新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月25日 その2 英語のお話し

2022-01-25 15:34:11 | #英語の話
“r”の発音について:

矢張り、暫く振りに英語の話題に触れておきたくなった。「またか」などと仰らずに暫時付き合いの程を。

一昨日だったか、偶然にチャンネルを合わせたTBSのBSだったかで「Hero’s Award」という表彰の式典を放映していた。社会貢献をした運動選手を表彰する日本財団が主催する行事だったと、後から検索して知り得たのだ。21年度として表彰されたのはNPBの大投手だった村田兆治さんとオリンピック代表だった陸上競技の寺田明日香さんだった。「何だ。それと英語どどういう関係があるのか」言われそうだが、暫くお待ちを。

受賞者を呼び出していた司会者と思しき女性はかなり達者な英語だったが、“r”を必要以上に響かせた発音で“award”を「アウオード」と言っていたにも拘わらず、番組担当のアナウンサーは全く躊躇うことなく再三再四「ヒーローズ・アワード」と言ってのけていた。女性の発音と食い違っていることには頓着せずに、何処かの会社が作成したのだろう「外来語ハンドブック」の表示通りにしていた。私がこれまでに何度も指摘したことで、天下の有名一流大学出身だと思う彼らが「アワード」ではおかしいと思わない感覚は理解できないのだ。

また、司会者だと思しき女性が“award”という単語で「アウオールド」に近いように“r”を響かせる発音が邪道だと知らない様子なのも、我が国の英語教育の至らなさではないかと、ウンザリしながら聞いていた。まともな英語教師だったら「一部のアメリカ人というか、アメリカのある地域では“r”を響かせて発音するのだが、それは上品ではないと看做されている」と教えておくべき事なのである。

更に、我が国のテレビ局とうの報道機関に蔓延してしまっている“award”を「アワード」と発音するのは誤りというべきか、不正確な発音であると知られていないのは、本当に情けないのだ。如何なる辞書を見ても「アワード」などという発音記号は記載されていない。思うに、何処かに巣食うカタカナ語製造業者が好い加減な表記をしたのを、公共の電波を使っているテレビ局が何の疑問にも思わずに、局員に使わせている不見識振りだと思っている。不見識は何もテレビ局だけではなく、方々の団体でもシレッとして「アワード」呼ばわりしている。情けない。

私がこれまでに繰り返して批判してきた事で、我が国では英語の綴りで、a、e、i、o、uの後に“r”が来た場合に歴史的にも、前からずっと今も尚、英語そのものの発音を無視して「ル」としてしまっているのだ。先日のオリンピックの際にも女子のゴルフで優勝したNelly Kordaさんを「コーダ」ではなく平然と「コルダさん」にしてしまった。それ以前の例では、COVID用のワクチンの製薬会社Modernaを「モデルナ」としてしまっていた。どう読んでも「マダーナ」で、最悪でも「モダーナ」しかあり得ないのに。

私はこのように我が国の英語の単語や固有名詞に“r”が入っている場合に「ル」とする習慣が何故始まったのかが不思議でならない。クイーンズイングリッシュでは先ずあり得ない発音だし、アメリカ語でも“r“を響かせるのは少数派である。先ほど取り上げた麗澤大学准教授のMorgan氏を、産経新聞はちゃんと「モーガン」と表記していたが、我が国には古くから「モルガン銀行」があり、その英語の表記はMorganである。

他の「ル」の例を参考までに挙げておくと「エネルギー」は“energy”だったし、「レトルト食品」は“retort”である。COVIDの治療薬のRemdesivirも何故か「レミでシビル」になっていたし、Merck社のMolnupiravirは「モルヌピラビル」となっていた。私は不勉強でMerckが「メルク」か「マーク」なのかは調べていない。

私はこの「ルと表記したい症候群」を責めるのは詮無いことだと解っている。それは、最早何処かの誰かが意図的であったかなかったは別にして、過去の先例に従って「ル」としてしまい、それが遍く国内に広まってしまっているからだ。だが、この広くない我が国の何処かで誰かが「おかしい」と指摘しないことには、このような奇妙な表記と表現がまかり通ってしまうのは良くないと少しでも知って貰いたいから、無駄な努力と承知で書いているのだ。


産経新聞の本日の「正論」から

2022-01-25 09:06:55 | コラム
ジェイソン・モーガン麗澤大学准教授は言った:

モーガン准教授は「五輪開催の懸念はどこへ消えた」と題しておられたが、私も何となく北京の冬季オリンピックの開催については、何処からも「開催反対」という声も上がっていないなとは感じていた。矢張り我が国だけではなく、世界の処々方々で中国に対する気兼ねがあるのかとは考えていた。

その辺りをモーガン准教授はかなり手厳しく取り上げておられた。小見出しだけを取ってみても“「日本専門家」の五輪叩き”と“北京五輪には沈黙”に加えて“「ジェノサイド」見ぬふりか”とされていたので、これだけでも十分に意を尽くされていると思って「正論」を読んだ。中には、反日派なのだろうオーストラリア国立大学名誉教授の歴史学者ガバン・マコーマック氏は「五輪を開催すれば大量のコロナウイルスの感染と流通になりかねない」と懸念を示したという辺りまで引用しておられた。詳細はお読み頂ければ良いと思うので、これ以上の引用はしない。

私の読後の感想はと言えば(そこに昨夜のPrime Newsを見ての影響もないとは言えないが)第一に「我が国の政府というのか外務省というのかあるいは両方かの、中国に対する弱腰もここに極まる」と思わせられた、人権問題の非難決議ができていないことがあった。次には、上述のマコーマック氏等の日本叩きの専門家たちは中国に対しては沈黙している(させられているのか?)偏った姿勢に対する憤り」だった。

私は持論として海外の日本叩きというのか反日本国の勢力が蔓延っている最大の原因の一つに「我が国の海外向けの『日本国とは』という情報発信が余りにも少ない」ので、何時まで経っても「理解されざる、正当に認識されざる日本」でしかないという点を指摘したいのだ。20年以上も対日輸出に専念しているアメリカの会社で働いていて、アメリカ及びアメリカ人の我が国に対する理解どころか知識が極めて低いと言うことが良く解ってしまった。簡単な例では、輸出担当の管理職でも「日米安保条約」の存在すら知らないという事実がある。

1990年代末期に東京で大統領の経済諮問委員会の一員の日本通と紹介された方の講演を、某北欧系外資会社の論客の副社長と聴く機会があった。聴き終えてから異口同音に「この程度の浅薄な我が国についての理解と認識で日本通として通用しているとは」と嘲笑ったことがあった。私はこういう状態になってしまった原因が「彼らの勉強不足」なのか、「我が国からの情報発信不足なのか」、あるいは両方ではないかと懸念している。

だが、アメリカの一般人たちの我が国についての知識などはあって無きが如きだと、経験からも断定できると思っている。また、誤った認識があっても「それは違う」と真っ向から正そうとしてこなかったとも見ている。それは英語力とだけの問題ではなくて、我が国の思考体系と文化の為せる業かと思っている。

あらためてモーガン准教授の指摘を読み直して感じたことは「これは彼の我が国に対するかなり手厳しい批判であろう」という点だった。それは、これまでに再三再四指摘して来た我が国の外国人との交渉事の際に見せる「論争と対立を怖れるというか、回避して妥協するか、中間点に落とそう」姿勢の生ぬるさを、モーガン准教授が言いたかったのかと思った。昨夜のPrime Newsでは誰が言ったか失念したが「反論する安倍元総理、沈黙する菅前総理、頷く岸田総理」を思い出した。