新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月15日 その2 カタカナ語の問題点を追求する

2023-11-15 15:24:28 | コラム
言葉は正しく意味を把握して使おう:

本日は某大学の法学部教授と懇談の機会があった。多くの話題が出たが、その中でも教授が指摘されて特に印象的だった点は「言葉/英単語を誤用するな」であり「キチンとその言葉が示す意味と使い方を理解してから使え」だった。当方にも全く異論などなかった。

具体的には「セクハラ=sexual harassmentの言葉の誤用というか、恣意的に意味を拡大してカタカナ語にしてしまっている、何とも困った現象」を指摘された点だった。即ち、「女性の体を触るとか、抱きつくとか、勝手に胸を触るような行為はharassmentの領域を逸脱した猥褻行為の範疇に入り、セクシュアル・ハラスメントどころではないのである」だった。

これは将にその通りなのだ。そう言うのには下記のような経験があったからだ。1980年代だったか、本部に出張したら私を呼んだ副社長が不在で「セクシュアル・ハラスメントとは何か」を法務部の弁護士が副社長兼事業部長を集めての講義に参加ということで、「全員待機世よ」との指令出ていたのだった。

副社長がきいてきた講義の概要は「セクシュアル・ハラスメントとは、女性社員に向かって『今日の服装は昨日よりも綺麗だね』とか『今日の髪型は美しいな』とか『女は何時見ても美しいな』という類いのことを言ってはハラスメントに該当するので要注意を」だった。

アメリカの企業社会における認識はこういうことであり、「女性社員の体を無闇に触るとか、腕を掴んで云々はハラスメントの域を逸脱して、性的犯罪の方に近いということだと聞かされてきた」と教授に伝えた。

教授は「将にそれがハラスメントであり、抱きつく等の行為は論外で、許されない性犯罪の範疇である」と改めて解説された。要するに「何でもかでもセクハラ呼ばわりするのは困った現象である。キチンと法律を調べてから、正確に意味を掌握してからカタカナ語にすべきだ」との結論に導かれた。

私は「パワーハラスメント」≠power harassmentは救いがないと思う困ったカタカナ語だと見ている。それはpowerという単語の意味は解りやすく言えば、ジーニアス英和にもあるように「権力、権限、支配する力に加えて勢力でもあるし、能力の意味もある」のだ。さらに、ジーニアス英和には「修飾語を伴って体力、知力、精神力を表す」とあり、用例にmental powerやphysical powerがやっと出てくる。

要するに「上司か誰か上に立つ人がその地位を利用して圧力をかけるとか、虐める」という意味にはならないのだ。「パワー」には中山キンニクンなる芸人が腕の力瘤を見せて叫ぶ「身体能力の強さ」か「力持ち」の意味はないと認識している。

確認しておくと、上司が部下を叱るのが「ハラスメント」ではないし、その前に「パワー」を付けても何の意味も為さないと言いたい。「叱る」という意味の単語にはscoldがあるが、これは特に子供を叱る場合に言うことという意味である。英語ではHe gave me a lecture.と言うと「お説教された」即ち「叱られた」の意味で使われていたと承知している。

上記のようなことを何処かの誰かさんに「この程度の英語と単語の勉強をしてから、カタカナ語を乱造しては如何か」と言いたいし、使っておられる方々にも「ご注意を」と申し上げて終わる。


宝塚歌劇団宙組の死者の件に思う

2023-11-15 08:08:41 | コラム
テレビも新聞も歌劇団の記者会見を大きく取り上げた:

それほどの大問題だったのかと、改めて認識させられた。偶々理事長以下の記者会見が中継放映されたときに居合わせたので聞いていた。感想はと言えば「虐め(だったのか)による死者が出た場合に、責任があると見える側は先ず否定するな」ということと「マスコミ側には忖度があったのではないかという疑問」だった。さらに「何故harassmentをカタカナ語にして元の英単語とは離れた意味で使うのか」とも感じた。

パワーハラスメント:
先ず断っておきたいが、これはカタカナ語してだけ存在する。歌劇団が実態の徹底調査を委任した第三者委員会は「パワーハラスメント」はなかったと認定したそうだが、私は未だ嘗て公共報道機関がpower harassment(=パワーハラスメント)の定義を解説して聞かせてくれた記憶がない。即ち、如何なる事をすれば「ハラスメント」という罪(刑法や条例にでもそういう項目でもあるのか?)に該当するのか、または違反になるのかは、浅学非才にして解っていない。

今回は「いじめ」に該当する行為も言辞もなかったという発表だった。聞いていて「いじめ」と「ハラスメント」とはどう違うのか解説がなく両方ともなかったと、延べ1,500時間にも及ぶ調査/聞き取りでは見つからなかったという発表だった。「ハラスメント」という元はと言えば英単語を使うのであれば、少しその辺りを突っ込みたくなった。

ここで、どうしても英語の意味を取り上げておく必要があると思う。それは「ハラスメント」というカタカナ語は英語の意味を取り違えているのではないかと疑問に思うからだ。敢えて言っておくが「英単語をその正しい意味と使い方を弁えずしてカタカナ語にして使うことが、それほど有り難いのか」なのだ。カタカナ語を使うことが良いと思う方は、ここから先の記述は無視されても結構です。

「虐め=いじめ」に当たるだろう単語には、bullyというのがある。Oxfordには「ある人物がその強さか威力/権力を行使して、弱者を驚かすか苦痛を与えること」とある。一方、harass(ment)は「(多くの場合に受け身の形で使う)誰かに圧力をかけるか、嫌がることを言うか、不快になることをするかで困らせ、心配させること」という意味だとある。例文にはracialとsexualしか挙がっていなかった。

これからすると、「ハラスメント」などという言葉を使う必然性は見えてこないのだ。ただ単に「虐め」では世間体が悪いのか、むき出しであるからカタカナ語にして格好をつけて衝撃を軽くしようとした姑息な手法だとしか見えないのだ。第一、bullyとharassをキチンと辞書を引いて調べた上でカタカナ語にしたのかと問い詰めたい、何処かにいる製造元に。

参考までに、実際に彼らの中にいて聞いた言い方の例に”You were given a hard time by the guy?”というのがあった。それを「彼奴に虐められたのか?」と訳されていた。「上手い訳だな」と思って聞いた記憶があった。harassだのbullyだのと余り聞かない単語ではなく、このように言えば「虐め」の意味になるのかと思った。

忖度はなかったのか:
聞こうとも思わなかったが「テレ朝はジャニーズ事務所に対する忖度」を反省したとか何とか、報じられていた。宝塚歌劇団があの事務所ほどにテレビと新聞に対して圧力をかけてきた存在かどうかなどは知る由もない。だが、あの記者会見で理事長らが述べていた調査委員会の報告の内容に対して否定的なことを述べたテレビ局があったとも思えない。亡くなった方の弁護士さんたちは、あの報告の内容を認めておられず、損害賠償等を求めて訴訟されるとかだ。

私は何れの立場にも立つ必要はないので、聞いたままのことから感想を述べるだけだ。感じられたことは「一般論として、亡くなられた方の親御さんや弁護士さんたちは『いじめがあり、それが原因での自死だった』」と主張される。だが、学校と教育委員会が「いじめがあったと認め、それが原因での自死だった」と最初から認めた例を殆ど見たことがない。

昨日も些か不思議な感に囚われたことがあった。それは、虐めも暴言もなかったという第三者委員会の報告を発表した理事長は12月1日を以て(引責?何の)辞任すると公表したことだった。亡くなった方の家族と弁護士が主張したことを第三者委員会の調査でほぼ否定されたのであれば、辞任の意味が不明だった。歌劇団の運営が不適切だったことの責任を負うのであれば、10年も前に辞めていなければならなかったと見えるのだが。

「年功序列と長幼の序の尊重、先輩が後輩を指導し、厳しく育てられたからこそ、その素質が開花して大スターになって成功する、全員が一丸となって所属する集団に貢献する」というよう方式は、我が国独自の伝統的な文化であると認識している。西欧の諸国には存在しない文化である。「ハラスメント」などと言う異文化をろくに理解もせずにいきなり持ち込んで、正しく根付くのかと言いたい。何でもカタカナ語にすれば良いという問題か。

その異文化の国に、いきなり未消化のharassmentのような仕来りというか考え方を導入し、しかもカタカナ語化してまで濫用することが本当に有意義か、有効かと、真剣に見つめ直した方が良くはないのか。