新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私がアメリカを語れば

2023-01-24 08:22:37 | コラム
インサイダーの一人だった私がアメリカを語る:

私は少なくとも22年間もインサイダー(insiderで、ジーニアス英和には「内情に明るい人、消息通」とあるが、そんな程度ではないと自負している)としてアメリカの会社に勤務してきたし、上はCEOから労働組合の幹部たちともマスコミが言う「ファーストネームで呼び合う間柄」になっていた。大体からして本部の機構に所属する者が、合同組合員と接触することそのものが例外的な国なのだ。管理職たちの家庭にも普通のことのように入っていったし、奥方や子供さんたちとも交流していた、英語でね。そこで、彼らの礼儀作法にも、言葉遣いにも、習慣にも、仕来りにも触れることができていた。

ここで何が言いたいのかと言えば「私が長い間身を置いてきたアメリカのビジネスの世界と、彼らの家庭を通して見たり聞いたりして体験してきたアメリカを語れば、インサイダーではない著名なジャーナリストや学者や専門家が語られるアメリカとは、自ずと違ってくるのだ」なのである。更に言いたいことは「インサイダーが語る経験を通じて知ったアメリカ論も『なるほど、そういう国を語っているのか』という捉え方をして頂きたい」と願っているのだ。

因みに、Oxfordはinsiderを“a person who knows a lot about a group or an organization, because they are part of it“と定義していて、私のような存在を良く説明出来ていると思う。“part of it”は私が常に言ってきた「彼らの一員として」の意味を余すところなく説明してくれていると考えている。

その「彼らの一員だった私」が見たアメリカの一面をここにあらためて取り上げて論じてみようと思う。これは2014年12月に発表したものを基にしている。私がここで強調したいことは「インサイダーでなければ見えてこなかっただろうアメリカ」を語っている点だ。

100人に1人か1,000人に1人か/どれが本当のアメリカか:

これは今日までに何度か述べてきた「アメリカ人の中に極めて優秀な者がどれだけいるか」との議論を、1990年代に偶々帰路のNorthwest航空(今やDeltaに吸収されてしまったが)の機内で隣り合わせになった我が国の財閥系エンジニアリング会社のアメリカ支店長さん(東大の工学部出身だった)と交わした議論の内容を振り返ってみようという事。実は、私は腹蔵なき極論だとして「アメリカ人には1000人に1人くらいしか本当に優秀と認めて良い者がいないと感じさせられている世界」と発言していた。

支店長さんの意見は「優秀な者が少ないとの説には同感。だが、いくら何でも0.1%は極論である。私は100人に1人が妥当なところだと考えている」とヤンワリと否定された。それから暫くの間、0.1%対1.0%を巡って意見交換を続けた。辿り着いた結論は1%説に落ち着いたのだった。私はこの支店長さんの幅広いアメリカ観と認識には感心させられるだけではなく、大いに勉強させて頂いたのだった。

さて、議論が終わった後の雑談で、私は迂闊にもアメリカ国内における空港やホテルでのチェックイン、規模の大小を問わず小売店での客への応対の杜撰さと遅さ等を非難した。要するに、我が国でごく普通に当たり前のように経験出来る素早さもなく、暗算も出来ず、兎に角時間ばかりが無駄に流れてしまうのが、生来せっかちな私には腹立たしいので、その辺りを批判しまったのだ。

 すると、支店長さんが笑って言った「それは自己矛盾でしょう。貴方はほんの少し前に0.1%を捨てて1.0%を受け入れたばかり。即ち、アメリカの街中では極めて優秀な者に出会える確率が1.0%だと認めたのです。即ち、我が国並みの優れた人に出会える可能性は1%と極めて低いのでしょう。即ち、貴方は99%の者に出会っているだけでは」と。誠にご尤もで、恥じ入ってしまった。

問題点は「アメリカという国では粗方の組織で実務の現場に立っている者たちはその99%に属している者たちであり、その中でも優劣の差があるので困るのだ」なのだ。社内でも、99%の中の上位に入る人たちに会えて、共に仕事が出来る可能性もまた高くないのである。短気な私などは何度もそういう人たちを真っ向から叱りつけていた.フラストレーションが溜まるので。それがアメリカの実態の一部だ。

何で上記のような自分の失敗談を持ち出したかと言えば、多くの我が同胞がアメリカを単独ででもパック旅行ででも歩かれた場合に、本当に優れた能力者や実力者に出会えて、意志を通じ合える確率は、どんなに幸運にも恵まれても精々1%しかないだからだ。そこで私が接触して分析した「多くの階層」中で、アメリカ総人口の精々5%しかないだろう「アッパーミドル以上の白人で、MBAかPh.D.のような高学歴で、政治やビジネスの世界の中枢にいる人たちがどれほど少ないか」を思えば、その人たちと出会える確率などは天文学的数字並みに低いと考えてみたらどうだろう。

 私が言いたいことは「我が国で多くの方がアメリカだと思って見ておられる、承知しておられる、知らされている、映像で見ている、本で読んでいる、自分で行って感じてきたアメリカは、もしかすると99%の部類というか4年制大学出身者かそれ以下の低い範疇に入る学歴の人の層、労働組合員等の層、少数民族等の層の人たちに接して、彼らの振る舞いと文化を、『これぞアメリカ』と受け止めて、理解し、認識していたのではないのか」なのだ。

断言するが、5%もいるかいないかと私が言う「政治・経済・行政を支配する階層の人々」に会えて、胸襟を開いて服属意見を交換出来る確率もまた極めて低いのである。即ち、99%を知ってそれをアメリカと認識するか、5%に接して「矢張り、アメリカは凄いな」と思うかという問題なのだ。5%の人たちの世界に入ると“Me, too.“という表現を使っただけでも「無教養」と爪弾きされかねないのだと新聞社の駐在員が経験したのだろうか。

そこには「自由で平等で、差別はあっても努力しさえすれば恵まれた生活を楽しめる立場や地位を確保出来そうな理想というか、一種の希望と夢が実現出来る余地が残っているかも知れない国」という想像か幻影が、もしかすると現実だろうと思い込んでおられる方がいるのではないのか」と思う。私はそのような思い込みを全面的に誤りだとまでは言わないが、アメリカはそのような“land of dream“ではないと自信を以て言える。

だが、更に言えば、貴方が今からアメリカに成功を目指して出て行かれるか、またはそういう目的ではなくアメリカを楽しもうと期待して出掛けて行っても、貴方が思い描いた形が出来たとしても、支配階層か上流の知識階級に入れるか、あるいは財を為せるかなどは極めて難しいのであると、予め十分に考えておく必要があると思う。簡単に言えば「必用な要素は英語力だけではなく、マスターかそれ以上の学歴なのだ」という事。アメリカでは今や一流の私立大学では授業料だけで7万ドルという大学まであるのだ。¥130で換算すれば幾らになるのかだ。

私は何とか努力してアッパーミドル以上の階層に定着できて、彼らの仲間入りすることが不可能だとまでは言えないし、言う権利もないだろう。だが、そこで彼等の中で対等以上に渡り合い付き合い、尚且つ生き残るのは容易ならざる努力が必要だと承知しておくべきだと思う。

私はこれから先に我が同胞がアメリカに外国人として入っていくか、乃至は入ってしまうときに、どのような層に入って行けるのかを十分に事前に検討しておく必要があると思う。今やチャンとした会社組織内に入って生存競争に勝って幹部にまで生き残る為には、一流の私立大学のMBAが最低条件となっていると聞いている。かの国では、如何なることで差別される危険性があるかなどは、実際にその場に立ってみなければ解らないことだ。現に私は何度か「アメリカの会社があのようなものだと予め承知していたら、39歳にもなってから転進しなかっただろう」と述べていた。

また、芸能・スポーツ・映画・演劇・音楽の世界で成功して引退後にカリフォルニア州でプール付きの豪邸で悠々自適の元野球選手もいたとは聞いた。だが、その人物は我が国の1億2,600万人中の何%かを考えねばなるまい。あの層の中で競争に勝って生き残る大変さを考えずに「上手く行くこと」か「何となるだろう、アメリカに行けば」的な安易なというか、希望的観測だけで乗り込んでいくべき世界ではないと私は経験からも断言出来る。

 先ずは自分が知らされていた、承知していたアメリカとは一体どの階層の人のことだったかを知る必要があるのだ。オバマ大統領がアフリカ系でありながら大統領になれたことを以て、差別は消えて自由な国だと立証されたと思うのは早計だし純情過ぎる。

 私の結論は、「自分の知識からと、ジャーナリストや有識者の意見とマスコミ報道をも含めて判断して、外国を『こんなものだろう』などと簡単に決めつけて考えることは、宜しくないし、危険ではないのか」である。

矢張り相撲は面白かった

2023-01-23 08:25:58 | コラム
貴景勝の微妙な優勝に思ったこと:

深読みというか「裏」を読みたがる私にとっては、昨日に千秋楽を迎えた相撲は、それなりに「面白かった」と思わせて貰えた。私は「相撲とはスポーツではなく興行だ」と決めつけているが、その根拠の一つに「千秋楽」という言葉を使っていることを挙げたい。それは、広辞苑には「千秋楽とは演能の最後に日に千秋楽(終わりにある文句)を謡ったことからとも言う」演劇・相撲などの興行の最後の日」とある事も示しているともう。柔道の大会で決勝戦の日を千秋楽とは言っていない。

先場所で私が最も興味深く見ていたことは「相撲協会が横綱も大関も一人しかいなくなった事態をどのようにして解消しようと試みるか」だった。具体的に考えれば「どうやって貴景勝の昇進を横綱審議会(だったか?)の議題にかけられるまでの成績を挙げさせるか、または挙げるか」に掛かっていたのだろう。

私はこの力士は「四つに取り組まない」面白い人であると同時に、取りこぼしが多い不安定さから抜けきっていないのが問題だと見ていた。それが、今回は相手にする全員が格下であれば、全勝で優勝しても不思議はないにも拘わらず「負けに不思議無し」のように3回も負けていた。

協会側はアナウンサーたちが「優勝と綱取りが掛かった一番」と叫んだ相手は前頭8枚目と13枚目だった。勝って当然なのに、テレビも新聞も事前には「勝負は解らない」と言って騒いだ。貴景勝を評価していない証拠ではないか。

だが、貴景勝は千秋楽に前頭13枚目でしかも高校の後輩だったかと優勝を争うように割り当てられ、大関から陥落して尚且つ負け越した関脇の正代とは当たらなかった。正代にとって大いなる屈辱だったと思う。それでも、テレビも新聞も「貴景勝の横綱昇進は来場所の成績如何である」と論じている有様だ。来場所に果たして貴景勝が12勝3敗と同等かそれ以上の成績を残せるのだろうか。それが問題では。

解説者の中には大関から落とされて今回漸く十両優勝に漕ぎ着けた朝乃山が「今年中には大関まで上がってくるのでは」と予測する者がいた。四つ相撲とやらになると脆い貴景勝が必死の勢いで上がってきた朝乃山と当たっても勝てるのかなと、今から興味深いのだ。

相撲という競い方を冷静に見ていて感じたことがある。それは「今では力士たちの強さも弱さも平準化して横綱や大関たちと、平幕と呼ばれている地位にいる近代の良い物を食べて合理的に鍛えられてきた体格と身体能力に優れた若い年齢層の連中とは、殆ど体幹の力の差が無くなってしまったのではないのか」なのだ。

換言すれば「無闇に食べて体重を増やしてきた過去の育て方では、合理的に鍛えられた有名高校や大卒の者たちには勝てないのでは」という事。

更に言えば、何も相撲界だけに限ったことではないが、旧時代に育ち、その頃の英雄だった高齢者が現在の若者を「精神力」だの「気合い」などを基本にした指導法で育てる時代は終わっているのではないかということなのだ。相撲部屋にウエイトトレーニングの設備があるかどうかは知らないが、太鼓腹を以て尊しとした時代ではないのではないだろうかと、相撲否定派にして相撲知らずが考えているのだが。


卒寿に達して思う事

2023-01-22 13:45:11 | コラム
此の世では望まなかったことは達成出来るもののようだ:

大学1年のことだったか、苦手とする物理の神父様ではない日本人の教授が「此の世では、若いときには何としても達成したいか、手に入れたい夢のようなことがある。だが、そう心から望んでいるときには達成出来るとか手に入る事は滅多にない。だが、不思議なことに、そんな事をすっかり忘れて「達成しようとも、達成したいとも、達成出来るとも考えなくなったときに、それは思いがけずにアッサリと出来てしまうものだ」と聞かされたことがあった。

実は、何を隠そうこの私は英語が話せるようになるべく、GHQの秘書の方に厳しく教えて頂いた後の高校の頃と、大学1~2年の頃には、アメリカは何とかして出来ることなら行きたい、行ってみたい“land of dream”だった。だが、その希望も夢も叶わずに大学を終えて就職した、しかもその会社では希望通りに英語など全く縁もなく必要もない国内市場を担当する営業職に配属された。アメリカのことなど全く忘れ、何とかなっていた英語力などは「趣味として活かそうか」と考えていた。

ところが、就職後16年目の後半辺りになって、経緯の詳細の説明は長くなるので省略するが「運というか、運命の悪戯か」に偶然の機会が重なって、「アメリカの会社に移ってみないか」との予想もしていなかった条件が提示された。そこで、全く自分のことと家族のことだけを考えて、インタービュー(面接試験)を受けてみれば、その場で採用となった。その為に、17年3ヶ月育てて頂いた大恩ある会社を去って、1972年8月に異文化の世界に飛び込んでいったのだった。

ここで強調することは、最早「行こうとも、行きたいとも、行く事が出来るか」などと全く期待していなかったアメリカに「トレーニング」という名の顔見せと「アメリカの会社とは」を実地に経験して学ぶ25日間の出張の機会を与えられたのだ。「なるほど、望んでいないときには、古い願いか夢は叶うものだ」と実感していた。それから22年ほどの間、全く予想も予期もしていなかった激務の世界を経験して引退して今日に至っている。

私はそもそも人生計画などには鈍い方なので「何歳まで生きて何と何をしよう」などということは考えてもいなかったし、何歳まで生き残ろうかとの目標なども考えてもいなかった。その「のろま」の私をその漢字すら書けなかった「心筋梗塞」に72歳が後6日を残しただけの日に襲われて、救急車に国立国際医療研究センター病院に運んで頂いて、一命を取り留めることが出来た。2006年1月だった。

それから以降は「一病息災」などと聞かされた上に、主治医の言われることを可能な限り守り、あらゆる危険を排して、慎重の上にも慎重に暮らすようになった。食生活でも家内の協力を得て「減塩、脂肪抜き」の食事療法にも耐えた。だが、これは長生きを目指しているのではなく、ただ単に「死にたくない」という切なる願望があるだけのことからだった。自分では確たることは解らなかったが、2006年の8月にはCPAまでも経験していた。

導入部が長すぎたかも知れないが、私には「90歳までは生き残ろう」とか「何歳まで生きていこう」などとぃう目標も願望も無く、ひたすら主治医が言われる「ストイックな生活」を続けて来ただけだった。その流れで、気が付けば願ってもいなかったし、望みでも何でもなかった90歳という記念すべ年齢に達していたのだった。しかしながら、90歳が近付くにつれて「本当に達成出来るのか」との不安感に連日連夜苛まれていた、正直なところを言えば。

では、ここから先に何か新しいことをやってみようかという大それた計画もなく、これまで通りの「日頃の行動範囲を逸脱しない生活」を続け、例えば明日からは朝一番にブログを更新し、これまで通りにジムに行って15~20分間の「ストレッチ」、一周100mのインドアトラックを持続可能な速さで5~6周は歩いてから、マッサージチェアにかかり、大きな浴槽でジェットバスを楽しんでこようと思っている。

矢張り日常生活の計画はこの程度にして、何歳まで活かして頂けるかは「神のみ旨」などと言えば、キリスト教の信者のようになってしまうが、当分「死のうと思う計画など」は夢にも立てていないし、立てようもない。


卒寿の東京見物

2023-01-22 08:12:11 | コラム
経済は激しく回っているだろうなと痛感:

だが、あれほど超後期高齢者を圧倒していた東京都心の賑わいでは、COVIDの第8波など収束する可能性は限りなく低くなりはしないかと少し怖い思いだった。土曜日で晴天であったことも後押ししたのだろうが、有楽町駅前から豊洲に向かった東京随一の繁華街だと思う町並みの人出は想像以上で、恐らくCOVID以前の活況を見せていたと思う。何処の駐車場に入っても満車の状態で、話は違うが「我が国はもしかするとアメリカ以上の車社会か」と感じていた。

最初に新大久保から山手線で降り立ったのは懐かしき有楽町。満員の山手線の電車内では何とか優先席を確保して座っていた、高齢者らしく。目的地は新国際ビルなのだったが、その前に在職中には「人生の半分は過ごしたのではないか」と冗談を言った新有楽町ビルを通り抜けた。それは、ここに我が社最大にして最重要の取引先の本社があったからだ。このビルも再開発で取り壊しになるそうで、1階の高級洋品店が「閉店セール」の看板を出していた。

12時前の三菱の丸の内街の出口とも言えるだろうこの通りも、多くの人で賑わっていた。新有楽町ビル1階のオリエンタルホテルのレストラン(なのだろう)は満席の状態で、その外の通りには入店を待つ人の長蛇の列。「岸田さん。景気は無事に回復途上にあるようですからご安心を」と、声をかけて上げたい衝動すら感じた活気。「だから、評判が良くない防衛増税などお止めになれば」とでも言うか。

実は一寸した事情があって、思いがけなかったことで、その隣の新国際ビル地下の理髪店に遙々やって来たのだった。散髪を終えて地上に出てみると、長い間のご無沙汰ですっかり方向感覚を失っていて、どちらの方角に向かって歩けば、息子と待ち合わせていた新有楽町ビルに辿り付けるのか解らなくなってしまったのが、何とも悲しかった。「エイヤッ」と歩き出した方角が正解だった。

そこから遅めの昼食になる豊洲の「ららぽーと」に向かったのだが、晴海通りの人出の凄まじさにも仰天はしなかったまでも、驚異的かと感じていた。ららぽーとの駐車場では空きを探すのに愚息は苦労していたが、館内に入ればその賑わいも予想以上で、将に人並みを押し分け掻き分けて目的の焼き肉屋に向かった状態。少なくとも東京都内の景気だけは回復しているのではと感じさせられた。物価高だのエネルギー価格上昇などは「何処吹く風」なのかと思わせられた。

東京都新宿区百人町などのような無駄に無意味に低次元の国際化が進んでしまった界隈に住んでいると、有楽町や豊洲のように時代の先端を行っている街に来ると戸惑うことが多いので困る。この焼き肉屋でも順番待ちは「タッチパネル」方式になっていた。今や、このやり方とタブレットで注文し、自動支払機で決済するのは当たり前になってきた。家内などは「もう一人では迂闊に外食も出来ない時代になった」と嘆息。

偶に本当の都心に出て感じることはといえば「日本人が多いな」と「我が国には白人たちも来ているのだな」なのである。その意味は「新宿区百人町/大久保界隈にいれば、明らかに我々日本人は少数派であり、外国人が多いといっても白人は滅多に見かけない」のである。確かに、昨日は観光客と思しき白人たちも見かけた。だが、私にはやって来る外国人が増えたと喜ぶ前に「どのような種類の人たちが入ってくるのか」を深刻に考え直す必要があると思うのだ。

帰路の恵比寿駅では改札口を通った後にある新潟県十日町市の「コシヒカリ」の握り飯を売っている店で、間違いなく美味であろうお結びを4個買って帰った。それと言うのも、もう15年ほど前のことになったが、十日町市で開催された催し物の講師を依頼された際に、振る舞われた有機栽培のコシヒカリの塩むすびの美味さに圧倒されたからだ。あれ以来「お握りは塩に限る」と信じるようになった。何と、この売店でも自動支払機が据え付けられていた。

東京都内の本当の都心を移動すれば、何処に行っても高層建築のオフィスビルと集合住宅(「マンション」なんていう言葉の誤用は取らない)が林立(乱立?)していて、恰も谷底を走っているかのように感じさせられるし、嘗ての目印だったビルが「森の中に入って木を探す」かのようになって方向感覚を失ってしまうので、自分が何処にいるのかが解らなくなってしまうので困る。

COVIDの襲来以来東京ビッグサイトに行く機会がなくなったので、豊洲周辺の再開発(なのかな)に惑わされて、何時どうやってららぽーとに着いたかも解らなかった。こういう現象は何も豊洲だけのことではない。都内何処に行っても同じように激しく変わっているのだ。

なお、本1月22日で思ってもいなかった90歳に(戸籍上で)という卒寿に達していたのだが、本稿は1日早く卒寿と題していた次第。なお、蛇足かも知れないが、当方は東京市小石川区(現文京区本駒込とか)生まれである。


相撲否定派が「相撲」を語ろう

2023-01-21 09:11:16 | コラム
相撲は面白いのだ:

先ず誤解されないように確認しておくことがある。それは「私は相撲をスポーツの範疇に入れるのは誤りであり、あれは江戸時代から連綿と続く我が国独得の歴史と伝統がある『興行』であるのだから」と長年主張してきた。また、President誌上で大前研一氏が「公共放送などを自任しているNHKが昼間から下位の取り組みまでを中継放映するべきか」と批判しておられたのも、尤もだと思わせられた、娯楽の部類に入れたい性質なのだ。

このように私は相撲に対して否定的なのだし、実際に最後に見る機会があったのは「桟敷」からで、それも偶然に招待して貰えた1994年1月のことだった。その際あらためて感じたことは「この興行は飲食を楽しみ、お土産の品物を頂戴する傍ら取り組みも見るような仕組みになっているのか」だった。それに、否定派である以上、滅多なことではNHKの中継放映も見ないし、新聞紙上の相撲の記事などは読もうともしなかった。

だが、何故かここ数年は幕内の後半に取り組みに入ってからの中継を見るようにしている。それは、夕方の各局のニュースが新たな出来事の報道というよりも、何とかして視聴者がチャンネルを離れないようにする為の無理に作り上げた特集物ばかりで為にならないので、その間は相撲でも見て「勝負の綾というか、面白さであり、難しさであり、予測不可能な結果を見て楽しんでいるという事なのだ。

私はバイオリズム(biorhythm)が言う周期性を信じているので、番付が格上で好調を維持し圧倒的に勝つと見込まれてきた力士が、いともアッサリと弱者であったはずの力士に転がされる意外性や、判官贔屓で業師の小柄な力士が圧倒的な体格の差がある番付の上の力士に勝ってくれという願いも叶わず捻り潰されてしまうとか、何故好調で格下でも優勝を狙える力士を遙か彼方の上位の三役にある者に当てて潰そうとするのかなどを、興味深く観察しているのだ。

私は長い間、相撲の取り組みというものは番付の同じような位の力士同士を当てる性質であって、本来はとても大関のような役力士と当たることがなかったような平幕の力士が優勝を狙えそうなほど好調なるが故に、同じように好調である大関などに当ててしまうような事は生じないものだと思ってきた。

だが、近頃では協会なる存在は、何とかして当日の興行の目玉にしようとするのか、昨日の貴景勝対阿武咲のように解説の親方が「本来は大関に当たることがなかった前頭八枚目の阿武咲が当たった」と評したような取り組みが起きるのだ。私は興行としてはそれで良いかも知れないが、当てられた下位の力士は不運だったなと、つい考えてしまう。確かに、このような不当だと思える割り当てでも、先場所の優勝決定戦だったかでは大関の貴景勝は下位で負けるべきではなかった阿炎(だったか?)に負けていた。

私が楽しもうとしていることは「相撲の勝負で起きる意外性が何処から何故、生じているのかを考えさせてくれること」なのだ。その意外性が当日の調子、即ちバイオリズムが低い方に流れていた為に生じたのか、相手のそれが頂上(ピークなんて言えないよ)にあった所為かも知れないし、または油断があったので上手の手から水が漏れたのか、あるいはこの日は運も味方して腕を補ってくれていたのかなどと、楽しく考えながら見ている。

相撲の世界では番付が正当に働いていれば、今場所のように横綱の照ノ富士が不在であれば、最上位にただ一人位する貴景勝は三敗もしないで横綱昇進に向かってひた走っていられたはずなのに、あの不安定振りなのである。昨夜は奮起したのか本来は当たるはずもなかった前頭八枚目を蹴散らしたが、それを恰も快挙の如くに喚き立てるアナウンサーの興奮がうるさかった。あれでは大前氏ならずとも、NHKは相撲協会のお先棒担ぎとしか思えない。

少し真剣な話をしてみよう。私は「相撲」という個人競技(と敢えて呼ぶが)では、他の本来のどのスポーツの範疇に入る競技よりも「個人の強弱」が無残に現れる種目はないと思っている。スポーツの個人種目では陸上競技には「個人の身体能力」がこれでもかというほど表される。だが、陸上競技では対戦相手と取り組んだりはしない。

柔道とレスリングは取り組むが、一定の規則の範囲内での取り組みであり、厳しい反則が規定され累積すれば敗戦となる。だが、相撲は飽くまでも彼らが言う「ガチンコ」であって、私が知る限り反則は「髷を掴んだ場合」のみに思える。それだけに「当日のその場の調子(バイオリズム?)」次第」では「番狂わせ」も「順当な勝ち」も「不運な負け」も生じるのだ。

私も長い間蹴球とサッカーをやって来たが、その日その場で何とも説明が付かない技が出たり、あるいは当然出来るはずだった技が出なかったりするのを経験した。高校の頃のことでは「どうしてあの場面であのようなパスを利き足ではない左足で蹴れて、それが見事に相棒の得点になったか解らなかったこと」があったし、大学では未だにハッキリ覚えている「ペナルティエリアの右の隅の角から左足で相手ゴールの自分か見て左上の隅に鮮やかに決まったシュート」があったが、何故あの位置から無謀にもあそこを狙って蹴ったかは解らなかった。

私には未だ未だ人体というのか、自分の体には解らないこと起きると知っている。それはジムで100mのインドアトラックを歩いて見るときに起きる現象。特にどの速度で歩こうなどとは考えずに歩き出してみている。90歳の今となっては普通には100mは75から80秒はかかる。だが、何の意識もなくというか、速く歩こうとしていなくても、70秒で軽々と3または4周は回れる日があるのだ。

これがその日の調子なのかバイオリズムの所為かどうかなどは解らないが、兎に角不思議なことだと思って歩いている。所が、ジムではなくて、普通に一般の道路をジムの感覚で70秒くらいの速さで歩いているつもりでも、老若男女の全てが私のよたよた振り嘲笑うかのように追い抜いていくのだ。

だが、最早その人々の後ろ姿を見せ付けられても「悔しい」などと思う事もなく「我、老いたり」と素直に受け入れられるようになった。でも阿武咲は昨日の敗戦を素直に受け入れただろうかと、一人静かに同情している。矢張り、あの協会の首脳部の頭脳構造は何処かが少しおかしいのではないのかなと思っている。