新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月23日 その2 甲子園の野球が終わった

2019-08-23 15:29:30 | コラム
奥川恭伸君は何か勘違いをしていたのでは:

何時までも文在寅大統領の大勘違いに付き合っていても詮無いことなので,昨22日に最後まで見てしまった甲子園の野球の決勝戦を冷静な評論家の目で回顧してみよう。なお、本日は午前中に懇談してきた某私立大学の新聞学科の教授は「文在寅大統領の今日までのやり方を見ていれば、当然GSOMIAを破棄してくるものと決めつけていた。あの破棄声明は何の不思議もなく意外でもない」と語っておられた。全く同感だった。

さて、高校野球である。私は既に「奥川恭伸君は言わば完成してしまったような好投手で、最早伸びしろが残っていないのではないか」という見方を披露していた。昨日の決勝戦はどちらが贔屓という訳でもないので、もし何かの閃きでもあるかと思ってチャンネルをNHKではなくテレ朝のBSの元横浜高校監督の渡部氏と古田敦也の解説を選択した。いきなり結論めいたことを言えば「渡辺氏は奥川君は6回で既におかしくなっていた」との見解を聞かせて下さり、その通りで奥川君が打たれて負けた。こういうのを本当の解説というのであり、NHKの解説は説明に過ぎない。

私は試合開始前の奥川君の緩んだ表情を見て「これでは駄目だろう」と密かに履正社の勝ちを予想していた。尤も、アナウンサーによれば星稜高校は「必笑」(ヒッショウ)をモットーとしているそうだが、それにしてもあの表情は私には油断にしか見えなかった。それにアナウンサーは繰り返して「奥川君はキャッチャーの山瀬君と小学校からのバッテリー」を強調していたが、それだけで甲子園で優勝出来るものではない。問題は奥川君の特徴を如何に活かす配球をするかだろう。

奥川君は150 kmを超える直球をビシビシと決める高校生離れした能力を持っていると私は見ていた。即ち、私の考えではその快速球を軸にしてピッチングを組み立てるのだと思っていた。ところが、あの決勝戦では意外や意外奥川君は変化球を主体にしたかの如く三振を取りに行く投球ではなく、寧ろ外していくような組み立てになっていた。それにも拘わらず、あの試合では制球力が整っていなくて全ての球種が高めに流れていたのだった。その最悪の結果がスリーランホームランになった高めのスライダーで、あの一球で試合を壊してしまったと私は見ていた。

要するに「小学校からのバッテリーである事」は勝利に結びつかなかったのだ。この辺りが勝負の怖いところで、ベンチから監督が余程細かくシグナル(「サイン」というのはカタカナ語であり意味を為さない、念の為)を送って、バッテリーを指導しておくべきだっただろう。ベンチから守備中に指示しないでも、ベンチに戻った時に組み立てを注意していたのかと疑っていた。私の言いたいことは「そこが勝負の分かれ目だった」との点である。即ち、山瀬君は投手と当日のどの球種が一番良いかを事前に綿密に打ち合わせておくべきだったということ。

子供のやることを超後期高齢者が批判しても意味はないと思うのでここまでにするが、非常に緊迫した一定以上の技術水準に達している両高校が非常に良い試合をしてくれた。履正社はあの兵庫県の高温多湿に馴れていたのだろうが、あの苛酷な条件の下にまだ身体が出来上がっていない高校生たちに連日連夜試合をさせるのを、もうソロソロ朝日新聞も高野連も本気になって考え直すべきだとあらためて言っておきたい。あの期間中に大阪市内の京セラドームで阪神が野球をやっていたが、その空き時間の昼間にあのドームを活用する企画でも立てたらどうだろう。

「何、甲子園は高校生たちの聖地だから譲れない」だと。そんなのは時代感覚の欠如した野球馬鹿の言い分だ。高校生たちの健康問題に気を配るのが当然だろう。終わりに優勝した履正社高校にお目出度うを言って上げよう。実は何を隠そう、私は高校2年の時にあの大優勝旗に触ったことがあったのだ。それは昭和24年にたった一度だけ出た我が母校の野球部が優勝して、あの優勝旗を持ち帰って学校に飾ってあったのだ。



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