新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国は世界にも珍しい性善説信奉国なのだ

2021-12-02 07:58:39 | コラム
もうそろそろ性善説に決別を告げるべきでは:

私はこれまでに何度も何度も「我が国が長らく信奉してきた性善説から脱却した方が良くはないか」と唱えてきた。勿論「人の性は善なり」と固く信じて疑わないのは、我が国独得の美風ではあると思うが、国際化などと言う美辞麗句に目を奪われて無定見に多くの外国から人々を招き入れた結果で、その美風というか美徳に付け込まれているような状態が顕著に表れてきてしまったのは、誠に遺憾なのである。

偉そうに言う私だって、1972年に生まれて初めてアメリカに出張する機会を与えられ異文化に接するようになって、初めて外国には我が国で生まれ育っていれば想像したこともなかった事態が生じているのだと知り得たのだった。最初はホテルにチェックインする際にクレデイットカードの提示を求められたのだが、その意味が食い逃げならぬ「泊まり逃げ」防止策だったと教えられて、正直なとこと呆気にとられたのだった。世界で最高の国であると信じてきたアメリカには、そういうことをする人間がいるとは驚き以外の何物でもなかった。

更に、アメリカという国に少しでも馴れて、その質が非常に優れていると聞かされた靴を買いにシアトル市内で最も評価が高いNordstromというデパートの売り場に行ったときのことだった。「何でアメリカでは売り場に靴が片方しか展示されていないのかな」程度に軽く疑問に感じた。ところが、これは万引き(shop liftingと言うのだそうだ)防止策で、片方のみを置いてあるのだと、商社の駐在員に教えられた。衝撃的だった。

即ち、我が国とは異なる文化圏に入れば「人は生まれつき悪なのだ」と決めつけられていて、その為の対策が至るところで講じられていたのだった。ここまでには、その解りやすい例として二つだけ挙げたが、何事でも契約書で拘束することなどは「こうでもしないことには、人は約束を破るものだ」と決めつけてあるのだろうと受け止めることにした。

ところが、我が国では「人は生まれついて善なる存在だ」と思われているので、物事全てがその善意を信じて構成されているのだ。その表れの一例が、昨日取り上げた「濃厚接触者と認定した70名の帰国者の中の東京都在住の方40人を『アプリで管理する』と言うことで全員帰宅させる処置」だった。2日置に状態を報告するという約束事になっているようだが、その方々が14日間何処にも外出されずに家に籠もって下さるという善意を信じているとしか、私には思えなかった。そうとばかりは行かない例も昨日明示した。

また、ペルーから26日だったかに入国した陽性者の便に同乗していた110名だったかの方々は既に帰宅しているのだが、居所が解っているのでこれから追跡調査するとの報道もあった。この例などには不可抗力の点もあるようだが、ここにも「性善説信奉」の要素が見えていると思う。私は我が国に入ってくる全ての外国人の性が悪だとまでは思わないが、もうそろそろ西欧の諸国を見習って「性悪説」に基づいた法の整備が必要なのではないかと痛感している。

その点を本日、産経新聞の論説委員・阿比留瑠偉氏が「難民申請」関連の法改正の必要性を訴えておられたのには、私は何もこの法律だけのことではなく全面的に賛成なのだ。少し言葉はきついが、私は繰り返して「我が国に機会を求めて一旗揚げようかなどと目論んでくる連中は、自国で正常な職を得ていないか、受け入れられていない食い詰め者だと疑ってかかっても、必ずしも誤りではないと思う」と主張してきた。アメリカ人でハーバードのMBAを取得したばかりの若き精鋭が、我が国に機会を求めてやってくると考えられるか。

その辺りを阿比留氏は強制送還されるべき者たちの中に犯罪者が数十パーセント含まれているし、彼らは難民申請をして送還を免れているのだ」と指摘しておられたではないか。このような事案からも性善説の限界が見えているのではないか。我が国の法制度にはこの例が示すように、性善説の要素があるだけではなく、時代遅れにもなってしまっているのだ。昨日も橋本徹氏が「我が国の現行法では入国拒否は緊急事態のみの適用である。国会は早急に法改正をすべきだ」と吠えていた。ここにも「性善説」の影が見える気がするが。

因みに、英語には漢字の熟語「性善説」のように、その概念を3文字で表せる表現はないのだ。そこで、検索してみるとプログレッシブ和英辞典に載っている“the ethical doctrine that human nature is fundamentally good”というのが一般的のようだった。なお、「性悪説」はgoodをevilに替えれば良いようだ。



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