新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

蹴球からサッカーへ

2017-06-22 08:22:12 | コラム
筑波大学がJ1の仙台に勝った:

21日夜のNHK・BSで中継されたこの試合を前半まで見て、Prime Newsに転向した。筑波大が勝つとまでは読み切れなかったが、久し振りに見るドリブルで相手を抜いていくサッカーをするのを見て、釜本邦茂が言った「近頃のサッカーでは相手を抜いてキープしてはならないと教えているか」を思い出した。筑波大が先に取った1点はまさしくそれで、キープして何人かを抜き去って見事なシュートを決めたものだった。素晴らしいと思った。

私のように1945年に中学に入って蹴球を始めた者は、今ではそんなことを言って誰も知らないだろう「WMフォーメーション」で、11人全員が定められたポジションでその担当する範囲内で動き、各人が誰は何処にいるかを常に念頭に置いて、その辺りを狙ってパスを回すし、クリヤリングも常に外々を意識して蹴っていた。各人はその与えられたポジションに相応しい技術を身につけるべく懸命に練習していたものだった。

そのような蹴球がサッカーに変わっていったのに伴って、WMではきちんと守られていた右なり左なりに固定された行動範囲から逸脱していく「近代的」(?)な形に変わっていった。私の記憶が正しければ、私が大学を卒業した後の1955年から後のことで、本来は右側だけを行動範囲としたはずの8番や7番の背番号を付けた者がグラウンド狭しとばかりに全体を走り回るように変わっていった。その代表的な存在が早稲田大学の八重樫と杉本だったと思っている。

ここでお復習いをしておくと、WMフォーメーション(5―3―2―1)では全員がポジションを表す背番号を付けていて、GKが1番で、右のFB(フルバック)が2番で左が2番、右のSH(サイドハーフ)が4番となり、右のウイングが7番で左のウイングが11番で完結する。現在のサッカーでエースナンバーの如くに言われている10番は、ただ単にLI(左のインナー)を示すだけだった。何故そうなったのだろう。何方か教えて下さい。

現代のサッカーを見ていて痛感することは、各人の持ち場がWM時代のように固定されていない為に、ボールを持った者は、持つ前に全体がどのようになっているかを確認しておくか、先ず何処に誰かがいるかを見つける必要があるようで、昔のように「この位置で持った場合にはこの辺りを目がけて蹴れば何番がいるはずだ」という決まった形がないようなのだ。

より細かく言えば、私が高校3年の時に勤めていた8番のRIは俗称「広い屋」で、下がって守って取った球を外に開いて待っているはずの7番を狙ってパスを出して、そのカバーに直ぐに寄ってやるか、10番のLIにパスを出すかくらいの選択肢しかなかった。現在のように後方にいるはずの2番か、1番のGKにバックワード・パスを蹴るなどは全く脳裏にはなかった。また、往年ではキープして何人も抜いていく技術は高く評価されていた。

別な表現をすれば、現在のサッカーでは「誰でも良いから近所にいるか、寄ってきてくれた味方に渡すか、前方で誰かが走っていれば「これ幸い」とばかりにそこに向かって縦のパスを蹴るとか、考え方次第だが、我々のWM時代よりも高度な個人技が求められるし(のかも知れない)、選択肢が増えたサッカーになっていると思える。兎に角、背後に迫るデイフェンダーをフェイントをかけて抜き去ってみせることなど希だ。

だが、私が常に皮肉るように「パス回しの為のパス」か「責任逃れのパス」は増えていると思うし、我が国のサッカーでは特に顕著な後陣での横→横→後ろの無意味と思えるパス回しが多過ぎるし、釜本が嘆く「自分の力で抜いていく」ことは滅多に見られないのだ。だから、私は「指導者がそういう育て方をしているのではないか」と疑っているのだ。

そこで、昨夜の筑波大である。FWの位置にいる約2名は常にキープして上がっていったし、迫り来るデイフェンスをスピードと技術で抜き去って見せた。結果的には筑波大が後半に逆転して勝ったそうだが、思うに仙台は珍しくもパス回しの為のパスをせずにキープして攻め上がってくる旧式のようなサッカーに対して守るのに不慣れで、情けないことにプロが大学生に負ける結果になったかと考えている。

筑波大の中には何人かがJリーグに行くそうだが、その場に行っても昨夜のようなサッカーをやらせて貰えるのだろうか。プロでは許すのだろうか。一寸興味がある。



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