新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

カタカナと英語を考える

2017-11-14 12:07:21 | コラム
英語擬きが多いが本当の英語もある:

日頃カタカナ語を排斥しているのだが、今回は英語も交えて考えてみようと思う。例によって、思いつくままに並べていく。

アンケート
解説)これは言うまでもなく「アンケート」のこと。だが、これの基になっているのはフランス語で enquete という言葉である。英語は questionnaire である。このように我が国のカタカナ語には時々フランスやドイツの言葉が混ざっている。テーマパークの「テーマ」などはドイツ語で thema である。私の命を救って頂けた「カテーテル」はドイツ語で Katheter と書くが、英語では catheter でどう考えても「キャセター」という発音だろう。

そこで、questionnaire を英和辞書で見ると「アンケート、アンケート用紙、質問票」と出てくる。それでは我がカタカナ語でいう「世論調査」は何というかと和英辞典を見れば an opinion poll などという聞き慣れない表現が出てきた。それでは「調査」は何となるかというと enquire か inquire と出てくる。ここまで来て漸くフランス語の enquete に近い言葉出てきた。

私は不思議だと思っていることは、現在ほど何かと言えば「英語」だ「英語」だと騒ぎ立てるのに、何でここではフランス語なのかということ。考えてみれば、英語の questionnaire の綴りがや発音がやや難しいので、フランス語に飛びついたのかなと推理した。もっと言えば、何故簡単に「調査をする」と言わないのも不思議だ。カタカナ語にすれば何か崇高なものにでもなるとでも考えているのか。

オーダーメイド(オーダーメード)
解説)この言葉は既に採り上げたことがある。だが、あらためて論じてみよう。英語は custom made か tailor made だろう。だが、オーダーメイドは如何にも注文して作らせたという語感に溢れているから、カタカナ語製造担当者が採用したのだろう。英語には made to order で「お誂え」というのがあった。思うに先人は custom made という言葉は理解されにくいとでも判断され、誰にでも解りそうな「オーダーメイド」を採用されたのだろうか。

因みに、tailor made は「特別な要望に合わせた」であるとか、「・・・にあわせた」とか「最適の」という意味がある。確か、ゴルフ用品に Tailor made というブランドがあった。このブランドには既製品がないと意味かな?

駐車禁止区域:
解説)アメリカにはこのような警告文が地面というか道路上に表示されている。英語では tow-away zone となっている。即ち、そこに駐車するとレッカーするよ」という意味だ。ここにで来る tow は「船、車などを綱か鎖で引っ張る;駐車違反などの車をレッカー車で移動する」とある。

そもそも、カタカナ語になっている「レッカー車」なる言葉も面白いのだ。wreck という言葉は「破壊、または壊す」という意味なので、自動車事故を car wreck と表現することが多い。現に私自身が1985年10月に貰い事故となった時には car wreck と言っていた。では「レッカー車」は誤りかと思えば、Oxfordには wrecker とは北アメリカ英語として a vehicle used for moving other vehicles that have been damaged in an accident とあるから、正しいのである。ではあっても「壊す車」というのは「何でそうなるのかな」と思わせてくれる。

破棄する:
解説)何とプログレッシブ和英辞典では「破棄する」を引くと最初に destroy が出てくる。そこで、ジーニアス英和で destroy を見ると「人、物、事が建物などを破壊する、打ち壊す」と出てくる。かなり見解に相違があるようだ。では、実際にアメリカではどのような使われ方をするかの経験を語った置こう。

性悪説を信奉するアメリカのホテルでは「無銭宿泊」というか「泊まり逃げ」防止策で、チェックインの際にクレデイットカードの提示を求めてカード払い用の伝票にその番号を打ち込んでしまうのが普通のことである。私も勿論コーポレートカードを持たされるまではその文化に従っていて、チェックアウトの際に旅行者小切手(トラベラーズチェック)で支払うようにしていた。

そして必ず会計係に告げたことが「私のクレデイットカードの番号が打ち込んである帳票を出して、目の前で破いてくれ」と要求していた。確か「破る」を tear 即ち、「引き裂く」と言ったと思う。ところが係の確認は Yes, here it is. I will destroy it. だったのだ。destroy とは大袈裟な言葉を使うものだなと思ったが、さして気に求めなかった。だが、後になって調べ見ると「あれは破棄する行為であり、destroy で良いのだ」と判明した。何処で勉強が出来るかなどは解らないないものだという教訓だった。



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