新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカのRed Lobsterが倒産した

2024-05-22 07:22:57 | コラム
それに関しての思い出話であるが:

1990年代末期の冬場のことだった。家内とナイヤガラの滝をカナダ側から見ようというパック旅行に出かけた。予告されていた通りに滝は半分程凍っていたが、その規模と凄さは充分に鑑賞出来た。その帰路でオンタリオ州のトロントに一泊した時の経験である。なお、後半は思い出話ではなくなるので、ご注意の上お読み頂ければ幸甚である。

パック旅行のプランには夕食が入っておらず自由行動だったので、未知の街トロントを探訪してみた。かの有名なる高さ553.3mのCNタワーも見えたし、今では菊池雄星が所属するMLBのBlue Jaysのスカイドームも見えた。という事は見に行ったのではない。

そこで夕食だが、知らない街で知らないレストランに入るのもどうかと思っていたところに、“Red Lobster“の看板が見えた。そのRed Lobsterが倒産と報じられて思い出したことがあった次第。

ここならば必ずしも好い加減な店ではないアメリカのチェーン店だったので、気楽に入って見た。我々夫婦のテーブルを担当したウエイターは若い男性だった。ロブスターは注文しなかったが普通に注文して何か食べた。

そのウエイターとは普通に英語で話をしていたところ、彼が突如として日本語で「日本からいらしたのですか」と問いかけてきた。そこで、当方も日本語に切り替えて語り合ってみた。彼が言うには日系三世で、トロント大学の医学部(アメリカ式ではmedical schoolとなる)の学生で、アルバイトで学費を稼ぐ為に働いているそうだった。

三世としては日本語が上手いので「何処で習い覚えたのか」と尋ねてみると「祖父の代からカナダに移住してきているが、祖父は『日本と日本語を忘れてはならない』と厳格に我々親子を躾けたので、今でも家の中での会話は日本語です」というのだった。「結構な話である。良いことではないか」と、言うなれば感動した。

私がアメリカの会社に転出する切掛けを作ってくれた日系カナダ人のGN氏は二世だったが、矢張りカナダで日本人として誇りを忘れないようにと育てられてきたという事で、我々(で悪ければ、私だが)よりもズッと日本の古い仕来りや諺を知っているのには驚かされたのだった。

こういうことを言えばアメリカの日系人の方々に失礼になるかもしれないが、日系アメリカ人には英語しか話せない人が多いような印象がある。ではあっても、SM氏は一男二女を日本語で育てられたし、「紅花オブ東京」の創立者の1人のお孫さんでCitibankの東京に勤務しておられたF君もカリフォルニア州で育ったが、家の中では日本語で育てられたそうで立派な日本語を話していた。

何も「海外で育っても日本語を忘れずに話せるようにせよ」などと偉そうに言うつもりはないが、国を離れても祖国とその文化や習慣や仕来りを忘れずに育てるのは良いことではないかという気がする。

現に、戦後間もなくGHQに勤務する為にこちらに来られた日系人のヘレンはハワイで大学まで終えておられたが、日本語は日本人以上にと言いたい程か解っておられたし、書道も嗜まれ草書体でも書いてみせる腕前だった。

ヘレンはそれだけ解っていても、中学1年生の私には一言も日本語では話しかけずに、英語の大原則と、それでの会話における自己表現の仕方を教えて下さったのだった。このように、海外に移住しても祖国を忘れないように努められた方々がおられるのだと思い出した次第。