新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アギーレ監督論

2014-10-15 07:49:58 | コラム
不愉快だった14日の対ブラジル代表とのサッカー:

昨夜のサッカーは見るに堪えない酷い試合だった。とは言え、最後まで見ていた。私は代表監督に任じられた外国人は勿論権限は与えられているとは思うが、一国の代表ティームを対外試合で惨敗させ、その名誉を毀損させても良いというまでの権限があるのかと、非常に不愉快な思いで観戦していた。この新監督・アギーレ氏(Javier Aguirre Onaindia)は試合開始前には全力で勝ちに行くとは言っていたが、その起用した顔ぶれは到底そうとは思わせないものだった。

惨敗の内容をここであらためて云々する必要はあるまいと思う。だが、試合後の談話では本田圭佑もあからさまに選手起用に疑問を呈し、岡崎も同じような意味のことを言っていた。今朝のテレ朝でも元日本代表の福田も不満を表明していた。何にかと言えば、監督は「仮令、相手がブラジルでも次なるアジア選手権に向けての選手選考の場である」と明言したのだから。皆が他の場で選べと言いたいようだった。

故に、私はアギーレ監督は全権を与えられており「日本代表をこのW杯での不出来から如何に立ち直らせ、世代交替にまで持っていく為にはブラジルに負けるのも織り込み済みで仕方がないことだ」と言っているのだろうと解釈している。しかし、選考の場とは言ったが、あの前半に使った私が顔すら知らない連中でブラジルとサッカーをすれば如何なる結果が出るかは、三歳の幼児でも解っていたことではないのか。使うのだったら、その前のジャマイカで良かったのではないか。

ではあっても、昨夜の試合からは私でさえ解る我が国の(代表の)サッカーの弱点が悲しいほど出てきていた。それは高度な次元にあることならば未だ救いがあろうが、余りにも基本技とそれ以前のことだったのが悲しかった。それは先ずは「出足が悪いというか遅いこと」で、常に相手に一歩先に寄せられてボールを奪われるか、取り損なうかの何れかだった。

我々が旧制中学の頃に「自分に来たパスには少なくとも一歩だけ近寄ってコントロールしようと心掛けよ」の原則を知らないかの如きサッカーをしているのだ。それではブラジル勢の素早い寄せの前には一たまりもないのだった。換言すれば「素早い動き」が出来ないので一歩遅れるのだ。この程度のことは小学校辺りから教えておくべきではないのか。アギーレ氏が矯正すべき問題ではないと断言する。

次はこれも基本技だが、折角一歩速く寄せられても「動きながらボールを我が物にしてコントロールする技術」が備わっていないので、結局は奪われてしまうことだ。彼等に基礎を教えていたのは誰かと尋ねたくなった。そこが出来ていない連中を選ばねばならない監督も大変だろうかなどと同情して見ていた。残る問題点は後ろでのパス回しというか前にいる奴らがちっともフリーになるべく動かないので、何時かはインターセプションに遭う危険性と裏腹のバックパスと横パスの交換。相手はもうそれと知って狙っているではないか。何度も奪われたではないか。

ブラジル勢はドリブルの際にもフェイントをかけているが、我が代表は後ろ向きでパスを受けた時にほとんどフェイントをかけることなく、そこで潰されるか躊躇せずにパスの出し手に戻してしまうのは何故か。何故、背後から迫ってくる相手を抜いて前を向こうとしないのか。何故安易に後ろ向きにパスを出すのか。前を向いて攻めろと教えられていないのか、キープして上がろうとしないのかという具合で、見ている側に不満ばかりが残るサッカーをするのは何故か。あれが「ゆとり教育」の成果か等とあらぬ事を考えさせられた。

あの監督を選んだ原という技術委員長(当時)は選手としては立派な経歴をお持ちのようだが、ここまでの時点では前任のザケローニと言い、アギーレと言い、疑問に思わせてくれる点が多過ぎる。アギーレはW杯でメキシコを16強に持っていったというが、それだったら他の過去の監督だって実績として残していた。何れにせよ、早めに選考を終えて彼のお眼鏡に叶ったまともな者たちで試合をして見せて貰いたい。その眼鏡の度が合っていることを切に望むものだ。


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