新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

好ましくなかった出来事だった

2016-06-06 07:53:39 | コラム
田野岡大和君一家と躾と言葉遣い:

私が「躾」ではなく「お仕置き」だろうと指摘した北海道での大捜索劇は意外な結果で終わった。捜索に投じられた多くの警察、消防団、自衛隊の経費は「仕事か任務である」事で田野岡一家の負担は無しとなったのも意外というか、何となく腑に落ちなかった。

この件では「親の子供に対する躾」があらためてマスコミの話題となって登場し、あれは虐待ではなかったかと児童相談所送りになったとも報じられた。昭和一桁生まれで時代感覚が違う私からは、この点について何か言うことはないが、後味は良くなかった。

但し、たった一つあの父親というか一家について好感が持てたし救いがあった事があったと言っておきたい。それはあの父親が自分を「お父さん」と称したことと、大和君も「お父さん」と呼んだことだ。何が言いたいのかと言えば「パパ」ではなかったこと。

それは、今や我が国ではマスコミ、就中テレビでは「お父さん」も「お父様」も死語と化していて、「誰々がパパになる」とか「~がママになる」という具合に何処の国の言葉を語源にしたのか私は寡聞にして解らないカタカナ語を嬉々として使っているのだ。その軽佻浮薄な言葉が流行っている現代に「お父さん」を使っていたのは大変結構だと言いたい。その言葉遣いの功績でこの度の「置き去り」の罪一等を減じて良いかとすら考えている。


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