新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

“power harassment”を考えてみよう

2024-05-02 06:20:55 | コラム
何故、“power harassment”を創造しカタカナ語にしたのだろうか:

何年前からだったか、この「パワーハラスメント」略して「パワハラ」というカタカナ語を頻繁に聞くようになった頃には、何を言っているのか解らなかった。だが、「上司による職権を濫用しての虐めのような行為を言うようだ」と知り得て、そこには“power harassment”という英語の表現が基原になっていると判明した。

だが、私には英語としては意味不明だった。恐らく1990年代に本社で副社長が招集されて「sexual harassmentを犯さぬように注意せよ」との説明があったsexual harassmentからharassmentを取った造語だろうと見当は付けた。だが、それを言いたいのならば“harassment by superior”か“abuse of violence by superior”とでもしないと、行為の当事者が特定されていないと思った。妙な造語だという印象は拭いきれなかった。

そこで、カタカナ語排斥論者としては、「パワハラ」だけではなく「カスハラ」や「モラハラ」や「マタハラ」や「マルハラ」まで出てくるに及んでは、何処の何方が「パワーハラスメント」を産み出したかを、今頃になって検索してみた。結果には大変驚かされたのだった。即ちWikipediaにはチャンと下記のように載っていたのだから。

>引用開始
「パワーハラスメントとは、2001年にクオレ・シー・キューブ社の岡田康子代表取締役によって提唱された和製英語である。セクハラ以外にも職場にはハラスメントがあると考えた岡田氏らは、2001年12月より定期的に一般の労働者から相談を受け付け、その結果を調査・研究し、2003年に「パワーハラスメントとは、職権などのパワーを背景にして、本来業務の適正な範囲を超えて、継続的に人格や尊厳を侵害する言動を行い、就労者の働く環境を悪化させる、あるいは雇用不安を与える」と初定義した[11]。「パワーハラスメント」は日本独特の用語であり、英語では職場で繰り返される不快な行為を「Harassment」「Workplace Bullying」などと捉えられることが多い。」
<引用終わる

ここで岡田康子氏が23年も前に創造された言葉であると知り得たのだった。

そこでなおも調べてみれば、岡田康子氏は日経ビジネス誌に以下のようにインタビューに答えておられて、英語のworkplace bullyingでは不十分だとまで指摘しておられたのだった。

>引用開始
岡田氏:当社がクライアントと関わる中で、性的な嫌がらせではなく、社員が例えば上司から「書類を目の前で破られる」「灰皿を投げつけられる」といったハラスメントに関する悩みも多く挙がってきました。そうしたものをパワー、つまりは「権力」を背景に行われるハラスメントであるとして「パワーハラスメント」と呼ぶようにしたのです。今ではこうした暴力的なパワハラは少なくなったと思いますが、当時は本当にひどい時代でした。
パワハラがいじめと異なるのは文字通り、「パワー(権力)」が関係していることです。「業務上の力」と言い換えてもいい。いじめは「耐える、逆らう」こともできなくはないですが、業務上の権力にはあらがうことが難しいでしょう。そうした「パワー」が関係している点がいじめとは異なります。

個よりも組織を大事にする風潮が影響

パワーハラスメントという言葉は和製英語だそうですね。なぜこの言葉は日本特有なのでしょうか。
岡田氏:英語では「Workplace Bullying」という言葉がありますが、これは単に「職場でのいじめ」を意味します。なぜ、パワハラという言葉が日本で一般的なのかは、やはり「個よりも組織を大事にする」という風潮、社会的規範の強さが影響していると思います。日本の労働市場はいまだに「就職」ではなく、「就社」の側面が強い。組織の力、地位の力が強い社会なので、「組織で生きるためには我慢が美徳」といった文化が根付いています。結果として、パワハラを受けても被害者が我慢してしまい、さらに加害者の行為を助長しているのです。
<引用終わる

読んで見て「なる程、ご尤も」と思わせられた。だが、そこにharass乃至はharassmentという英語の単語を使う必然性は感じ取れなかった。それは既に指摘してあったようにアメリカのsexual harassmentが基にされていた。だが、これは「虐めではなく言葉によって悩ませるか困らせる行為」であって、岡田氏が言われたような「部下の書類を眼前で破る」のとは全く異なる口頭でのハラスメントである。

それに、これまでに何度か取り上げてきたことで、私のように2社で合計22年も「job型雇用」で勤めてきた者には、上司即ち権力者から偶には口頭で(swear wordを使ったことを)注意を受けることがあったが、岡田氏が規定されたようなハラスメントはあり得ないし、ましてや暴力的なことをされる可能性がある世界ではなかったからだ。即ち「年功序列制の下での権力濫用の暴力的指導、叱責」などはあり得ないのである。

私がどうしても奇異の感に囚われるのは「上席者または上司による権力を濫用する暴力的な行為」を言い表すのに、何故英語のharassmentを使おうと考えられたのか」という事。米国の企業社会でsexual harassmentが問題になっていたからと言って「虐め」の意味はないharassmentを引用した英語を使って形を整えようとしたかのよう考え方には賛成できないのである。MBAを取得されている岡田氏はそれくらいを承知しておられたのではないだろうか。

私は既に数名のアメリカの元の同僚や知人たちに「アメリカの企業社会にはパワーハラスメントという概念があるのか」と照会してあった。答えは当然「ノー」なのだ。だが、ある大企業の管理職からは「アメリカでも“managers shouldn’t’ abuse their position and unduly disrespect their employees”(=マネージャー(部長職で良いか)はその地位を利用して部下たちを不当に軽蔑してはならない)というように言われている」と知らせて貰えた。
この辺りからも、我が国とアメリカの企業社会の間には文化の違いがあるという事が見えてくるのではないだろうか。

岡田康子氏の意図は理解できても、あれほど広範な意味になる行為をharassmentという英語の単語を利用する必然性が見えてこないことと、英語は表音文字の言語であり、その単語を用意文字の漢字を使った訳語にしたものを拡大解釈されたので、私は混乱させられたのだと考えている。