新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月19日 その2 緊急事態発出下に思う

2020-04-19 15:40:47 | コラム
何処まで緊張感があるのか:

厳戒態勢:
もう先週のことになってしまったが、17日(金)に調剤薬局まで国立国際医療研究センター(NCGM)泌尿器科から送られて処方箋の薬を引き取りに行った帰りに、東京山手メデイカルセンターの玄関の前を通ってみた。すると、二重になっている自動ドアの間にチャンと装備した看護師さんが2名立っていて、入館する人たちの検温をしていた。「なるほど、大きな病院はそこまでの危機意識で管理しているのか」と、あらためて認識した。NCGMからは電話で診断されて「来院に及ばず」となってことは既に採り上げたが、この辺りが当然の危機管理だと思った。

危機意識の欠如か:
それと比べれば、我々を含めて一般人の意識は未だ十分ではないようだと思わざるを得ない。当方は緊急事態発出後で最も遠いところに出掛けたのが、ここから約400 m程の調剤薬局が最長不倒距離ではなかった、最も遠い場所である。先ほどもイオン系のマイバスケットまで不要不急ではない買い物に出掛けたが、このアパートの敷地からの距離は10 m程だ。超後期高齢者としてはそこまで安全策で臨んでいるが、上から見下ろしても地上に降りても、人の動きは平常時と変わらないように感じるし、異邦人どもは緊急事態発出を知ってか知らずにか平気な顔で出歩いているのは困った現象だと思う。

マイバスケットの店頭にはボックステイシュもトイレットペーパーも山積になっていたが、道行く人は誰一人として見向きもしなかった。思うに、一寸薬局等で店頭に出始めた頃に慌てふためいて買い溜めした人が多かったのだろう。政府も製紙会社も何度も「在庫は十分にあるから焦らないで」と言っていたではないか。老爺心から言っておくと「製紙とは装置産業だから、極端に言えば1年365日、24時間連続操業するしかないので、製品は幾らでも出てくる仕組みなっている」と、ご承知置き願いたいのだ。

“social distancing”:
表記は英語にしたが、この言葉と“Stay home”というのがどうやら小池都知事のお好みに合っているようだ。だが、都知事は平気で「ソーシャル・デイスタンス」のように言われるのだが、念の為に調べてみるとこの見出しのように“ing”を付けるのが正しいようだし、週刊新潮の片山杜秀氏のコラムには「ソーシャル・デイスタンデイング」のような表記になっていた。「また、カタカナ語排斥論者が五月蠅いことを言っている」と言われる前に、「正しい英語の表記にしよう、我が国の英語教育改善の為にも」くらいは考えて欲しい。

屁理屈を言えば“stay home”だと、簡単に解釈すると「家の中にいろ」と命令しているような感がするのだ。小池都知事は日本語の言葉遣いは丁寧だが、これだとイヤ言い方だが「上から目線」のような響きだ。何も英語のカタカナ表記などにせずに「在宅にして下さい。無闇に外出しないように」の方が解りやすいのではないのか。「ソーシャル・デイスタンデイング」にしたところで、片山氏が言われたように「安全距離を保ちましょう」と言えばより明快ではないのか。「オーバーシュート」と同様なおかしな表現だ。

カタカナ語を批判したので、行き掛かり上気になっているテレビ局用語を批判しておこう。それは彼等が“item”という単語を如何にも「商品」か「品物」か「製品」のように使うので、この私が惑わせられて「はて、itemは本来どう意味だったか」と悩んだのである。第一に永年の経験でも“item“という単語を聞いたことも使ったこともほとんどなかったにも拘わらず、彼等は何処で覚えたのか平気でカタカナ語にして使っているのには恐れ入っているのだ。

ジーニアス英和辞典には確かに「商品」という訳語はあるが、本来の解釈ではないような扱いだ。カタカナ語製造業者は如何なる根拠で商品や品物や製品の意味に使おうと思ったのだろうか。何度でも言うが、「カタカナ語にする前にせめて英和辞典くらいは引いて見ろ、発音記号くらい確かめろ」なのだ。

そこで、Oxfordを例によって引いてみれば、先ず“one thing on a list of things to buy, do talk about, etc.”が出てくる。2番目と3番目を見てもカタカナ語のような意味は出てこない。私が腹立たしく思うことは「何故、このような出鱈目な単語の解釈をするのか」である。こんな出鱈目をやっておきながら「国際人を養成する為に英語教育を小学校から」と言い募るのはとんでもない矛盾だとは考えないのか。彼等マスメディアの中にはチャンと英語が解っている者がいるはずだと思う。現にトランプ大統領のTwitterなどは正確に訳しているではないか。

兎に角、私が不思議に感じることは、20年以上もアメリカ人の中にいて、それも良識ある者たちに囲まれていて、聞いたことも使ったこともない単語をカタカナ語にしてしまう出鱈目さは信じがたいのだ。「メリット」(=merit)を平気で“advantage”のように使ってしまう解釈など呆れるだけだ。しかも「デメリット」という反対語まで作ってしまうのだ。「コンプレックス」だって勝手に最初の“inferiority”を飛ばしてしまった。思うに辞書を引いた為に「インフィアリオラテイ」と表記する度胸がなかったのだろう。



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