解散にも優先する話題だった:
昨日は何処の局を見ても高倉健を悼むニュースばかりで些か食傷気味だった。その過剰気味の追悼番組を敢えて非難する気はない。それはテレビ局というものはそういう為の存在であって、それ以上でも以下でもないことを総力を挙げて立証していただけだから。もしも特記したい驚きがあれば、古館の報道ステーションでさぞかし真っ先に安倍総理の解散表明を採り上げて、朝日新聞のゲスト解説者共に何か言うかと期待したら何と高倉健が先で「解散には後で触れる」と来たことだろう。
私と雖も高倉健という立派(なのだろう、勲章まで貰っているようだから)な俳優がいたことは承知していた。だが、50歳台(1993年まで)は自分の事業部の製品が我が国の市場で最大のシェアー・ホールダーになる為に粉骨砕身の努力をし続けていたので、何らの精神的と時間的な余裕がなく、映画と言えば飛行機の中で見ていたアメリカの映画ばかりだった。だが、ブラックレインだけは何処か劇場で見たかのような記憶がある。
と言ったような極めて個人的な事情で、幾ら彼の死を悼め、追悼せよと攻め立てられても如何ともしようがないのだ。
そこで我が映画鑑賞歴、それも1990年代を回顧してみよう。この頃は年間にアメリカ出張が年間5~6回はあったので、往復の機内で見る映画の本数が4~6本程度に加えてアメリカの国内線でもこれと同じくらいは見ていた気がする。だから、”Back to the Future”等は全4本連続だったか覚えていないが全部見ていたし、何本かの「カラテキッド」も全部見た記憶がある。合計すれば年間に20本以上は見ていた計算になる。
しかし、国内の映画については何故か極道ものはテレビで相当な数を見ていたので、金子信雄(こんな字だったか)や菅原文太や松方弘樹等のこの分野での名優?は顔を見ても解る程度の知識がある。だが、この種の映画に高倉健が出ていたかどうかも知らない。
何れにせよ、テレビ局というものはこういう為にあるのであって、こと報道に関しては国家的な重大事である衆議院解散の優先順位を低く設定していることを自ら証明してくれたと思っている。
昨日は何処の局を見ても高倉健を悼むニュースばかりで些か食傷気味だった。その過剰気味の追悼番組を敢えて非難する気はない。それはテレビ局というものはそういう為の存在であって、それ以上でも以下でもないことを総力を挙げて立証していただけだから。もしも特記したい驚きがあれば、古館の報道ステーションでさぞかし真っ先に安倍総理の解散表明を採り上げて、朝日新聞のゲスト解説者共に何か言うかと期待したら何と高倉健が先で「解散には後で触れる」と来たことだろう。
私と雖も高倉健という立派(なのだろう、勲章まで貰っているようだから)な俳優がいたことは承知していた。だが、50歳台(1993年まで)は自分の事業部の製品が我が国の市場で最大のシェアー・ホールダーになる為に粉骨砕身の努力をし続けていたので、何らの精神的と時間的な余裕がなく、映画と言えば飛行機の中で見ていたアメリカの映画ばかりだった。だが、ブラックレインだけは何処か劇場で見たかのような記憶がある。
と言ったような極めて個人的な事情で、幾ら彼の死を悼め、追悼せよと攻め立てられても如何ともしようがないのだ。
そこで我が映画鑑賞歴、それも1990年代を回顧してみよう。この頃は年間にアメリカ出張が年間5~6回はあったので、往復の機内で見る映画の本数が4~6本程度に加えてアメリカの国内線でもこれと同じくらいは見ていた気がする。だから、”Back to the Future”等は全4本連続だったか覚えていないが全部見ていたし、何本かの「カラテキッド」も全部見た記憶がある。合計すれば年間に20本以上は見ていた計算になる。
しかし、国内の映画については何故か極道ものはテレビで相当な数を見ていたので、金子信雄(こんな字だったか)や菅原文太や松方弘樹等のこの分野での名優?は顔を見ても解る程度の知識がある。だが、この種の映画に高倉健が出ていたかどうかも知らない。
何れにせよ、テレビ局というものはこういう為にあるのであって、こと報道に関しては国家的な重大事である衆議院解散の優先順位を低く設定していることを自ら証明してくれたと思っている。