新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月14日 その3 日馬富士の件

2017-11-14 18:17:06 | コラム
取り下げる気はない:

貴乃花親方は既にを警察に「被害届」を提出済みだそうで、「取り下げる気はない」と語ったと、ANN(テレ朝系)では報じている。ましてや、怪我の中に「頭蓋底骨折」があると報じられているが、これは非常に深刻なことで、嘗ては施す手がないとまで言われた重傷だ。協会は何処かの国のように報道管制でも・・・と思いたくなってしまう一件だ。マスコミは「真実を知りたい」と思う方にはこの程度のことはチャンと伝えるべきだろう。モリとかカケにうつつを抜かしている暇があったら。

11月14日 その2 マスコミを非難する

2017-11-14 15:13:35 | コラム
Fake newsならまだしも本当のことを報じないのでは:

14日は各テレビ局が挙って「日馬富士が貴の岩をビール瓶で殴打して負傷させ、その責任を取ったのか休場した」という一件で、専門家という名の元アナウンサーなどを呼んでは色々と論じ始めた。正直に言って非常に上滑りな扱いで、私にとっては何もかも承知しているべきはずの連中が集まって、恰も知らんふりをして視聴者を愚弄しているのだとしか聞こえないのだ。

そう言うのには理由がある。それは、1950年代後半に高校で2期上だった頭脳明晰な方がNHKに就職され、運動部の記者となって相撲を担当されたことがあった。そのKKさんは後に記憶違いでなければ運動部長になられたが、若くして亡くなっていた。KKさんとは大学の往復の湘南電車の中で屡々お目にかかっていて、相撲界の実態などを面白おかしく聞かせて頂く機会があった。

丁度その頃には、相撲界は封建的だの、お茶屋制度が時代にそぐわぬ古さがあるとか、部屋が徒弟制度で古い等々の批判に曝されていた。元々、相撲に関心がなかった私にとってはどうでも良いような非難であり批判だったのだが、興味を持って聞いていた。だが、それらの何処が悪いのかなどはサッパリ解らなかった。

ところが、KKさんは「そのようなマスコミの論調は全く見当違いである」とすら、寧ろ揶揄するような口調で批判されたのだった。その根拠を伺うと「それは相撲界には長い歴史があり、その期間に彼ら独自の文化(言うまでもないが、ある集団なりグループ内の言語・風俗・習慣を言う)を築き上げており、且つまたその文化は一般社会のそれとは乃至は常識とは、全く異なっている点が多々ある。それを知ってか知らずか、マスコミや一般社会に住む人たちが自分たちの文化を基にして相撲界の出来事や歴史を云々することは見当違いも甚だしい」と言われた。

そう聞かされてみれば、相撲界で常識と思われているような事柄には、我々が住んでいる世界とは余りにも違い過ぎる点が多いと思うようになった。いや、他の競技に目を転じれば、未だに古い仕来りを守っているようだという点では、野球界も同じだろう。例えば、甲子園の野球では未だに試合開始の前後にサイレンを鳴らしているし、丸刈り頭でなければ許されないような野球部が数多く存在している。

多くの競技の協会には、その世界でしか人生を経験してこなかったようなアナログ世才に育ち、その基準でしか物事を考えたり判断できない偏った人たちが牛耳っていて、およそ非常識だとしか思えないような取り決めをしては、デイジタル時代に生まれ育った選手たちと世間を困惑させているではないか。

話が逸れてしまったが、私は60年以上も前にKKさんが指摘された程度のことを、現代の記者たちというかマスコミ人が知らないはずはないと思っている。それを恰も何ら情報を持っていないかの如き顔をして、宛て推量のようなことばかりを言っているのは笑止だと思う。相撲担当の記者は常に担当する部屋なり何なりに密着しているはずだ。それが「10月26日に発生した事件か事故を昨日まで知らなかった」というような顔で報じているのは、おふざけではないのかと思うのだ。

何とか言う日馬富士が所属する部屋が事実を隠そうとしていたとしても不思議ではないと思う。それが彼らの長い年月掛けて築いてきた文化なのだから。恐らく相撲担当アナウンサー(今や専門家という呼称に変わっている)の古手にしても、そういう異文化の世界の実態を知らないはずはないと思う。敢えて深読みすれば「彼らは協会なり何なりから、その種の批判的言動を禁じられているのか、報じないとでも言う黙約があるのだろう。

でも、この程度なら世間に対して大した害毒は流さない。何しろ、加計学園(何故岡山理大と言わないのだろう)の獣医学部が正式に認可されたと報じながら、「国会では正式な委員会を設けて実態は何だったかっを追及する」などと未だに嬉しそうに言う連中である。彼らは朝日新聞を始めとして加戸元愛媛県知事の発言を黙殺した fake news どころではない報道をして恥じない連中である。日馬富士の件などは何時までもアーでもない、こうでもないと言って楽しんでいれば良いのだ。


カタカナと英語を考える

2017-11-14 12:07:21 | コラム
英語擬きが多いが本当の英語もある:

日頃カタカナ語を排斥しているのだが、今回は英語も交えて考えてみようと思う。例によって、思いつくままに並べていく。

アンケート
解説)これは言うまでもなく「アンケート」のこと。だが、これの基になっているのはフランス語で enquete という言葉である。英語は questionnaire である。このように我が国のカタカナ語には時々フランスやドイツの言葉が混ざっている。テーマパークの「テーマ」などはドイツ語で thema である。私の命を救って頂けた「カテーテル」はドイツ語で Katheter と書くが、英語では catheter でどう考えても「キャセター」という発音だろう。

そこで、questionnaire を英和辞書で見ると「アンケート、アンケート用紙、質問票」と出てくる。それでは我がカタカナ語でいう「世論調査」は何というかと和英辞典を見れば an opinion poll などという聞き慣れない表現が出てきた。それでは「調査」は何となるかというと enquire か inquire と出てくる。ここまで来て漸くフランス語の enquete に近い言葉出てきた。

私は不思議だと思っていることは、現在ほど何かと言えば「英語」だ「英語」だと騒ぎ立てるのに、何でここではフランス語なのかということ。考えてみれば、英語の questionnaire の綴りがや発音がやや難しいので、フランス語に飛びついたのかなと推理した。もっと言えば、何故簡単に「調査をする」と言わないのも不思議だ。カタカナ語にすれば何か崇高なものにでもなるとでも考えているのか。

オーダーメイド(オーダーメード)
解説)この言葉は既に採り上げたことがある。だが、あらためて論じてみよう。英語は custom made か tailor made だろう。だが、オーダーメイドは如何にも注文して作らせたという語感に溢れているから、カタカナ語製造担当者が採用したのだろう。英語には made to order で「お誂え」というのがあった。思うに先人は custom made という言葉は理解されにくいとでも判断され、誰にでも解りそうな「オーダーメイド」を採用されたのだろうか。

因みに、tailor made は「特別な要望に合わせた」であるとか、「・・・にあわせた」とか「最適の」という意味がある。確か、ゴルフ用品に Tailor made というブランドがあった。このブランドには既製品がないと意味かな?

駐車禁止区域:
解説)アメリカにはこのような警告文が地面というか道路上に表示されている。英語では tow-away zone となっている。即ち、そこに駐車するとレッカーするよ」という意味だ。ここにで来る tow は「船、車などを綱か鎖で引っ張る;駐車違反などの車をレッカー車で移動する」とある。

そもそも、カタカナ語になっている「レッカー車」なる言葉も面白いのだ。wreck という言葉は「破壊、または壊す」という意味なので、自動車事故を car wreck と表現することが多い。現に私自身が1985年10月に貰い事故となった時には car wreck と言っていた。では「レッカー車」は誤りかと思えば、Oxfordには wrecker とは北アメリカ英語として a vehicle used for moving other vehicles that have been damaged in an accident とあるから、正しいのである。ではあっても「壊す車」というのは「何でそうなるのかな」と思わせてくれる。

破棄する:
解説)何とプログレッシブ和英辞典では「破棄する」を引くと最初に destroy が出てくる。そこで、ジーニアス英和で destroy を見ると「人、物、事が建物などを破壊する、打ち壊す」と出てくる。かなり見解に相違があるようだ。では、実際にアメリカではどのような使われ方をするかの経験を語った置こう。

性悪説を信奉するアメリカのホテルでは「無銭宿泊」というか「泊まり逃げ」防止策で、チェックインの際にクレデイットカードの提示を求めてカード払い用の伝票にその番号を打ち込んでしまうのが普通のことである。私も勿論コーポレートカードを持たされるまではその文化に従っていて、チェックアウトの際に旅行者小切手(トラベラーズチェック)で支払うようにしていた。

そして必ず会計係に告げたことが「私のクレデイットカードの番号が打ち込んである帳票を出して、目の前で破いてくれ」と要求していた。確か「破る」を tear 即ち、「引き裂く」と言ったと思う。ところが係の確認は Yes, here it is. I will destroy it. だったのだ。destroy とは大袈裟な言葉を使うものだなと思ったが、さして気に求めなかった。だが、後になって調べ見ると「あれは破棄する行為であり、destroy で良いのだ」と判明した。何処で勉強が出来るかなどは解らないないものだという教訓だった。