新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月10日 その2 私の情報論

2023-05-10 16:54:57 | コラム
自分の情報網を構築しよう:

私が1955年に新卒で入社した旧国策パルプ(現日本製紙)グループの販社での最初の上司は、東京商科大学(現一橋大学)から旧三井本社→三井物産という当時では目もくらむような経歴の人だった。彼に厳しく命じられた事の一つには「情報収集は非常に商社では重要な仕事。訪問した先で『これは凄い情報』と感じた事を聞いたら、話を中断しても直ちに帰ってきて私に報告しろ。それが重要な情報かどうかは私が判断して上に上げるから」だった。ここにはinformationだけではなくintelligenceも入ってくると思う。

要するに「情報なんてどれが重要かどうかは、その部門乃至はその会社次第で変わる。先方が何気なく喋った事がこちらにとっては飛び上がるほど重大な事柄かも知れないし、その反対もある」という事。また「こちらから何の情報も提供しなければ、先方から情報は返ってこない性質だから、何処までの見返りがあるかを適切に判断して提供すべきである」なのだ。

「情報網を構築せよ」と言ったが、具体的には「先様の業種を問わずに広範囲に深く付き合え」、「広範囲に顔を売っておけ」、「この関連の情報を取るならこの人からと思う多くの人と親しくしておけ」、「情報交換では骨を切らせて構わないなから、先方の随を切る位の覚悟でいけ」という事。長くなるから具体的な手法にまで触れないが「手の内を暴露する事を厭わずにやって見ろ」で、換言すれば「相互の信頼関係を築いておけ」という事になる。

因みに、私は「飲まず(=アルコールを受け付けない体質)」、「ゴルフは1974年4月を以て辞めた」、「麻雀も1976年で辞めた」、「夜の遊びはしない」であるから「付き合いにくい人」と言われた。言い換えれば「接待の方法がない」となるかもしれない。しかし、所謂「パワーランチ」は積極的にやっていたので、秘書がつけてくれた記録では、2ヶ月も続けていた時期があった。でも、胃が悪くなって弱った。これは絶好の「信頼関係構築」の場として有効に使っていた。

自慢話をするかと非難されそうだが、私は業界内では情報通として広く知られていたようだった。であるから、先方様も見返りを取ろうとして色々な情報を提供してくれるようになる。中には全く知らなかったような情報も入ってくる事があるのは当然のこと。その際に「それくらい知っている」という顔をするか、「良いお話を聞かせて頂いた」と驚いてみせるかは微妙な判断になる。その際は何らかの見返りの情報を提供すべきだろう。

私の強みは年中アメリカに行っているし、本部からも常に副社長を含めて誰かが来るので、英語でしか取れない「向こうの現在の事情の情報」を豊富に持っている事だったと思う。当然、我が国の市場の情報にも広く通じていた。

情報の収集源としては、アメリカに行ったら積極的に商社とメーカーの駐在員たちと会うように時間を調節していた。私が得意として語り且つ書いていた「日本とアメリカの企業社会における文化比較論」などは、多くの駐在員たちに一寸でも語ると「そうなっているとは知りませんでした」と驚かれる事が多かった。アメリカ人の会社の内側で見て経験するアメリカは、駐在してアメリカ人と接触していても容易には見えないもののようだ。

1995年辺りからだったか(私はウエアーハウザーをリタイアした後の事だが)、クリントン政権が「日本はアメリカの世界最高の品質の紙を買わずに原料ばかり買うのは怪しからん。買わないならスーパー301条を適用して締め上げる」と脅迫してからは、上記の「文化比較論」と「アメリカ製の紙は日本市場には不向きだから恐れる必要なし」の講演だけで生計を立てていられるのではないかと揶揄われたほどほど、方々を回って語っていたし。業界の専門誌にも積極的に寄稿していた。即ち、情報を提供していた。

ここまででも言える事は、21世紀パラダイム研究会の故上田正臣会長が言われた「世間では誰も本当の海外の事情等知らないのです」は、その通りだったと言えるかもしれない。それは「アメリカの事情」について私が語る事柄は伝聞ではない私自身の意見であり、物の見方であるからだ。その辺りがアメリカ人たちの尊重する”firsthand informationなのである。マスコミが伝える報道とは違うのだと、密かに自負している。

だが、権威がある優秀な記者やジャーナリストたちが伝えている情報には、我々(と敢えて言うが)内部にいる者には見えない点を教えてもらえるので、仮令second handのinformationかも知れないと思っても、有り難く受け止めるべきなのだ。故上田会長は言われた「自分の事は解らないものなのです」と。

我が副社長は”We are making the things happen.“と言った。これは「我々が当事者」という意味になるのだが、その当事者がやる事をマスコミが見れば「屡々我々が意図している通りには報道されていない場合がある」と言いう事でもある。この点を、私は「真実は一つ」ではなく「出来事は一つ」であり、それを見る者の知識、経験、立ち位置、損得次第では、全く異なる情報になってしまうのだと思っている。



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