新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

特称命題と単称命題

2018-07-26 08:43:22 | コラム
関東学連対監督会の対立と再発防止策:

監督会が学連に対して「日本大学フェニックスが提出した改善及び悪質タックルの再発防止策を開示せよ。さもなくば考えがある」との要求を出していると報じられたと聞いて、昭和20か21年頃に湘南中学(当時)の赤城愛太郞校長がその訓示の中で採り上げられた「特称命題」と「単称命題」を想起した。これらは今となっては馴染みがない熟語だが、広辞苑には載っている。同時に、私は既に採り上げて論じたことだが、再発防止の最善にして唯一かも知れない対策は「内田前監督と井上前コーチを排除したこと」であると考えている。

更に言えば厳密に再発防止策を開示せよとの要求は「橋詰功内定新監督」にも「再発させぬ」という誓約書でも出させる他あるまいとも思っている。だが、翻って無理矢理に監督会の立場で考えれば「出直してくると雖も、日大フェニックスの今年の顔ぶれは新入生を除けば昨シーズンの内田監督が率いていたテイームである以上、再発の危険性を内蔵しているのではないか」という疑念を抱くのは理の当然かも知れない。

ここで一つのことに拘る「単称命題」に思いをは馳せてみれば「絶対に再発させないと誓え」と言いたくなる気持ちは解らないでもない。そういう危険性がある大学と対戦すれば、いつ何時大切な自校の部員が危険な目に遭わないとは限らないからである。だが、それを厳しく日大と学連に要求するのであれば、自分たちが率いる大学でも絶対に悪質な、相手の選手を傷つけるようなプレー(タックルだけと特定しないで)をさせないという保証をするべきではないのかという気がするのだ。

私はこの監督会の主張を聞いてふと感じたことは(方々から反論や非難されそうだが)「仮令あの毀誉褒貶相半ばした原子力規制委員会が安全を保証した原発であっても、それが存在する地方自治体(現実には新潟のように県知事らしいのだが)が認めない限り稼働を再開できないという案件に似ている気がした。福島の原発の事件は誠に重大であり、且つ件の内外どころか国外にまで色々な影響を与えた。それらは否定しようもない。

だからこそ、希代の悪宰相だった菅直人は福島から遙かに離れた静岡県の浜岡をいきなり停止させたし、数多くの要らざる規制を実施して「原子力発電所が如何に危険な存在で太陽光等の他のエネルギー源に転換すべしと唱え、多くの賛同者を創り出したし、電力価格を引き上げるという要らざる結果を残して退陣した。

私如きには福島原発の事故の本当の原因が何処にあり、どこを改善して取り除けば安全になるかなどは解る訳がないのだ。だが、原子力規制委員会が何を保証しようと「原発は危険極まりなし」と「原発」と聞いただけで反対する政党から市民までを創り出した。私にも反対する心は解らないではないが、現実の問題として火力発電に過剰に依存して二酸化炭素を吐き出し続けているよりも、原子力発電を活かして家計に影響する経済的な問題を解決する必要はあると思うのだ。

だが、私には福島のような事故が起きるか起きないかなどは解らない。悪質タックルの再発とても同様な要素があるのではないのだろうか。日本大学フェニックスが誓約し、学連が対策を講じたとしても、確かに如何なる条件の下で別種の悪質なプレーが出るかも知れない。だが、それと同時に他の大学も姿勢を正したフットボールをして、あのタックルにも似たようなプレーをしないと保証する必要があるのではないか。学連は原子力規制委員会と同様な役割を果たした以上、監督会は無理押しは避けて欲しい気がするのだ。



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