新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

大学生の就職希望先の調査を見て思うこと

2023-01-20 08:20:31 | コラム
総合商社希望とは「我に七難八苦を与え給え」か、と思った:

去る18日に産経新聞社がワークス・ジャパンと調査した2024年卒業予定の大学生の就職希望先を調査した結果を発表していた。予想通りに文系の学生の総合では伊藤忠商事が第1位だったし、文系女子でも伊藤忠商事だった。私には最早商社の中のリクルーターたちの声を聞ける機会もないが、学生たちがどのような物の見方と、個人の希望と、会社という存在をどれほど理解し認識した上で、総合商社を選んだのか訊いてみたい気もする。

生産現場の勤務がある製造業の会社を希望しない学生が増えたという流れは、もう覆しようもない所まで来ていると認識しているが、「文系総合」の上位10業種には製造業は1社もなく、伊藤忠商事、住友商事、三菱商事、三井物産という順番で4社が入っていた。他には損保ジャパン、東京海上、アクセンチュア、みずほファイナンシャルグループ、博報堂、三菱UFJ銀行の順になっていた。

私に言わせて貰えば恐るべき現象は「理系総合」で、第1位がNTTデータ、3位が野村総研、8位がアクセンチュアと物を作っていない会社が占めていたこと。製造業の範疇に入るのは2位のソニーグループ、4位のトヨタ自動車、5位の富士フイルム、6位の富士通、7位のパナソニック、9位の日立製作所、10位の村製作所だった。残念と言うか当然というべきか知らぬが、100位までに製紙会社は発見出来なかったし、この点は「文系総合」でも同様だった。

これが時代の流れだと痛感させられたことは「理系総合」の13位に伊藤忠商事、27位に三菱商事、45位に三井物産、56位に住友商事が入っていたこと。これは、時代は商社という業種は右から左への売り繋ぎで済ましているのではなく、技術的な知識と経験がなければ新規プロジェクトを開発するとか、見込み客の技術面の相談役も出来なければならないことを示しているのだ。

商社は自社で製造した製品を販売するのではなく、多くの場合にはメーカーの代理店としてユーザーに販売するか、最終ユーザーの要求を正確に理解してメーカーに伝えて、需要(ニーズとも言うが)を間違いなく満たす製品を納入する責務を負うのだ。しかも、ユーザーが希望する価格は厳しく、同業他社との競合は熾烈を極める。

それだけではない、社内での生存競争などは製造業の会社の比ではない。高給取りという事は「それに見合う働きが出来なければ」どういう事になるかという事。私はその辺りを捉えて「学生たちは『我に七難八苦を与え給え』という山中鹿之助の境地を目指しているのか」と言ったのだ。

私自身が元はと言えば戦前の三井物産の第二会社から、旧国策パルプの商事部門となった会社で育てて頂いたので、商社の存在と仕事は多少理解しているつもりだが、21世紀の現在の総合商社の在り方は1950年代とは全く異なった業態になったのだろうと思ってみている。余り知ったかぶりをしてはならないと思うが、学生たちに認識しておいて欲しいことは「業績が良く成長を続け給料も高い会社」に勤務すれば、その厳しさは予想を遙かに上回るだろうという事。

総合商社論も兎も角、私が危機感を覚えるのは「製造業が不人気」である事なのだ。我が国はつい先頃までは技術的には世界の最高水準を行く国だったが、最早その影は薄れ、嘗ての後進国というか発展途上国に追い付かれ追い抜かれ、最早見る影もなくなった感が否めないのだ。そういう状態だからと言って、若手の技術者が入ってきてくれなければ、衰退の流れを止められなくなるだろう。

私はアメリカの製造業の中に入って痛感したことは「嘗ては大量生産による低コスト活かした大量販売」で世界最大の経済大国だったアメリカは「古く、小さく、遅い製造設備と世界的に見れば質の低い労働力を抱え、並み以下の品質の製品しか作り出せない国」になってしまっていた実態だった。

中国を筆頭に東南アジアの諸国、ブラジル等の南アメリカでは「新興国なるが故に製造業に進出すれば、世界最新で最高の水準にある生産設備を導入出来て、元々安価な労働力を活かす必要もなく、高品質で経済的な価格の製品を世界市場に送り込むこと」に成功したのである。

アメリカの衰退は嘗て批判された「製造業の空洞化」を見れば明らかだった。だが、アメリカはGAFAMで活路を開いた。しかしながら、我が国は「これから追いかけていく」準備段階にあるのかも知れない。

こんな事を論じ始めればキリがないが、理系というか技術者の待遇を改善し、世界最新の技術の研究開発が出来る態勢を整えない限り、製造業種の不人気の流れは断ちきれないと危惧している。


続・ビジネスマンの服装学

2023-01-19 09:03:57 | コラム
服装学の細部を語ろう:

アメリカ人の会社に入って「服装」について見えてきた事はと言えば「その地位に相応しい服装が求められている」という事だったと思う。「そんな事は当たり前だろう」と言われるかも知れないが、それが先頃詳細に述べた“A New Dress for Success”(邦題「出世する服装」)にあるような細かい決め事なのだ。簡単に言ってしまえば「あのような決め事に従って、上に行けば行くほどそれなりに服装に気を遣うし金もかけていくようになる」のである。

それと共に気をつけなければならないことがある。その一例を挙げておくとジョン・モロイは「黒いコートを着てはならない。それは支配階層のものではないから」としている。「そう言われて見れば、そうだな」とは感じていたが、アメリカは車社会の国なので、冬場でもコートを着て外を歩くことは少ないのだ。

だが、私は黒いコートを着て前を開けたまま闊歩する人を見つけた。それは誰あろうドナルド・トランプ前アメリカ大統領だった。彼は常に労働者階層などに気を遣っている人だったから、あの階層にも受け入れられるよう、服装にも気を配っていたかと疑うのだ、もしかすると彼の出自は・・・ともなってしまうのだ。

アメリカの支配階層の人たちと私が言う「経営者」たちの服装を見ていると、確かにジョン・モロイが指摘するような決め事を守っている人もいれば、「何も今更服装に金をかけて金持ちだと見せる必要もあるまい」と、どちらかと言えば玖頓着に見える人に分かれていたと思う。私が尊敬して止まないCEOのジョージ・ウエアーハウザーなどは70年代の会社の高度成長期には全く無関心だったが、大会社に育て上げてからは恐ろしいほどに隙が無い格調高い服装になっていた。

私が「生涯最高の上司」と褒め称える副社長兼事業部長は名家の出身でもなく一流私立大学のMBAでもなかったが、地方の営業所長から本部の部長、事業部長から遂には副社長に昇任するにつれて、服装に気を遣うようになって行った。それは、地位に相応しいブランドを選ぶようになるし、高額になっていった。その表れの一つがスーツケースからブリーフケースにいたるまで、私などは手を出すことも考えなかったアメリカ最高のブランドで、黒に統一していくようになって行った。

本部の部長から社員教育の分野に転じていき、リタイア後にはシアトルの大学院大学の教授にもなった名家出身のW氏(MBA)は、私が交通事故の被害から復帰したお祝いにと革製の書類ケースを買ってくれた。その際に「こういう物はイニシャルを印字するのだ」(personalizeと言うのだそうだ)と教えてくれた。そう言われて見れば、彼らの持ち物にはイニシャルが入っていることが多い。

ネクタイの話に行こう。既にフランスのかの有名ブランドのHermesは貶してあったが、私はアメリカ製のブランド物のネクタイは縫製もしっかりしているし、生地のバイアスもキチンと取れているし、結び目から皺になりにくく堅牢であるから長持ちするので、有名なフランスやイタリアのブランド品よりも頼りになると認識して使ってきた。

アメリカのブランドと言ってもPoloやBrooks Brothersなどは人気があるかも知れないが、嘗ての高給ネクタイのブランドなどを承知している人は少なかったと思う。私が最も沢山持っていたのがCountess Maraで、表面にCMがデザイン化されて刺繍されていた。最も格式が高かったのがSulkaで、歴代大統領が好んで締めておられたと聞いている。

この「サルカ」を知っている人はアメリカでも少なかったし、嘗て帝国ホテルのアーケードにあった店に出ていた程度だった。Sulkaの本店はニューヨークだと聞いていたが、恐ろしいほど格式が高い洋品店である。何時だったかサンフランシスコの店に入ったことがあった。すると、アフリカ系の男性店員が寄ってきて「当店と知って入ってきたのか」と居丈高に訊いてきた。「知らないで入ってくるか」と切り返すと、ひたすら恐縮して分厚いカタログまで持ってきて「是非、ご贔屓に」と言うのだった・

これには訳があるのだ。余り広く知られていないことで、アメリカの小売業では販売員たちは概ね個人事業主のような形で働いており、歩合制であるから「自分の顧客網」を築き上げておかなければ生活が成り立たなくなるのだ。だからこそ、Sulkaのような高級店で何かを買おうとする見込み客は大事にする必要があるのだ。この店のネクタイはそれほど高額ではないが、靴などは軽く500ドルもするのだから、販売員たちは固定客の確保に血眼になるのだ。

恐らく長い間私だけしか語ってこなかったと思う「アメリカのネクタイのストライプ」に触れていこう。これを承知していれば、「そのネクタイはアメリカのブランドですね」と指摘出来るのだ。それは「アメリカのネクタイの縞柄は右側から左側の下に流れていく形になっていて、ヨーロッパの製品とは正反対(近頃は「真逆」になってしまったが)のデザインなのだから。

困ったことにアメリカと安保条約を結ぶ同盟国の我が国の業者は何故かアメリカ縞のネクタイを市販していないのだ。私は何時か、「ヨーロッパgそれほど有り難いのか」と、アメリカを怒らせなければ良いが半ば本気で懸念している。

故安倍晋三元総理は流石に私が「アメリカ縞」と呼んでいるこのデザインのネクタイをしておられたのが記憶に残っている。だが、不思議なことに安倍氏の盟友だったトランプ元大統領は滅多にアメリカ縞のネクタイを締めておられなかった。もしかすると倒産したと聞いているSulkaを入手出来なくなったからかと疑ったが、バイデン大統領はアメリカ縞のネクタイを復活させておられた。すると、結成されと噂もあるトランプ党はあのデザインを嫌っているのかなどと考えて見た。

このようなことを言い出したらキリがないが、次回は靴のブランドなどを語って見ようと考えてる。


アマゾンの成長・発展・普及に思う事

2023-01-18 08:39:20 | コラム
アマゾンが時代を変えてしまったのでは:

つい先日、息子が手配してくれたことで、初めてアマゾン「置き配」を経験した。無闇に大きな段ボール箱だったが持ってみたら軽かった。中を開ければ大きすぎる箱に大量のざら紙を丸めて緩衝材にした品物が入っていた。当方は段ボール函には詳しい訳ではないが、アマゾンが常備していると思う既製品の箱に丁度良い大きさのものがなかったので、こうせざるを得なかったのだろうかと察した。

私のように旧世代に属して、70歳になってから止むを得ずPCを導入して仕事をするようになり、一昨年に一念発起してスマートフォンに切り替えたようなのでは、買い物とは予め市場価格を調査してから店に出向いて品物を見て触れて、宜しいと判断出来てから現金を払うという順序立てになっていた。しかしながら、ICT化やディジタル化が進んだというよりも、スマートフォン化がこれ以上ないほど普及した現在では、恰も世の中では通販が標準となってしまったかのようだ。

このPCにも息子が手配してアマゾンで買えるようになっているが、自分から積極的に買った品物は何処で誰が何時買っても価格が変わらないものだけにしか利用したことがない。しかも初めて書籍を買った際には不安なので何故か2回クリックしてしまい、現金引き換えで2冊配達されたときに慌てふためいた苦い経験から、益々億劫になってしまった。

だから通販は頼りにしないという訳でもなく、先日は部屋着のズボンが必要になって新聞の折り込み広告を利用して、B社に恐る恐る電話で頼んでみた。幸いだったことに寸法がこの小柄な私にもピッタリだったが、品質は矢張り値段に見合っていた程度だったと言えると思う。不見点(ミズテン)の買い物は難しいと再認識した次第。

上記のアマゾンといい、このB社もそうだがが、商品の配送が現在のような人手不足とエネルギーコストが急騰する時代にあっては、さぞかし大変なことになっているだろうなと思っている。「置き配」などという配達の手段が出てきたのも「時代だな」と痛感させられている。我が方と同じ階の30歳代未満と思しき夫婦の部屋のドアの前には頻繁に「置き配」が積み上げられている。

私はこのような業界だけに限られた問題ではないと思っている、重要な懸案事項がある。それは「輸送費」である。その昔、我が社の輸送部のマネージャーに聞かされたことだが「トラック配達には料率が定められており、配送業者はそれに従って荷主や配送先に運賃を請求すると定められているが、実際にはその料率表は『そこからどれだけ引くか』の交渉の基準になっている」そうだった。

荷物を受け取る側にすれば「運賃は無料」が最も望ましいのだ。だが、乗用車とは比較にならないほど高価なトラックを備え、税金の塊のようなガソリンを使い、運転手さんたちが満足してくれないような人件費をかける輸送業者は、常に苦境に立たされてきたと聞いてきた。話の筋は違うが、つい先日救急隊の方が17時間寝る間もなく緊急出動した結果で、救急車の転倒事故を起こしたと報じられていた。

品物を保護する段ボール箱業界も容易ではないのだ。段ボール箱の99%は配達された後は廃棄されて古紙業者の回収を待つだけになるだろう。その箱を作るのにも内容物の仕様に従って、難しいというか高度の品質が求められる。現在のように表が白い箱が普及すれば、美術印刷用の適性まで要求される。そうしていくつかの工程を経て出来た箱も、一度使用されれば用済みで廃棄だ。箱を購入される側は極力経済的な価格を求められるから、品質と価格競争は熾烈となる。

問題はそれだけではなく、消費者の方々にお考え願いたいことを解りやすく言えば「段ボール箱には既製品もなく、見込み生産もあり得ない」のである。例えば、テレビの新製品を開発すれば、そのテレビが入る箱はそれだけに使える容積になるし、重量に耐える原紙の強度も求められるし、表面の印刷などは予め刷り上げておくことなどあり得ないのだ。但し、上述のアマゾンの箱の場合は多種多様の規格を準備して、あの会社のロゴマークを印刷して準備しておくことは可能だと思う。

そこに、一昨日だったか朝のニュースで個人事業主としてアマゾンが委託している配送業者から配達を請け負っている女性がテレビ局のインタビューに答えているのを聞いた。彼女は自分の物だと見える軽自動車を使って配って歩くのだが、アマゾンが使っているAIが当日に配達する荷物を割り当てるのが「不可能」に近い量であると嘆いて見せた。当日の割り当ては200個で17時間、食事も休憩も除いて配達して20個が繰り越しになったと語った。

テレビ局側は「配達可能な量は」と尋ねると、答えは120個だった。画面ではアパートの外階段を駆け上がるとか、坂道を複数の荷物を抱えて走っていく場面が出ていたが、我がアパートでも日常的に見られる光景だった。ここまではアマゾンだけの話だが、通販はアマゾンだけではないし、宅配業界にはクロネコ、JP、佐川、西濃等々が鎬を削っているし、街に出ればUber Eats、Wolt、出前館等の自転車やオートバイが疾走しているし、ピザの宅配もある。

この様子には、終わりが一向に見通せないCOVIDの感染が拡大しているという如何ともし難い状況が影響していると思う。些か論旨を飛躍させたことを言えば、賃金を岸田内閣が要望する段階にまで上げて、零細な段ボール箱業者も十分に潤うように製品の価格を上げれば、通販業界や宅配業界は成り立たなくなってしまう危険性が生じるだろうし、商品の末端価格もそれに比例して高騰するだろう。

私は結局的には何も我が国だけに限られた問題ではなく、産業界というか経済の仕組みを落ち着いてジックリと考え直さねばならなくなってしまうと思う。私はこれまでに何度も「我が国では『駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人』という言い慣わしがあるが、何時の日か『草鞋を作ろうとする』がいなくなりはしないか」と唱えてきた。

その代替に発展途上国から技能修習生を輸入しようという仕組みも、何時かは破綻するのではないだろうか。私はこの辺りを捉えて「アマゾンが時代を変えた」と言っているのだ。


2021年度世界の紙パルプメーカー上位75社

2023-01-17 08:12:00 | コラム
今昔の感に堪えない統計だった:

この度、アメリカの紙パルプ技術協会(TAPPI)が発表した世界の上位75社の詳細が、紙業タイムス社の「FUTURE」誌23年1月16日号に掲載された。一読しての率直な感想は「今昔の感に堪えない」なのだった。

それと言うのも、以前は常に上位にあったWeyerhaeuserの名は最早見えなくなっているし、多くのアメリカのメーカーの社名を見ると「はて、これは何処と何処の合併だったか」と混乱するばかりになってしまったのだから。

それもそのはずで、私がリタイアしてから今年で29年目になったし、その間にアメリカというか世界の紙パルプ産業界では壮烈な「業界再編成」が急速に進んだのだから。その結果というか何と言うか、世界最大の製紙国は中国であり、アメリカが2位で我が国は3位なのだ。またこの統計を見れば、21年度の世界最大の生産会社は中国の玖龍紙業で、プロクター・アンド・ギャンブルを除く紙パルプ製品の売上高世界第1位のインターナショナルペーパー(IP)は第2位だった。

紙パルプ製品の売上高で第3位、連結売上高では5位に入ったアメリカのウエストロックには、確か我が古巣であるMead Corp.もその一部分になっていたはずだったかなと承知しているように、ウエアーハウザーは6年前だったかに紙パルプ分野から完全に撤退したし、IPも既にアメリカ国内では印刷用紙の生産はしていない。印刷用紙と情報用紙の大手メーカーだったMeadも業界再編成の荒波に呑み込まれて、歴史ある社名が消えてしまった。

売上高の上位10社を見れば、アメリカからは3社で、中国が2社で、日本からは王子1社のみとなっていた。尤も、アイルランド国籍になっていたスマーフィット・カッパグループは、私はアメリカの企業だと認識しているが。

日本のメーカーでは紙パルプ製品で王子が第4位、日本製紙は13位だった。案外だったと思わせられたのは中国のメーカーで、上位10社の8位に玖龍隆紙業だけがあったことだろうか。但し、年産100万トン以上の大手ともなれば、1位が玖龍紙業、理文造紙が7位で、8位に山鷹国際が登場。王子は9位で、日本製紙は17位だった。

因みに、この上位75社中の我が国のメーカーは売上高で王子(ホールディングス)が4位、日本製紙が13位、レンゴーが18位、大王製紙が35位、41位に北越コーポレーション、51位に(一寸疑問な)丸紅グループ、67位に三菱製紙が入っていた。

なお、この統計を従来は“Pulp & Paper International誌(RISI)が担当していたが、2016年からTAPPIが引き継いでいるそうだ。


1月16日 その2 ビジネスマンの服装学

2023-01-16 15:19:31 | コラム
私の「ビジネスマンの服装学」:

以下は15日に掲載した「アメリカの現場で学んだ服装学」を加筆訂正したものと思ってお読み頂ければ幸甚である。

私はアメリカの典型的な上流階級でありビジネスの世界を支配する階層の人たちの会社で22年以上を過ごしたので、彼らからその厳格な服装学を現場で学ぶ事が出来たという事。

今や今や忘れてはならない事は「アメリカのこれという企業では、最早管理職にまで生き残る為にはMBAは最低の条件であること」なのだ。それも、州立大学ではなく、授業料だけでも年間5~7万ドル(総額では年間に15万ドルにも達すするかも)にも達する東海岸ならばIvy Leagueで、西海岸に来ればスタンフォード大学や州立ではあるUCのバークレー校のビジネススクールの修士号でなければならない。という事即ち、それほどの四大から大学院までの高額な学費を負担出来る家庭の子弟しか企業の管理職から経営者にはなれないという事のようだ。

アメリカの大手企業の中で20年以上を過ごしたお陰で「ビジネスマンの服装学」を習得する事が出来たのは私にとっては僥倖だったかも知れない。我が国には「お洒落」と「服装学」は同じ事では、と見ている方もおられるかと思うが、実は全く別の事であると悟った次第だった。確かに、お洒落の要素は十分に入っているが、それと厳格な規範とは別個な事であると言った誤りではないだろう。

アメリカのビジネスの世界の仕来りを知らなかった転進した始めの頃は、ただ単に色彩感覚を豊富に取り入れるとか、ブランド物を着用するとか、ブランド品のロゴマークをひけらかす事がお洒落であり、一流のビジネスマンの証しになるのだろうと信じていた。それは、例えば近くに寄って見れば直ぐにそれと解る、高価なフランスのHermes(「エルメス」だが、アメリカの発音は「ハーミーズ」だ)の多色で細かい柄が入ったネクタイを愛用するような事。

では、いきなり?John Molloyが説いた「出世する服装」の決め事を覚えている限り書き出してみよう。先ず、「スーツから靴までは小物も含めて、同系色を一色と計算して、3色以内に収める事」から始まる。しかも、スーツの色は当然上下揃いで「紺」(=navy blue)か「濃灰」(=charcoal grey)に限定され、茶系統は遊び着の色であり、10着も正統なスーツを備えれば手を出しても良いと聞かされた。なお、「茶色」については別な意味があるので、別途説明しようと思う。

ワイシャツは「白」の無地のみが許されており、それもオックスフォードでボタンダウンである事なのだそうだ。縞柄(ストライプ)などを着用すれば「サンドイッチマンか」と揶揄される。しかし、週末などにキャジュアル(casualの発音は「カジュアル」ではないが)な寛いだ遊び着ならば色物も許される。ネクタイは3色以内の縛りに入る色しか締められなくなる。ここでも原則としては、ネクタイの表面にロゴマークなど見せてはならなくなる。

と言う事は「靴」は黒のみに限定されてしまう。そうなれば紐を結ぶ(lace up shoeと言うが)が基本になるが、私は着脱が面倒ではなくなる所謂「スリップオン」(Loafer)の靴を多用していた。ここまで来れば、靴下の色も完全に限定されて「黒」しかあり得ない。しかも、決め事はリブ織りなのである。これは実は楽な縛りで、靴下を買うときには「同じ物」を沢山買っておけば良くなるのだから。

決め事はここで終わりではないのだ。次に来る決まりは「スーツ」、「シャツ」、「ネクタイ」の何れか一つにしか「縞柄」を使えない事。この点だけには、アメリカの由緒正しきMBAの幹部たちの中にも守っていない者が散見される。だが、我が国の政治家、経営者、学者、所謂専門家等々のテレビに登場される方々は、アメリカにはこんな決め事があるとはご存じないようだ。即ち、ストライプ入りのスーツにネクタイでワイシャツは「おかしい」と看做されるのだ。

次はアクセサリー。既に指摘してあった事。仕事の場面に何でも石が付いたタイバー(「タイピン」というのは誤り)や「カフリンクス」(=カフスボタン)は罷り成らんとなっている。宝石付きは夜の正式な宴会の場のみであるべきだそうだ。この意味は「値が張る宝石類を見せびらかすのは田舎者」という事のようだ。私はタイバーが表に見えないように内側に着用していた。

アメリカ人の世界に入って不思議だった事は「スーツでもワイシャツでも名入り(personalizeというようだ)の習慣がない事。私はそうと知ってからは、スーツの裏地に名字かイニシャルを入れる事は止めた。だが、こうする事でかえって珍しい上着になってしまって、上着を脱いだ宴会の後などは「はい、名入りでないのは貴方」と直ぐに渡して貰えるようになった。また、「ポケットチーフ?」も必需品のようだ。

このような決め事というのか約束事があるので、アメリカの本部に出張するときは大変だった。私の在職中の1993年末まではトローリーケース(カタカナ語では「キャリーケース」)のような便利な製品が存在していなかったので、スーツケースの他に最低でも2着のスーツ、ブレザーに替えズボン、多数の洗濯に出さずに済むワイシャツ、下着等々に靴は2~3足入るガーメントバッグに加えて、必要な書類を詰め込んだブリーフケースを抱えて空港に赴くのだから。故に、空港でもホテルでも何処でも、荷物を運んでチップを貰うボーイという職業が成り立つのだ。

最後に、支配階層にいる幹部たちが週末や休日に外出する際の服装を簡単に語っておこう。これは上から“「濃紺のシングルブレストのブレザー」、「ブルー(青色)のシャツ」、ズボンは英語では「カーキ色」(=khaki)と呼ばれている色のチノパンか、灰色のグレーのズボン」”となるのだそうだ。このような色の合わせ方であれば、靴は黒とはいかなくなって茶色のローファーになる。運と崩そうと思えば思いきり高価な“tennis shoes”(=スニーカー)でも通用するか。

私はアメリカ行きの飛行機に搭乗する際は、このブレザーに替えズボンの形にしていたが、ジャケットはPoloのダブルのブレザーを着込んでいた。また、ネクタイは数本ほど持って行ってから、シアトルに着いて現地の顔馴染みになった紳士用品店で専門の店員に選んで貰って追加分を調達していた。余計な事かも知れないが、為替レートの悪戯でアメリカに行って買えばこの種の高級品は国内のほぼ半額で買えるのだ。

これでも、簡単に纏めたつもりなのだが。後年、ジョン・モロイの翻訳本を読んで、彼が言う決まりと私が現場で習い覚えた知識が殆ど合致していたので大いに安心したし「俺も捨てたものではなかった」と胸をなで下ろしていた。

なお、この服装学は何年か前にも紙パルプ業界の専門誌にも寄稿した事があったし、12年間も続けさせて貰えたSBS静岡放送のラジオでも語った事がある。それ故に、もしかすると「もう聞いた話だよ」と思われた方がおられるかも知れない。