新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「忘年会スルー」の考察:

2019-12-23 14:39:01 | コラム
時代と世代の変化を感じた:

近頃しきりにこの「忘年会スルー」という、厳密に言えば意味不明でしかない言葉を聞かされるようになった。勿論カタカナ語交じりとして立派に通用しているようなのである。それだけに止まらず、私には現代人のものの考え方というか、感受性乃至は文化の違いを感じさせてくれる言葉のように聞こえる。

私は幸か不幸か39歳にしてアメリカの会社に転じてしまったので、日本の会社のような忘年会などという我が国独得の「何でも皆でやろう」という文化というかものの考え方をしない世界に入っていたので、そういうスルーするもしないもない会社暮らしをしていた。しかも、私は体質的にもアルコール飲料を受け付けないので、忘年かどころか所謂飲み会は言うに及ばず、接待での飲酒は苦痛に近いものがあった。それだけに、最早50年近くも離れていたそういう世界のことが、その「スルー」という話を聞いて寧ろ懐かしく思い出されたのだった。

確かに、その当時でも上司と飲みに出掛けることや、忘年会か新年会等々は出来ることならば回避したい方だった。だが、あの時代では「私は行きません」などとは到底言い出せるものではなかった。それが時移り人変わり「堂々とスルーする人たち」が出てきたという話は、陳腐な言い方をすれば「将に時代が変わったのか」と受け止めるのだった。従って私にも5時を過ぎてからの自分の自由を奪われることなど受け入れられないという気持ちは解らないでもない。

若かりし頃はそういう金の使い方が会社乃至は部門の予算内なのか、あるいは上司の胸先三寸にあるのかなど解らなかった。だが、何時の日か自分がそういう地位に立たされたらどうすれば良いのかななどと考えたこともなかった。しかし、再び「幸か不幸か」と言うが、そういう心配を全くする必要もない異文化の世界に何も知らずに移っていったので、そういう懸念があったことすら忘れていた。個人の主体性に依存し尚且つ車社会のアメリカの本社では、部乃至は課員全体が集まって飲食をすることなどあり得ないのだった。

では「日本(と言うか東京)の事務所では話が違うのではないのか」と訊かれそうだが、本社の各事業部を代表する駐在員の集合体であれば、全員の都合が揃って社外に飲食に出向くなどという機会などは、余程強制しない限り先ず起こりえなかったのだ。という次第で、我々にとっては「スルーするもしない」もなかったのだった。何とか記憶をたぐってみると、そう言えばクリスマスの日だったか24日には全員が放課後に会議室に集まって、一寸したおつまみで乾杯して終わりということはあったと思う。終了後には仕事に戻った者もいたと記憶する。

だが、よく考えてみれば何でも「皆で一緒にやろう」とか「一丸となって」という基本的な精神がある我が国で、5時以降の自分の時間を取られたくないという考え方をする世代が現れたということは、矢張り「時移り人変わり」なのだろうと思わせてくれる。私は飽くまでも個人の能力を基本にしているアメリカ式と、我が国のテイームワークかまたは皆が一丸となってという企業社会の文化を破壊してまで、個人の自由を優先するのもどうなのかなとは思っている。

上記のように考えて見れば、W社ジャパンが採用していたような方式で軽く済ませて「今年はご苦労様でした」と上司が全員の労を労って済ませる妥協点もありはしないかと思うのだが。その後で自費ででも飲みたい者たちが集まって繰り出せば良いのでは。だが、この考え方も「一丸とはならない」アメリカ式だと批判されそうだ。

ここで矢張りカタカナ語批判をしておくと「スルー」即ち“through”は「副詞」であり、それを恰も動詞のように使っているのは「単語の知識偏重」の我が国の英語教育の問題点を浮き彫りにしていると思う。ジーニアス英和辞典には「・・・を通り抜けて」が真っ先にあり、次は「・・・を貫いて」と出てきている。「忘年会をパスする」との意味で使うのは無理があると思う。因みに、Oxfordには“from one end or side of ~ to other”とある。思うにサッカーでいう「スルーパス」辺りの応用編だと思って製造業者が編み出したのではないのかな。



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