新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

冷静な評論家が回顧すれば

2016-09-28 07:05:23 | コラム
回顧談ではあっても自慢話ではありません:

私のスポーツの履歴をここに採り上げて物知り顔で冷静に!評論をする背景を。少しだけアメリカとのスポーツ文化の比較で味付けしてありますが。

蹴球(サッカー):
私が湘南高校サッカー部の一年生部員(とは言っても旧制中学から通算では4年目で、昭和20年には「蹴球部」でした)の昭和23年の福岡国体のサッカーの決勝戦で、広島師範附属高に1対0で負けました。我々は県予選の前から決勝戦で前年の覇者・広島師範附属高と当たることを想定して練習し、前年第2位だった県立宇都宮高校に「広島師範附属高とは」を訊きに行ったしておりました。今で言えばスカウティングをしていたのです。
何と近代的ではありませんか。

この決勝戦での敗戦は悲劇的でした。それは、あろう事か広島師範附属高が開始時刻を間違えて遅刻し、協会は不戦勝を宣告すると言ったのです。だが、我が湘南の監督が「武士の情けだ。試合をやろう。優勝が不戦勝では」と言って敢えて試合をした結果でした。詳細は避けますが、取られた1点はゴール前に上がった高い球を飛び上がって捕球したGKにFWが3にん体当たりしてゴール内に倒し込んだもの。今ならば反則に採られるどころかイェローカードものの反則でしょう。要するに不正なチャージでした。無念残念でした。

我が方の監督は「ここまで来る間にこのような危機が一度もなかったのでGKにパンチで弾き出すことを教えていなかった自分の失態である。済まなかった」と我々に頭を下げられたという思い出もありました。因みに、広島には後に協会長にになった故長沼健氏他数名の未来の全日本代表候補者がいました。我が方の主将は1956年のメルボルン・オリンピック代表で、決して負けてはいませんでした。

なお、この当時のメンバーの生存者(?)は今でも集まって昼食会を年に一度は開催しております。7~8年前まではフットサルを楽しんでいましたが、人員不足で(誰だ?「高齢化ではないか」と言うのは)で、私が2006年に心筋梗塞で療養中にサッカーをするのは取り止めになったようです。

私は進学した大学が関東大学リーグ4部というサッカー経験者が少ないところでしたので、4年間遊んでいたようなもので厳しい練習もしませんでした。そのお陰で一部校に進んだ連中よりは体力の消耗が少なかったと思っております。就職後は暫く母校の非公式コーチをやっておりましたが、病気になったことと社業に専念する為に昭和35年末でサッカー部と縁を切っていました。その後アメリカの会社に転身してからは、とても運動やリクリエーションなどを楽しむどころではなく、完全にサッカーとは無縁となりました。

野球:
これを語る理由は以下のようなものです。それは、湘南高校が昭和24年にたった一度出た甲子園で優勝した時の選手たちの補欠を含めた3人が同じ組にいたことがあります。更に、この組には後に東大を経て東洋紡の専務になり、高野連の会長にもなった脇村春夫君もいましたし、サッカー部が野球部と親しく、練習が終わった後などに一緒に野球もやって遊んでいたのです。故に、野球部以外の一般人よりは遙かに野球に親しみ、理論の勉強も出来ていました。

また幸運だったのは私がリタイヤーするまで19年間在籍したW社で我が事業部がシアトルのKing Dome(既に老朽化で取り壊され、セーフコフィールドになりました)のボックス席を持っていたので、相当回数のMLBの試合を見ておりました。またアメリカ人たちの野球の知識は残念ながら我が国の所謂野球ファンよりも優れていたので、彼らと観戦することそのことで彼らの解説を聞くことで、我が国のNPBのOBの解説よりは遙かに勉強になるし、新たな知識吸収の機会になった次第です。

それに1970年代のMLBの野球の質は今よりも洗練されていたと思います。それは見事なものでした。その理由は現在よりも遙かに野球しか出来ない南米勢が少なかったことがあったと思うのです。MLBに来るアフリカ系を含めたアメリカ人たちは大学までに三大スポーツを経験し、その中の何れを選んでプロになるかを考えていたほど、言うなれば万能選手が多く、鍛え方も知識も南米出身者とは基本が優れていた点が違っていたからです。

フットボール:
所謂「アメリカンフットボール」を語るようになったのはサッカーにも劣らない長い歴史があります。それだけに止まらずアメリカで年に3ヶ月以上も滞在する機会があったので、同じく事業部が持っていた年間指定席で何度もNFLの試合を観る機会がありました。ここでも彼らの知識に学ぶ点が大いにありました。それのみならず、私自身が愚息2名が高校から関東大学1部リーグでやっていた事もあってそれなりに言わば「門前の小僧習わぬ経を読む」的なアメリカ人にも負けない程度の知識があって楽しめましたからでしょう。

また、昭和21年から藤沢の田舎の中学生が上京して進駐軍のフットボールを観ていたほどで、自分自身がフットボール観戦がが大好きでしたし、今でも多くの競技の中でも最も関心があります。愚息たちのフットボールも練習から試合まで10年以上も見続けていたし、監督さんとも親交があったので、一般の方よりも精通した次第です。アメリカ人のも負けないほど知り得る機会に恵まれたのです。私の個人的な好みではフットボール観戦はその面白さが最も優れ、野球がそれに次ぎ、バスケットボールの魅力もそれに劣らないかと思っております。何と言ってもアメリかにいれば三大スポーツ観戦が楽しめる知識がついたのは有り難いことでした。

バスケットボール:
野球とフットボールを加えてアメリか三大スポーツと言われるほどで、これもNBA(プロです)やNCAA(大学です)の試合を相当な数見て楽しみました。実は、既に採り上げたように、自慢話ですが、私をご存じの方は驚かれるだろうような身長であっても、高校時代には学年の中でバスケットボール部員を除く名手(?)5人に入れて貰っていたほど打ち込んでいました。一説にはこれにアイスホッケーを加えて四大スポーツとも言います。私はシーズンが噛み合わず、アイスホッケーだけは一度カナダで2部の試合を見ただけで、後は日本国内で社会人の試合を2~3回観ただけですから、多くを語る材料がありません。だが、あのカナダで観た一部昇格を目指す選手たちが本気(だと見えました)で殴り合う迫力には驚かされました。

問題点:
サッカーにありとしたいのがサッカーで残念です。テレビでサッカーを見るのも良いのですが、カメラを何台置いても全体の動きを追いきれず、見たいような流れを把握できないので困ります。それにサッカーが恐らく経験者でない方には詰まらないと見えるだろうと思う点を上げれば、何分にも滅多に3~4点ほども入らないことかと危惧します。私の場合には少し経験があった為に、何時まで経っても「あの場面では、俺だったらこうする」というような見方から脱却出来ずに楽しめない時が多いのです。それに今の代表選手たちには伸びしろが残っておらず、余り多くを期待出来ないのも難点です。ではあっても何時も緊張感を持って男女の代表の試合を見ております。

私は張本勲を真似るのではありませんが、UKやイタリアやドイツのサッカーを見せられても楽しくはありませんので、欧州のサッカーリーグの試合のテレビ観戦はほとんどしません。それに我が同胞があの異文化の世界に入って体力と体格以外の面で勝負せねばならない大変さを自分のアメリカの会社暮らしで良く解っているだけに、「余り無理をしなさんな。苦労は言葉だけでも十分だろう。好い加減にして帰ってこい」と言ってやりたい気になってついなってしまうのです。

この外国の会社やスポーツの世界で暮らし何とかやっていく難しさというか大変さは経験しないと解らない微妙で且つ辛いことなのです。それ故に、張本勲とは異なった視点で「外国で自力で稼いで暮らし大変さ」を言いたくなってくるのです。この点は些か冷静さを失って感情的になってしまうことがあります。

注:以上は昨年の9月27日の投稿を、より正確に実態をお知らせし少しは関心を持って頂けるようになるかと加筆・訂正したものです。


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