新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月20日 その2 余りに非道な京都アニメーションの放火殺人事件

2019-07-20 13:57:41 | コラム
余りにも非道且つ残虐だと思う:

京都アニメーションのスタジオに放火して、この時点で34人の死者と35人の負傷者がでという事件は、余りにも酷すぎると痛感している。犠牲者のご冥福をお祈りすると共に青葉某の行為はいくら責めても責めきれない程残虐且つ非道だと思う。しかも念入りに準備していたと報じられているのにも驚かされる。青葉某は京都の病院から大阪にドクターヘリで転送されたとも報じられたが私は報道による限り、生命の危機にある火傷だと思っている。如何に悪逆非道な者であっても治療しないことには動機も何も解らないのではそうする以外なかったのだろうと推察している。

実は、私は当初この事件の報道に接してお恥ずかしながら「京都アニメーション」という会社が存在することも、通称「京アニ」としてファンに親しまれていることなどは全く知る由もなかった。もっと正直に言えば、この歳になるまでアニメーションなるものをテレビででも、勿論劇場ででも見たことがなかったのである。言い方を変えれば、古き良き昭和一桁生まれとしては、漫画と言えば田河水疱の「のらくろ」か横山隆一の「ふくちゃん」くらいしか読んだことがないので、現在のような漫画本の大流行などは見向きもしようとは思わなかった。

ましてやアニメーションとやらになれば、宮崎駿が一時代を時代を築いているようだが、見ようとは思わなかったところに、彼が原発反対の運動の先頭に立っているとか聞いたので、益々食わず嫌いというか、見ようという考えにはならなかった。ところが、この放火事件で初めてジブリ何とか以外にも京都アニメーションがあるのだと知らされたのだった。そこで半ば真剣に悩んだことは「俺は果たして無知だったのか、それとも時代に痛烈に遅れているのか」だったし、「京アニ」とやらの存在を知らなかったのは大恥辱なのかということだった。

しかも、その大事件が起きて海外でも大きく報道され、弔問の為に外国から京都の現場まで来て下さっている人たちがいるとの報道にも「無知か、時代に遅れか」という感覚に苛まれてしまっている。一言だけ弁解をすれば、2006年に1回目の心筋梗塞に襲われてからは所謂「一病息災」とやらに徹しているので、閉ざされた空間の人混みの中に長時間いることを極力避けるように努めている。そこで、映画館の中で映画を見たのは心筋梗塞以降では付き合いで一度だけあっただけなのだ。それは医師に「ウッカリ風邪でも引いて肺炎になったら終わりだ」と厳しく警告されたからでもある。

そういう「御身大事」の大原則を慎重に守って来た為に、京都アニメーションの存在すらも知らない時代遅れの後期高齢者になってしまったのも仕方があるまいと割り切ろうと考えている。終わりに、重ねて犠牲者のご冥福をお祈りする次第だ。



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