新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

近頃の名前に思うこと

2018-06-04 07:33:22 | コラム
名前が流行り物になってしまった時代:

昨日辺りから何処の局だか気にもしていなかったが、三浦翔平とかいう(役者なのだろうか)が桐谷何とかいう女優と結婚するのしないのと騒いでいた。何処かで聞いたことがある名前だと思えば、目下日本国内を主体にその活躍が持て囃され得ているMLBのエンジェルスの大谷翔平と同じ名前だった。どうやら三浦の方が年長のようだが、まさか大谷家では三浦某にあやかろうと思って翔平と命名した訳ではあるまい。

私はかなり以前から最近の命名の仕方が気に入らないと言ってきた。それは何もテレビに登場する役者かタレントの連中に限られて現象ではなく、高校からプロまでの運動選手たちの名前には何となく一定の原則があるように思えるから言うのだ。いや何も彼らだけではなく一般論としても名前には流行り廃りがあるようで、同じような名前が極めて多いのである。正直に言えば、良いことだとは考えていない。

そこに使われる漢字は後難を恐れて言うと、その昔には「丁稚小僧」か「車夫馬丁」に多く見られた名前に使われていたものだったと説もあるのだ。具体的にいえば「~太」、「~平」、「~助か介」という具合である。恐らく昭和一桁や二桁の世代では滅多見かけない名前だった。誤解なきように言っておくが、そういう名前が良いとか悪いとか言うのではなく、時代の流れが変わって、往年は使われなかった形の名前が増えてきたようだと感じているのだ。

私が特に流行していると痛感しているのが「翔」の字で、実に広範囲に使われていると思う。日本ハムの中田翔のように「翔」一文字の場合もあれば、西武の秋山翔吾のように「翔」の後に一文字継ぎ足す場合もある。それが「翔太」、「翔平」、「翔一」、「翔吾」等々となるようだ。勿論「翔」が後につく場合もあって、有名なボクサーに「井岡一翔(カズトと読ませる)」というのがいた。この辺りまで来ると、昭和一桁生まれの私には悲しいかな判読できない。

その他に目立つ漢字の使い方に「大」という字の多用がある。プロ野球界の著名人にMLBに行った田中将大がいる。当初は「大将」をひっくり返したのかと疑ったが、どうやらそうでないようで、「大」を「ヒロ」と読ませる名前は多いのだ。思うに色々な意味で「大きくなれ」という親御さんの願いが込められているのだろうと、善意に解釈している。そうであるかないのか「雄大」という名前が多い、悪気はなく言えば「名前負け」しそうな気がするのは何故だろう。

それだけではなく、所謂「キラキラネーム」は増加の一途を辿っており、私には判読に苦しめられる傾向は一向に収束しないようだ。他人の名前だからどうでも良いようなことではあるが、私にはかかる名前は我が国の国語教育の劣化のように思えてならない。漢字の正確な読み方や意味を全く無視して当て字のように使っていくことは極端に言えば「教養」乃至は「民度」の低下かと疑いたくなる時すらある。兎に角、重箱読みなどは全く意に介していないような傾向には悲しくなる時もある。

こういう批判をすれば「高齢者の戯言だ」と言われそうだが、それを覚悟で言っている。昔は(と敢えて言うが)その一族で必ず使う字もあったし、祖父母や両親の名前から一字貰う習慣もあった。また、その時代の有名人の名前に因んだ命名の仕方もあったと聞く。例えば誰にあやかったとは言わないが「晋太郎」などという命名の仕方もあったのだ。私にはそういう我が国の文化というか伝統が消え去っていく時代になったのかと思えてならない。