新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私の経験的英語論

2019-08-01 08:14:05 | コラム
英語あれやこれや:

昨7月31日は英語関連のニュースが2件あった。その為に他の事を採り上げようと思っていたのを止めて、この二つを考えて見る事にした。

楽天の社内の公用語を英語に:
随分前にこの件が大きく報道されていた記憶がある。31日の報道では楽天のこの公用語推進の責任者が、未だ十分に浸透しない原因に社員たちの「語彙不足」を挙げていたので「それは違うでしょう」と言いたくなった。これまでに何度も採り上げてきた事で、「我が国の英語教育の大きくて太い柱になっている単語の知識を追いかけていては、何時まで経っても自由自在に自分の思うことを英語で表現できることに繋がらない」を地で行っているような状態だと思った。

私の持論は簡単な事で「単語という部品を思いつくままにバラバラに並べたところで完成された機械にはならない」のであって、飽くまでも流れの中で言葉の使い方を覚えていくべきだ」という主張なのである。別な言い方をすればサッカーで言う「セットプレー」で得点しようとするのではなく「キチンとフォーメーション」(=形)を作って、攻撃に流れの中で点が取れるようにしようとも言えるのだ。実は、私は中学でも高校でも「単語帳」や「単語カード」を作った事は一度もなかった。でも話せるようになった。何故だろう。

それはアメリカ人の中に入って社内の報告書を作っても、同僚たちと日常的な会話をしていても、そこに後から後から出てくるのが「慣用句」(=idiomatic expression)であり「口語体」(=colloquialism)の表現が圧倒的に多いのである。特に慣用句では一つ一つの単語の意味を承知していても、それらが構成する意味は元の単語の和訳とはかけ離れたものなので、「それって何のこと?」と当惑させられるのだ。ここでも別な言い方をすれば「そんなに易しい単語ばかり使って、どうしてそんなに難しい事を表現出来てしまうのか」となるのである。

少しだけ例文を挙げておこう。“handwriting on the wall”は「悪いお知らせ」という意味で使われている。即ち、He saw a handwriting on the wall. というように使われている。“It’s a piece of cake.”と言うと「簡単にできるような事」となって、両方とも使われている単語の意味とはかけ離れている。中々「なるほど」という例文が浮かんでこないが“He burnt his bridge.”となると「退路を断って進む」と言いたい時に使われている。言いたい事は「これでは単語の知識が豊富でも余り役に立たない」とお解り願えると希望的に考えている。

口語体」の例も挙げておこう。I will take a rain check. と言うと「今回のお誘いをお断りして次の機会に」という意味になる。I will sleep on it. だと「一晩考えさせて」なのである。Hang in there.は「頑張れ」なのであって中国語の「加油」と同じ事。実は正直に言って、私はここまで来ると慣用句と口語体の区別が解らなくなってしまう。だが、何れにせよ、それぞれのphraseを構成している単語に意味を承知していても役に立たないとご理解願いたいのだ。これら以外に What is this going on here? と怒鳴られた場面に出会った事があったが「ここで一体全体何をやっているのか」と強硬な苦情を言われていたのだ。

ここまででお気付き願えると良いのだが、実際にアメリカ人の中に入っていると所謂「難しい単語」が出てくる事の方が希で、上記のような簡単な言葉の積み重ねであり、単語をバラで覚えていても余り効果的ではないのだ。以前にも挙げた例で、上司に面倒くさい事をやってこいと命じられて気が進まず Let me try to see what I can do about it. と答えたところ「何処まで出来るか試してみましょう」とは何事かと叱責され I’ll be sure to get the job done. と言えと来た。「必ずやり遂げます」はこのように言うのだ。難しい内容のようだが、易しい単語ばかりで言えるのだ。

学力テスト:
結果では中学3年でも話す事の点数が全国的に低かったと出たと報じられていた。それはそうでしょう。何度か指摘した事で、これまでの教育の仕方を多少デイジタル化して教えても、話す能力を上げる事には結びつけるのは至難の業だと思っていた。それに教える先生方はこれまでの教育の仕方(され方?)で育ってこられたのだから、今更何処かの要求に合わせて大きく変身する事は難しいのだと思う。特にこれまでの間に英語に特化して勉強してこられなかった小学校の先生方に「会話」を教えよというのは無理筋だと思う。

では、どうすれば良いのかと訊かれても、私が改革案を云々する立場にはないと思う。言うなれば今となっては None of my business. なのである。Mind your own business. などという言い方もある。こういう表現を日本語に訳そうとする事自体が無意味で、「こういう場合にはこう言う表現で対応するのか」と覚えていく事が肝腎なのだと思う。



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