新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私の小ウンザリ

2018-06-21 07:52:16 | コラム
コロンビアに勝って浮かれているが、ウンザリのさせられている:

勝ったのは大変結構だが、その後の浮かれ過ぎには多少ウンザリというか、食傷気味だ。私はハメス・ロドリゲスが先発メンバーから落ちていたのを見て「これなら勝てるかも知れない」と閃いて、実際にその通りとなった。コロンビアのアルゼンチン人の監督は何を考えたのか、後半にあのフリーキックを蹴ったキンテロという左利きを引っ込めてロドリゲスを出してきた。故障上がりだそうだった。あの起用は賭けだったのだろうが、私に言わせて貰えば自滅行為だった。助かった。

解説の岡田武史は直ちに「ハメス・ロドリゲスの動きが重いね」と一言。私はあの起用は監督の失態だと思っている。既に1人減らされている布陣に、故障上がりで碌な働きも出来ない者を出せば実質的に2人減らしたのと同じ状態に近くなってしまったのだから。ここまでは技術論であるが、私の小ウンザリは実は別のことだった。

多くのテレビ局のアナウンサーは「そう言え」と指示されているのか、無学でファーストネームトラストネームの区別がつかないのか知らないが「ハメス選手」と呼ぶのである。欧米と南米もそうだが、「ファーストネーム・ファースト」の文化であり、最初に出てくるのは名字ではなく名前である。だが、彼らマスコミ人も正常な英語の知識があると期待したい一般人も、余程学校でろくでもない教育を受けたようで、「ハメスさん」呼ばわりというか名字と名前の区別がつかないようで、平気でファーストネームで呼んでしまうのだ。情けないしウンザリである。

「ハメスさん」だの「ハメス選手」などと呼ぶのは、ニュースで「本日は晋三氏がドナルド大統領と電話会談をしました」というのと同じくらいにおかしなことなのだ。「真司選手がPKを決めました」と放送するか。私はこれまでに繰り返して「『マイケルさん』だの『ポールさん』だのと言うのを止めろ。その言い方では誰も特定しないのだ」と指摘してきた。だが、我が国の学校教育の英語では単語を覚えさせるし、TOEICに血道を上げていても、かかる文化の違いは教えていないらしいのだ。

アナウンサーかキャスターか知らないが、彼らは皆一流の大学から難関のアナウンサー試験を通って採用されてきた優秀な学業成績を引っ提げているのだろうと思う。それでも、何ら躊躇うことなく「ハメスさん」だの「フリップを出します」などと奇々怪々なカタカナ語を使うのか。シナリオにそう書かれていれば「これはおかしいですよ」と言うだけの見識もないらしいと思うと、小ウンザリなのだ。

私が12年間もお世話になったS放送のラジオの厳しいデイレクター氏は「うちはチャンとチャートと言わせているよ」と言われた。「フリップチャート」という言葉はあるが、ここでも最初に出ている言葉を使っているのかテレビ局のアホどもだ。これくらいの正常な英語の知識と見識があるデイレクターやプロデューサーはテレビ局にはいないのかと思うと、本当にウンザリである。