アメリカ側の一員として交渉の席に着けば、否応なく通訳しなければ話は進まなかったのである。MeadでもWeyerhaeuserでも職務内容記述書に「通訳をする」という項目など無かった。出来て当然と認識されていたようだった。

だが、実際にはやる以外の選択は無かったし、交渉の相手である我が国の一流企業で自社の通訳が同席する事もあって、私は我が方の代表者の英語での語りを日本語にするだけの事もあった。だが、時が経つに連れて通訳は私だけに課される重要な仕事になって変わって行った。偉そうな事を言えば「彼に任せておいても、不公平というか偏った通訳をしない交渉の当事者である」と認識して貰えたのだと思って、重大な責任を感じていた。

水原一平の何処に理解を示すかを取り上げる前に、改めて「通訳という仕事とは」を解説してみよう。それは「頭の中を空にして、発言された事を素直に、自分の考えなどを影響させず、両国の文化と思考体系を認識し、異論などを唱えてしまわないようにと十二分に注意して、感情などを交える事無く、即刻他国の言語に正確に変換して、平明な言葉で語っていく事」だと定義しておく。

ところが、通訳という仕事には経験してみないと解らない「欲求不満(フラストレーションであっても、ストレスではないと思う)を蓄積させてしまう性質であり、難点があるのだ。それは「偶には俺自身の考えや意見も言わせてくれ。俺は他の言語に転換するだけの機械じゃないのだ」という不満が鬱積してくるからなのだ。

交渉の場では私も当事者であるから、自発的な発言も出来る時はあるが、重要な責務は「その場で交渉の主体である我が方の上司の副社長の発言を一言一句の誤りもなく先方様が理解して下さるような日本語にする事と、先方様の意向を私心無く公平に訳す事」なのである。ここでは先入観念などは入れ込むとか、我が方に有利となるような通訳をする事は宜しくないのは言うまでもない事。

このような重要な任務も負うのが通訳。また、技術サービスマネージャと全取引先の本社と地方の工場を巡回して「我が社の製品に対するお客様の満足度(customer satisfaction)や改善を求められる品質問題の有無などを伺いに、2週間も日本中を移動することがある。1週間も過ぎれば「偶には俺にも語らせろよ」と欲求不満状態に陥って、何か特別な理由もなく彼と口論になってしまう事があった。この状態は私だけの事かも知れないが、面倒になってくるのだ。

私が水原一平の仕事ぶりを見ていて感じた事は「彼は私とは立場がまるで異なる、通訳としてDodgersと契約し、常に大谷翔平の口となって彼の発言を日本語に変換し、監督やコーチや仲間の発言を英語に変えるのが仕事なのだ。即ち、彼は絶対と言っても良いかも知れない程『当事者』ではない」のである。恐らく、大谷と雑談でもする意外には、水原個人の発言の場は限定されていたのだろう。

私が思うのは「そこに(私が経験した以上の)大いなる欲求不満が生じて、その捌け口とする代償を賭け事に見出したのかな」と考えたのである。私の場合はそれが欲求不満だとは認識出来ずに、他の業務の多忙さもあって一年中強烈な肩こりと頭痛に悩まされ、マッサージで何とかする以外に少しでも和らげるというか、切り抜ける手段が無かった。

私が言いたい事は「要するに、水原一平は基本的な訓練も受けずに、高額な年俸を取る通訳を専業とした事に誤りがあったのでは」と少しだけ理解を示す余地があるかという事。なお、「今頃になって言うのか」と批判されそうだが、彼の英語力は大谷翔平の結婚発表の談話を代筆したのだろう文章に致命的な基本的な文法の誤りがあった事からも、その程度が見えてくる。