新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月1日 その2 石原慎太郎君逝く

2022-02-01 16:52:39 | コラム

何はさて措いても、石原慎太郎君のご冥福を祈りたい:

午後2時過ぎのテレビのニュース速報で知った。大袈裟でも何でもなく「我が湘南中学同期の英雄が亡くなった。何と言って良いか解らないほど残念だ」と痛感した。彼とは昭和20年に湘南中学入学以来3年間同じ蹴球部で過ごした親しい仲間なのだ。もう10年以上も前のことだったが「石原慎太郎君は良い奴なんだ」と題して、彼の気配りに驚き且つ感謝したのを振り返ったことがあった。

それは、私が新卒後から17年間お世話になった旧国策パルプ直轄の販売会社に、新卒で入社してきたS君(故人である)が挨拶に来て「湘南のサッカー部の10期下です」と自己紹介した後で、「石原さんが宜しくと仰っていました」と言ったのだ。そこで「何処の石原さん?」と尋ねると「石原慎太郎さんです」と答えた。正直なところ感激した。紙パルプ業界内なら兎も角、世間的な知名度がある会社でもないのに、360名もいた同期の中の私の就職先を彼が知っていたのだから。この点が「石原は良い奴です」と言う重要な根拠の一つだ。

ここは湘南高校第26期生の自慢だが、偶然に20年近く前に学校の職員から聞いた話では「我が26期はその頃までの歴史上で、最も上場企業の役員になった人が多い」ということだった。確かに、日本興業銀行最後の頭取故西村正雄君を始め、脇村春夫君、近藤直行君、加來庸亮君、田中宏君、相沢進君、前田隆正君、木内武彦君、本間基之君、高梨昭夫君等将に多士済々で、官界には吉居時哉君もいる。小説家では斉藤栄君も忘れてはなるまい。

彼との間柄を回顧してみれば、1956年に彼が「太陽の季節」で芥川賞を受賞した直後だったと思うが、関東大学サッカーリーグ戦が行われた成蹊大学のグラウンドで試合が終わったばかりの石原に出会った。私は上智大学のサッカー部の非公式なコーチだったので、そのグラウンドでの次の試合のためにそこにいたのだった。早速彼に「お前偉いんだってなー」と祝意を述べた所、例の目をパチクリさせながら照れた顔で「なーに、たいしたことねーよ」と返してきたのだった。その日はそれきりのことだった。

彼は旧制中学3年まで蹴球部にいて、当時はそういう制度があった「神奈川県中学蹴球大会少年の部」に出場して、無事に優勝したという成果を以て「才能が無い」と言って辞めてしまった。その後は、高校になってから社会研究班などを作って確かマルクス経済の勉強をするとか、左手で油絵を描いていたのを覚えている。彼はその後何故か休学して1年下がったので、その同期に江藤淳(江頭君)がいたはずだ。

先ほどTBSの「ゴゴスマ」で政治ジャーナリストの鈴木哲夫が「石原氏は一見豪放磊落に見えるが、本当は神経が細かくて気が小さい人のようだ」と言っていたが、これは当たっていると思う。私は何度か「石原が本当は青白き秀才で気が小さく穏やかな人であり、政治家になってからの大言壮語や豪快な発言は、彼本来の弱さを隠すための虚勢ではないか」と指摘してきた。

また、COVID-19の襲来があるまでは毎年開催されてきた(昭和23年の福岡国体での)「全国制覇し損ないの会」(後に「サッカーの会」に変更)の昼食会でも、集まった往年の石原を知る仲間の中でも「現在の彼の変貌振りは信じ難いほどだ」という点で意見が一致していた。静かで青白き秀才だった繊細な、と形容したかった面影は何処という意味だ。この点は逗子の小学校からの同級生も認めている。

石原君は滅多に同期会には来なかったが、一度だけ母校で開催された1991年に自分で運転して、紺のダブルのブレザーを着て議員のバッジを付けずにやって来たことがあった。だが、同期の連中は何かを怖れたのか、誰も近付かなかった。そこで、私は気後れせずに近寄って語り合ったのが彼と出会った最後だった。その時には何故か「ゴルバチョフ」を取り上げて、彼が「あんな奴は長続きしねーよ」と言ったのは覚えている。

実は、2013年の9月に、もう既に同期会は幹事が高齢化を理由にして開催されなくなってからのことだったが「石原慎太郎君を囲む会」がホテルオークラで開催されたことがあった。私にも発起人から招待状が来ていたが、生憎と第2回目の心筋梗塞の後で体調が非常に悪く欠席する以外なかった。ところが幹事からは、直接と間接に「君は来るべきだ」と電話があったが、到底ここ新宿区からでもオークラまででも行ける状態ではなく、残念ながら見送ったのだった。

その「全国制覇し損ないの会」に石原君を呼んでいなかったのは、彼が昭和22年までで退部していたからであって他意はないのだ。彼石原慎太郎君を回顧すればキリがない。今回はこれまでにして、あらためてご冥福を心から深く祈って終わる。

 


基礎と基本技を固める

2022-02-01 09:46:15 | コラム
基本が如何に重要か:

昨1月31日の夜に、偶然チャンネルを合わせたNHKのBSの「球辞苑」で特集していた選手の育て方は、それなりに面白かったし興味深い点があった。それは育て方の権威者として石井琢朗(打撃)と川相昌弘(内野手)と阿波野秀幸(投手)が取り上げられ、それぞれが語ったことの要点は「基礎を固めること。基本技を教えること」に尽きていたからだった。余りに当然すぎて物足りないと感じられる方もおられるだろうが、「コインの裏側」を見れば「枝葉末節の技巧を教えるな」との警告でもあると思う。

この「枝葉末節の技巧」の訓練に走る指導者が高校野球界に多過ぎることは、私が40年近くも前から指摘して来たことなのだ。高野連の出先機関のように高校野球の全国大会の中継放映に熱心なNHKが、何処までこの野球界の欠点を意識して組んだ番組だったか知らないが、面白い企画だと思って見ていた。

私は昭和20年(1945年)から湘南中学の蹴球部で「基礎」と「基本技」以外に何があるのかとばかりに教え込まれてきたので、それがどれほど重要かは解りすぎるほど分かっているつもりだ。岩渕監督に聞かされた話では「戦前に基本だけを固めただけで、全国大会で準決勝までいけた」というのがあった。岩渕さんは「それほど基礎と基本技が重要なのだ」と我々に言い聞かされたのだった。

念の為に昨夜の3名人が語っていた要点を採録しておこう。石井琢朗は「兎に角降ること。それも早い直球(私は「ストレート」という間抜けなカタカナ語は認めていない)を打てるようになることが先決」で、川相昌弘は「緩いゴロを右足に重心を置いて正面で捕ることの訓練」で、阿波野秀幸は「何はさて措いても速い真っ直ぐが投げられるようになることが先決」だった。

川相の育て方は故野村克也誌が何時も言っていた「(嘗ての)南海の監督だったドン・ブラッシングゲーム氏がノックで緩いゴロを体の真正面に打って、それを真ん中で確実に捕球できるような練習に重点を置いていた。我が国独得の千本ノックなどでゴロに飛び付いて捕る練習は無意味である。それは身体能力の問題だから」と同じ事なのだ。真正面に来たゴロを捕れない者に飛び付く練習などさせても効果はないということだ。

野球の話はこれくらいにしてサッカーに行こう。敢えて自慢話から入ろうと思う。私は名も無きサッカーのプレーヤーだったが、基礎だけはお陰様で十分に仕上げられていた。確か30歳を過ぎてからだった。慶応高校から大学と本格的にサッカーを続けてきた実弟と、ボールを蹴り合う機会があった。因みに、彼とは学校年齢が微妙に違ったので、同じ神奈川県にあっても試合で出会うことがなかった。蹴り終わってから弟が言ったことは「基礎が固まっていて、未だに崩れていないな」だった。これで言いたい事がお解り願えると思うが、如何だろうか。

その球辞苑の後で、かの「キングカズ」こと三浦知良が鈴鹿何とやらに移籍したというニュースで、早速練習でサイドキックを輪になって(その昔には「サイドサークル」などと称していた練習)やっている絵が出た。そこで初めて見た現象だったが、三浦は我々が今から70年以上も前に教えられた「ボールを立ち足よりも後ろで力を抜いて柔らかく止める」を実践していたのだ。この件はやや専門的になって解り難くなるが「体の前でボールを止めると、ボールが体から離れて行ってしまうので、相手に奪われる危険性が生じるので宜しくない」のである。

ところが、現代の選手たちは我々の頃よりも数百倍も球扱いが上手いにも拘わらず、この「体の真下でというか止める方の足を後ろに引いて」というストッピングもトラッピングもしないのだ。それだけ球扱いが軟らかくて上手いのだが、往年の基本とはかけ離れた技を用いて体の前で裁いているのだ。私には何時頃からそういう風に基本技が変わったのか知らないが、ブラジルやヨーロッパの有名選手たちは殆どが「体の前で」派なので、その影響があったのかと想像している。

この基本技の変化が最も顕著なのが「トラッピング」である。我々は「真ん中よりも右側にいる者は、左から来たパスをトラップするときには左足で引っかける(即ち、トラップだが)のであって、右足でトラップしてはならない」と厳しく躾られた。それは実際にやってみれば明らかなことで、右足でやるためには一度立ち止まらねばならないのだが、左足だったならば前への進行は止まらないのだ。試しに、今夜の対サウジアラビア戦を見て下さい、彼らがどの足でトラッピングするかを。そして、一回立ち止まるのを。

これと同じ理屈で、左側のポジションにいる者は右から来たパスなりクロスを右足で蹴ってシュートを狙うべきなのだ。何故ならば、左足で蹴るのは一旦体の前を通過したボールの右脇に右足を置いて左足で瞬間的に思う方向に蹴るという離れ業を演じなければならないのだ。同様に、右側にいる者は全てを利き足ではないかも知れない左足で蹴らねばならなくなるのだ。この基本をキチンと守っていないと、「あら、残念」という結果になってしまうことが多いのだ。

私がここまでに縷々述べてきたことは古き良き懐かしきWMフォーメーション時代のサッカー選手の繰り言かも知れない。だが、昨夜偶々チャンネルを合わせてしまった球辞苑が特集した専門家たちの話を聞いて「矢張り基礎と基本技が大切だ」と振り返っておこうと思うに至った次第だ。同時に強調できることは「基礎と基本技」が肝腎なのは、何もスポーツの分野だけに限ったことではないということ。例えば英語だってそうではないか。政治だって同じなのではないのかと言いたい。