新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月6日 その2 北京の冬季オリンピック

2022-02-06 11:35:02 | コラム
「零下20度でのトリックは怖かった」そうだ:

怖いのは、何も空中高く舞うスノーボードのスロープ種目だけでのことではあるまい。私はもともと個人種目が主体と見ている冬季のオリンピックにはさしたる関心がなかったのだが、目下開催されている北京でのオリンピックに於ける中国当局の「バブル」とやらの内と外に於ける厳戒態勢は異常であり、常軌を逸していると思って見ている。目一杯善意で解釈しても「彼らは何としても、諸外国の選手たちが持ち込むだろうウイルスを絶対に自国民に感染させないと守っている」のだろうが、その手法は理解を超えていると思う。

私はあのオリンピックを「中国が主催してトーマス・バッハという中国に取り込まれたとしか見えない虚け者が協賛している大会」だと思って見ている。また、習近平は苔むした思想であるに過ぎない「オリンピックを国威発揚の絶好の機会」として、敢えてあらためて捉えているのだと解釈している。しかも、彼習近平は最早露骨にロシアとの同盟関係を強調し、古き良き時代には政治とは無縁と銘打たれていたオリンピックを、専制主義国家対民主主義というか、彼ら以外の国家との冷戦の如くに仕立ててしまったようだ。

私は民主主義と自由主義の国家群が如何に中国を人権無視とかジェノサイド国と批判し非難決議を連発しても、習近平は意に介さない振りを続けるだろうし、はかない批判であり決議だろうと思っている。マスコミはオリンピックの試合内容を可能な限り報じたいと思うだけだから、泡の中で中国の規制が無理無体と知りつつも従順に活動せざるをえないのだろう。彼らは何か逆らえば追放どころか、当局による逮捕もあり得ると理解しているのだろう。

あのような十重二十重の規制と束縛をかけられたオリンピックが終了すれば、中国は声高らかに「北京の冬季オリンピックは成功だった」との声明を発するだろう。私はこれまでに何度かマスコミは「成功」即ち“success”という言葉を所謂「何か目的を達成すること」ではなくて、「見事に花を咲かせた」のように解釈して使っていないかとの疑問を呈してきた。英語のsuccessを私は「上手く行った」程度のことを表していると思って使ってきた。故に、習近平が何を言おうと「成功とはオリンピックが恙無く終わった」という辺りのことだと、今から考えている。

それにしても、昨日見るともなく快晴の下に女子選手たちが、張本勲ならば「何であのような危険なことに好き好んで挑んでいくのか」と言っただろうスノーボードのスロープ種目を観戦していた。最初はあの凄い空中高く舞い上がってクルクルと回って見せていたのは男子かと思っていた。

ところが、アナウンサーが気温はマイナス20度Cだと言うのを聞いて、本当に驚愕させられた。私は仕事上で零下30度とか聞いた冷凍庫に数分いた経験があるが、身動き出来なくなる尋常ではない厳しさだった。北京が寒い所だろうと理解してはいたが、あの条件下であれほど凄い技を展開するとはさぞや大変だろうと思わざるをえなかった。矢張り日本代表選手は「怖かった」と言っていた。あの予選で2位に付けた17歳の選手には「何も国威発揚してくれなどとは言わない。怪我なく入賞して下さいよ」と激励してあげたくなった。

冬季オリンピックには身体能力抜群のアフリカ系の選手たちは殆ど登場してこないが、我が国の選手たちが与えられた辛い条件の下で持てる力を十分に発揮して無事に終えるか、または入賞出来るよう頑張って貰えれば、それで結構だと思っている。オリンピックを「世界メダル獲得競技大会」の如くに騒ぎ立てるマスコミの連中などに気を取られることなく「世界」を経験して、これから先の競技人生の糧にして貰いたいと思っている。


石原慎太郎君逝きて6日:

2022-02-06 10:33:58 | コラム
今頃になって彼を大政治家の如くに持ち上げる者どもへ:

本日はこのような事を採り上げる予定はなかったが、今になって彼を褒め称える多くの報道機関の態度が気に入らないので、一言。

石原君は総理大臣を目指していたと聞いたことがあったし、湘南中学の同期会でもその事が話題になっていた。我々は「折角、同期の英雄がそこを狙っているのだったら、及ばずながら遠くからでも応援しようじゃないか」などと語り合っていた。

ところが、彼らマスコミは寧ろ彼を放言ばかりの異端児のように扱うだけで、一向に支持する気配を見せなかったのだ。それどころか、彼らは彼を如何にも政界の色物の如くに扱っていたとすら感じていた。彼に「日本よ」のような十分な場所を提供して彼の主張を掩護して見せたのは、産経新聞だけだったではなかったか。

私は彼が時々に発していた極論とも聞こえる表現は「誠にその通りだ」と思って受け止めていた。それを云々するマスコミは、彼の目と耳には「馬鹿なマスコミ」としか見えず聞こえていなかったようだったのではないのか。あらためてビデオで見せて貰った場面では、靖国神社参拝に関して下らない質問をする記者を「馬鹿者」と決めつけたのも「その通りだ」としか聞こえなかった。

申し上げておくと、私は長い間アメリカ人の中で過ごしていた為に、近頃は「長老」という表現をしている我が社の日本人代表者が「俺たちはアメリカを代表するというか彼らの代弁をしてきた為に同胞に向かって『もっとしっかりして下さいよ。こんなヘナチョコ外人に屈服しないで下さいよ』と、ついつい心の中で叫んでしまうのだ。結果として気が付けば俺は愛国者になっていたのだ」と述懐していたように、何時の間にか愛国者的になっていたのだった。

その辺りを捉えて、永年のお付き合いがある某大学教授は「貴方は永年の国際交渉の舞台で鍛えられた感性から、言われることが愛国者的になっているだけ」と喝破された。愚息は「当人を知っているから言うのだが、近頃の言動を見ていると如何にも硬派で国粋主義者と看做される危険性を感じるから注意すること」とまで言われた。その外国の影響下にある私は、石原君と同様に「戦争の時代」を知るだけに、彼の主張には同感なのである。マスコミに「今になって採り上げるな」と思いながら追悼番組を見ている。

戦争の時代を経験したことを威張るつもりなど毛頭ないが、如何にアメリカの影響を受けて育ってきたのであっても「日本人としての誇り」を片時といえども忘れてはならないのだ。彼はその辺りを捉えて「背骨がない海鼠のようだ」と言ったのだと思って聞いていた。

最後に、自慢話めいて恐縮だが、私がアメリカ人たちのどう言われていたかを振り返ってみよう。それは「君の英語、仕事ぶり、着衣等から君を見れば我々の仲間だとしか見えない。だが、良く付き合ってみれば、君な骨の髄まで日本人だった」なのだ。彼らに同調して彼らの為に懸命に働いても、「日本人」としての誇りは片時も忘れていなかったのだ。同期生の石原君は同じ思いだったのだろう。

ここにあらためて石原慎太郎君のご冥福を祈って終わる。