新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月26日 その2 燃えさかる火中に栗を投じて拾いに行くようなものでは

2018-11-26 14:30:24 | コラム
「火中の栗を拾う」よりも難しいのではないか:

私は我が国の検察の特捜部は余程入念に準備された上で確たる証拠を握って満を持して、カルロス・ゴーン氏とグレゴリー・ケリー氏の逮捕に踏み切ったと解釈している。それでも、これから先の進展は容易ならざる事態が待ち受けていはしないかと、独り密かに危惧している。即ち、私は敢えて火中に栗を投じて拾いに行かれるような難しく複雑な局面が待ち受けているように思えてならないのだ。

先ずはゴーン氏もケリー氏も欧米人である以上、先ず自ら「私が悪う御座いました。潔く己の罪を認めます」というような態度は、仮令保釈されないと解っていても、絶対に変えることなく、容疑を否認し続けるだろうことは明らかだと思っている。この点は彼らと我が国の文化と思考体系の揺るぎないとでも言うか、絶対に相容れざる相違点なのである。

最も簡単な思考体系の相違の例を挙げれば、「経済的でも何でも補償します」という意味になってしまう“I am sorry.”とは絶対に言わない人種だということだ。「ゴーン氏が否認」などという新聞記事があったが「マスコミは解ってないな」と思わせてくれただけだった。

この点だけは、長年彼らの一員として過ごしてきた私が言うのだから間違いはないと保証する。それにも拘わらず、我が国の英語教育では知らん顔で“I am sorry.”などという表現を教えてしまっている。大きな間違いだ。彼らは絶対に自発的に罪でも過失でも認めて謝罪しないように育っているのだ。英語の講釈は本意ではないが、彼らが“I regret.”と言ったならば、それは最大限の謝罪である。それ以上幾ら責めても無駄だ。

私が予想するには、ゴーン・ケリーの両氏は恐らく罪状否認のままで起訴され公判に至るだろう。だが、私は特捜部が懸命に努力されても年内の起訴は難しいのではないかと見ている。私には法律も裁判の進行も全く解らないが、万が一有罪か無罪となっても、何れにせよどちらかが控訴するだろうから、恐らく最終的には最高裁までもつれ込み、実質的に去る22日で86歳になってしまった私の存命中には結審しないのではと懸念している。もしも「無罪」とでもなれば誰が拾うのか知らないが、大変な熱き栗ではないか。

よしんば結審したとしても、フランスは既に「日本側のゴーン氏追い落としの陰謀とかクーデター」とまで言い募って国家間の事案にしそうな状況であるから、事は重大である。それに、我が国の政府も検察も外国人を相手にすることに不慣れな様子だから、余程態度を明確して強気で事に当たらないと、もしかすると「誰が頼みのしないのに勝手に燃えさかる火の中に栗を放り込んだのか」などという事態になりかねないと、私は例によって一人静かに危惧しているのだ。

だが、現実問題として栗は既に投げ込まれているのだ。即ち、ゴーン氏は逮捕され、日産自動車では役職を解任されたし、取締役会を開催して取締役を解任するところまで至っているのだ。私には誰が点火したのか知る由もないが、火は既に燃え始めているのだし、栗も投入されているのだ。韓国が拗れさせた我が国との関係を快刀乱麻を断つが如くに解決できかねている我が安倍政権が、法務省や外務省を督励してフランスとわたり合って無事に熱された栗を拾い上げて「目出度し、目出度し」となれば良いのだかと念じている、今日この頃である。



コメントを投稿