新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月22日 その2 オリンピック報道で感じたこと

2016-08-22 16:47:28 | コラム
限界にまで追い込んだ練習で:

これは何人かの3位以上に入賞を果たした選手乃至は個人競技のグループを指導された監督かコーチの方が、インタビューに答えて言われたことか、アナウンサーか解説者が「想像を超えた厳しい練習」を形容する為に使われた台詞である。実際には、女子のシンクロナイズドスイミングの井村雅代さん(監督かと思っていたが、実際の肩書きはコーチだったようだ)はこう言っておられかたと記憶する。その部分だけが例によって切り取られたと解釈している。

実を言うと、聞いた瞬間には「エッツ、今頃になっても未だそんなことを言われるのか」と感じた。誤解なきように申し上げておくが、私は決してそういう鍛え方を否定するものではない。現実に20数年以上も前に、そういう厳しいなどと言う単純な言葉では語り尽くせないような激しさで鍛え上げられて、社会人を3年連続で破って全日本制覇を果たしたある大学の練習振りを知っているから言うのである。

当時の日本大学アメリカンフットボール部の篠竹幹夫監督(故人であるが)の指導振りは実際にグラウンドで何度も見学していたし、そのフェニックスに優秀な選手を送り込んでおられた付属の日大高校の故・清水之男監督も「限界まで追い込む練習をやって、そこで何が出来るかを経験させるのだ」と語っておられた。高校でそこまでやるのだから、上部組織の大学での厳しさと激しさは推して知るべしだ。そのフェニックスで育てられて社会人になった者たちは平然と「会社の業務ので厳しさや辛さなどはあの当時の練習に比べれば何でもないこと」と言ったほどである。

しかし、当時のフェニックスはただ単に所謂「しごき」の如きことを学生たちにやらせていた訳ではなく、グラウンドには「ウエイト小屋」と呼ばれるウエイトトレーニングの機械が完備されていて鍛え上げるようになっていた。しかし、そこまで豊富な練習量と精神力を兼ね備えるまで鍛え抜かれたフェニックスの1990年以前の強さは、今日では言わば語りぐさであろう。我々昭和一桁生まれの時代の強豪と言われた大学の運動部の「限界まで追い込む練習」の激しさは程度の差こそあれ常識だった。その表現を、21世紀の今日になって聞かされては些か違和感を覚えた次第だ。

それは、水泳で多くの「ゴールドメダリスト」を育てられた現在は東洋大学の監督である平井伯昌氏は、早くからコンピュータを導入して泳ぎ方を管理しておられたと聞いている。その精密さを弟子の一人がテレビで解説していたが、そこまで緻密な指導法があれば萩野浩介があそこまで育ったものだと感じ入っていた。女子のヴァレーボールの監督さんは試合中はタブレットを手放すことなくスタンドから入力されるデータを活かしている。フットボールでの詳細で精密なスカウテイングによるデータをデイジタル化して活用して試合に臨むことなどは何度も述べてきた。

私はそこまでの時代にあって「限界まで追い込む練習」のみを強調したがるマスコミの報道姿勢には疑問を感じざるを得ないのだ。オリンピックで一定以上の成績を残す為には、当然普通の何十倍もの激しく且つ厳しい練習は必要だろう。だが、優勝まで持っていく為には闇雲に練習だけしていれば良いものだとは到底思えない。厳しさや激しさは必ず科学性に裏付けられているべきものではないか。スカウテイングによる対戦相手やライバルのデータも必需品だろう。私は監督さんや選手を称えたいのならば、そこまで徹底した取材をして実態を正しく正確に視聴者や読者に伝えて欲しいと考えている。「お涙頂戴」や「美談仕立て」は不要だ。



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