新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月21日の出来事

2017-01-22 16:15:44 | コラム
今年になって初めての遠征の結果は:

21日は漸く体調に自信を取り戻せたので、好天にも誘われて家内と片道30分は歩くだろう職安通りの「脱Koreanization」の模様を視察に出かけてみた。約1年振りくらいだったかも知れない。途中にはどうしても大久保通りと職安通りを結ぶ路地を通過するのだが、そこには相変わらず無数の韓国料理店が健在だった。だが、その中のいくつかは店名が変わっていたとはいえ、かなり繁盛している模様だった。我が国の若い女性たちにとっては、日韓関係などはさして気になる材料ではないのかと思わせられた。

職安通りは取り立てて語らねばならないほどの変化は見られなかったが、段々に明治通りに近付くと模様が変わってきて大型の観光バスが数台停まっていて多くの中国人と覚しき団体が、嘗ては韓国の物品を大量に置いて販売していた大型店の前の路上に群がっていた。この店舗は何をやっても当たらなかったので「今は何をやっているのか」と団体客に紛れて中に入って見れば、どうやらそこは免税店の如きで、中国人の団体はそこに案内されてきたらしいと察した。

これ以外の変化は日韓共催のサッカーW杯の頃に無数の韓国人が集まって「デーハンミングック」と大声で応援していた料亭「大使館」の広場が完全に消滅して、カフェに変わっていたものが未だ営業を続けていた辺りだろうか。多くの韓国料理店も往年のままに残ってはいたが、韓国語を話す者がほとんど歩いていなかったのも印象的だった。免税店から吐き出されてくる中国人たちがほとんど何も持っていない様子からすると、彼らはあの建物の3階にある食堂に案内されたのかと疑いたくなった。

我々は丁度時分時だったことでもあり、言わば区役所通りの外れにある、毎年築地で最高値でマグロを落札するので有名な「すし三昧」の支店に入ってみた。ここはなかなかの繁盛で何とか片隅のテーブル席を確保した。そこで「なるほど、時代は変わってきた」と痛感させられたことがあった。それは、明らかに中国語を話す大勢の家族が寿司をお好みでとって楽しんでいる風景だった。しかも善くぞ職安通りまで来たものだと感心させられた。これもネットの効果かと家内と感心し合った。

次に現れたのは英語ではない言葉を話す3人組の白人のグループで、着席するやメニューを一瞥して馴れた口調で注文したのだった。寿司が外国人にとって人気がある食べ物だとは散々聞かされてはいたが、彼らが「寿司屋」だから入ってきたのか「すし三昧」を選択したのかと尋ねてみたい衝動にも駆られたが、そこまですることもあるまいと回避した。このすし三昧の店が出来た頃には「こんな場所に作って当たるのか」と疑問視したが、そうではなかったようだ。

大久保通りでは先ず出会うことがない白人に職安通りまでやってきて、しかも寿司屋で見かけたとは新鮮な驚きでもあったし、この界隈の私の好みではない国際化は未だに進行中かと悟らせられた一時だった。

僅か2時間足らずの社会復帰を目指した歩行訓練だと思った外出だったのだが、情けなや戸籍上では満84歳となる22日(日)には朝から肩が凝るは軽い頭痛がするはで、湿布を貼ったり何とか懐炉をつけたりしてボンヤリと過ごしている状態。23日には重要な検査を受けに国立国際医療研究センター病院に朝から出かけねばならないのだ。もしかすると、PCなどに向かっている場合ではないのかも知れない。



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