新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月2日 その3 古き良き友人と懇談

2017-11-02 17:22:27 | コラム
>日比谷のアラスカにて:

本日は幼稚園に入る前の頃から(即ち、戦前で昭和20年4月の空襲で自宅を焼失する遙か前から)の友人(正確には隣人)で、某通信社外信部のOBである有名私大の講師もしておられた方と2時間半も昼食を挟んで懇談していた。内容の公開はさて措いて、彼も「トランプ大統領の支持層は揺るがず固い。既にトランプ大統領は2期目の準備を開始していると聞いているし、それは驚きではない」と指摘された。

私から主に語ったことは案外に外信部の方でもそ存じないことが多い「アメリカの大手製造会社と我が国の企業との文化(英語ではcultureで、ある集団なりグループの言語・風俗・習慣に加えて如何ともしがたいあめりかとの思考体系の相違点を意味する。文明=civilizationではない)」を長い間の経験に基づいて解説したのだった。

トランプ大統領について私とも同意された点は「如何にもTwitterでの言葉遣いなどは粗暴なようだが、インフラへの投資政策による雇用(=jobと言っているものの創造、財源が何処にあるのかな)、移民問題への対応、メキシコ国境の壁等は明らかに支持層の人気を保証するようだ」と言葉少なく語っておられた。彼の下には意外にも反トランプのインテリ層の批判の生の声が伝わっていないかのように聞こえた。私は率直にこの辺りに特派員の方がたの限界がありはしないかと、アメリカを内側から見てきた者として、後難を少し恐れて発言してみた。

現在の私の体調では2時間半の語り合いは多少負担だったが、旧交を温めて非常に楽しい時間となった。個人的には、テレビに登場する多くのマスコミOBの有名人の忌憚なき批評などが聞けて大変興味深いものがあった。彼は私よりも2歳年上の方だが、未だ未だ頭脳明晰で談論風発だった。年内か正月には再会しましょうと約束して別れた。

11月2日 その2 「私のアメリカ」改訂版

2017-11-02 09:35:04 | コラム
アメリカを経験から分析すると:

これは昨年掲載したものを手直ししたものです。宜しくご一読のほどを。

アメリカは私が最も好きな国:

勿論、「我が国を除いて」でありますが。私はリタイヤー後も含めて考えれば世界で僅か?20ヶ国を歩き回ったに過ぎないがその中でもアメリカは仕事上の必要もあり、1972年から昨年までに正確に数えてはいませんが、60回以上往復していたと思うのです。素晴らしい国だと信じております。それは確かに好き嫌いを超えた次元のことです。好きだからこそアラが見えて批判したと思っています。

正直に回顧すれば、これまでアメリカを褒めた記憶がありません。しかし、今でもアメリカは世界中で好きな国の中で断然最上位にあり、その機会が訪れれば昨年で切れてしまったパスポートを更新しても是非これから残り少ない人生の中で何度でも行きたい、行って昔からの上司・同僚・友人知己たちに会って何でも良いから語り合い、好きだったシアトルや、シカゴやカリフォルニア州や、ニューヨーク等を歩き回りたいと心から望んでいます。

1972年8月に生まれ始めてアメリカに渡った時には「これほど素晴らしい国であれば永住しても良いか」と思ってしまいましたが、時間が経つにつれてアメリカという国が抱える問題点があからさまに見えてきて永住は願い下げではあるものの、その素晴らしさに対する認識は深まっていったのも事実です。だがもし、私に問題ありとすれば「その良さ」に恐らく一度も言及してこなかったことでしょうとの反省はあります。だが、素晴らしさの解説は多くの有識者や評論家やマスコミにお任せすれば十分だと考えていたのもまた確かなことでしょうか。

しかしながら、これまで数え切れない程アメリカを私が知る限りの面と点から批判し続けてきました。それは何度も繰り返し論じてきた日米相互間の理解と認識度の低さと文化の違いを知らない他に、繰り返し生じてきたあらゆる摩擦と誤解が余りにも情けなく、私が書くものをお読み頂く方々に少しでも日米間の違いを認識して可能な限りに正確に(私の見方によるとでも言うか)アメリカを知って貰いたいと純粋に願っているからなのです。尤も、私のアメリカ批判は「アメリカの実態を正確に伝えていないマスコミ」に対する批判でもあるとは自覚しています。

先ずはTPPから:
私はマスコミ報道を信じたと言うべきかどうか、アメリカ乃至はオバマ政権はTPPを「関税を聖域なく撤廃し完全な自由貿易として、不振のアメリカ経済を輸出で建て直す為に推進する」と理解していたのです。アメリカは基本的に輸出国ではないと経験上イヤと言う程知らしめられていたので、批判しました。その後にと言うか、その自由貿易推進が何時の間にか知財であるとライセンシング等に重点を置く方向に変わったと認識しています。

私は基本的に「TPPはオバマ大統領がアメリカの輸出が振るわないかを完全に認識しておられなかった為にTPPへの加盟を考え出したのは、不適切だ」と思っています。即ち、輸出国ではなく、国内需要に依存しているアメリカが他の太平洋沿岸の諸国と条約を結んだだけで、相手国が「そうでしたが、輸出ですか。ではお付き合いを」と言って貿易を拡大する訳がないと思うのです。もっとよりよく自国の弱点を知っていて欲しいと考えました。

しかし、この問題も共和・民主両党の大統領候補者が掲げる政策から見れば、アメリカは脱退の方向にあるようで、私の批判は無駄球だったことに終わるかも知れません。ここで、私は敢えてもう一度カーラ・ヒルズ元通商代表部大使が言われた「対日輸出を増やそうと思えば識字率を上げて初等教育を徹底する必要がある」という根本的な問題の所在を挙げて、何故アメリカの製品の質には国際的競争力に乏しいかの説明にします。

アメリカの農業:
私がアメリカに初めて出張した1972年7月に、オハイオ州の畑の中を1時間ほど走って解ったことは「アメリカでは農業は機械化された産業で、我が国は家内産業だった」ということ。長年アメリカの会社で働いて認識出来たことは「たとえ、優れた機械を使って近代化されても、アメリカの労働力の質では我が国のような優れた均質の労働力を持つ国には勝てる訳がない」という無残な事実を知れば「農業だって同じでは?」とは思うのですが、知らない分野のことに口出しする勇気はありません。

アメリカ産米の輸出への疑問:何度か提示した疑問は「アメリカのカリフォルニア米が幾ら近代化された設備で作られていても、国内での需要を捨ててまで、国内市場よりも高く売れるとの保証がない我が国に向けて輸出するでしょうか」です。アメリカのビジネスでは輸出は原則として「国内市場よりも高く売れるから出荷する」となっています。故に、私が抱く疑問は「アメリカの農家が敢えて国内向けよりも安くして日本に輸出するのか」です。以前調べたアメリカの国内価格は決して日本の価格より安くはありませんでした。そこから更に引き下げて国内の需要と利益を捨ててまでに日本に売るのかということ。JAなり農林族なりはこの程度の調査は出来ていると思うのですが。

私はアメリカで我が国の米よりも質が高く尚且つ安価な米を作っているとは思えないのです。あの大雑把な労働力の質で我が国の農業に勝つとは思えません。TPPでアメリカが我が国の農業を滅ぼすというのは、買いかぶりか被害妄想ではありませんか。また紙の例を挙げますと、アメリカ製の紙の質は我が国産紙には遠く及ばない程度でした。例を挙げろと言われればいくらでもあります。我がW社の我が事業部は品質改善の指導を我が国の某大手製紙会社に何度も受けた事実があります。事労働力の質と製品の品質を考える時、自動車産業ではアメリカの劣勢は明らかではなかったかと思いますが。

アメリカの製造業の問題点:
最大の欠陥は敢えて極端な表現を用いれば「自分たちの基準でしか物事が考えられず、自分たちの設備を最大限に有効活用して、自分たちの都合を優先したスペックの範囲で出来る物しか造る気も無ければ技術もなく、客先の需要(カタカナ語ではニーズ)に合わせて受注生産する気がないのは普通です。即ち、古き良き言葉で『少品種大量生産』でコストを下げて、多少の品質のバラツキや製造ロスには目をつぶって消費者に買わせる」のが彼らの製造の哲学です。スペックも自社の設備が最大限の効率を上げるように設計され、実需が何を要求するかに対する考慮は最低限です。私はこのようなアメリカの製造業界の哲学を“producer’s market”と呼びました。即ち、良く言われる「バイヤーズマーケット」でも「セラーズマーケット」でもないのです。何分にも"America is the greatest!"ですから。

アメリカ国内の市場と需要者は少しくらい好い加減な製品でも目をつぶって、それこそ"America is the greatest!"と信じ込んでいるから嬉々として買います。そんな甘い市場に世界最高の品質を誇る日本 製品が入っていけば、勝てるのは当たり前でした。自動車然りでしょう。反対に我が国の市場にはアメリカの高度工業製品は定着しにくかったのだと思います、ボーイングを除けば。1980年代に入ってからだったか「何故日本に出来てアメリカの出来ないのか」というNBCの番組が大当たりしました。そのアメリカの製造業の先端にあって20年以上も対日輸出をしていた私が言うのです。アメリカの自己過信と世界知らずが、現在の凋落をもたらしたと思っています。

アメリカのどの層と接触か交流するのか:
アメリカは「どの層を、どの地方を、誰を見るか」で大きく変わります。繰り返して言ってきたことですが「私はアフリカ系アメリカ人と膝つき合わせて語り合う機会はついぞありませんでした。工場には事務系にヒスパニックが何名かいたので、仕事上で話し合ったことはありましたが。そういう社会の構造があるのです。私が知り得たアメリカは、仏文学のTK博士に言わせれば「支配階層だった」ことのようでした。故に、私が唱えるアメリカ論に異論を唱える人が数多く出てこられるのも解ります。思うに、それは私が接触出来なかった階級乃至はアメリカ社会の下位にある層とお付き合いがあった方なのだと思います。アメリカの多様性は、我が国のようにバラツキが少ない国にいては到底感じ得ないでしょう。

だから、私は「群もう象を撫でるが如し」だと言うのです。耳を捕まえて「扇のようだ」と思う人もいれば、鼻を捉えて「ホースのようだ」と捉える者がいて、足を触って「太い柱だ」というようなことでしょう。だからこそ、私は敢えてTK博士の言を引用したのです。W社の事業部長級の者たちは2~3名の子弟を年間の学費が500万円(2017年の今日では600万を超えていますし、我が国では広くい知られたUCLAはカリフォルニア州の財政破綻の為に私立と同様の経営になり、ビジネススクールの学費は有名私立大学並みに引き上げられたと聞きました)を超える東部のIvy Leagueや西海岸ではStanfordのような私立大学に悠々と進学させられる資産家というか高給取りです。即ち、支配階層の者たちが運営する会社です。

結論:
結論論めいたこととして最後に申し上げたいのは、たとえ私が支配階層にいる者たちの考え方や会社運営方針や思想しか知り得なかったとしても、私が唱える「日米企業社会の文化の違い論」を聞いて頂きたいのです。我が国の政財界の方々が付き合われるのは、私が言う支配階層の者たちであって、それ以外の層ではあり得ないのですから。同時に、一般の方がアメリカに渡られたとしても、かの国を支配するごく少数(精々5%程度)の階層の人たちに会えて腹蔵なき意見の交換が出来る機会などは先ずあり得ないと思う方が正確だと危惧します。親友のYM氏は「もしも会えても、彼らと対等に深き議論を交わすだけの英語が出来る歩とがどれほどいるのか」と言いました。

マスコミの方々がそういう人たちを取材出来る機会もまた極めて希ではないのかと思うのですが。率直言えば、そういう機会を得る為と、また仮にアメリカの支配階級で悪ければ所謂アッパーミドル乃至はそれ以上の人たちに会えたとしても、彼らと語り合う為に必要な英語力と『日米間の文化と思考体系の歴然たる違いを把握していなければ、所期の効果も上がらないだけで済めば良い方で、相互に浅薄な認識か誤解を生じただけに終わるでしょう。

1990年代にオバマ大統領の経済諮問機関の委員の方の日本経済についての講演を聴く機会がありました。その講演会に誘って下さった某北欧系の外資の副社長さん(日本人です)と一致した意見は「この程度の皮相的な日本の認識の人が政権の内部にいるとはとは」という嘆きと失望でした。因みに「皮相的」は skin deep で通用するでしょう。




DeNAだって勝てるのだ

2017-11-02 09:00:06 | コラム
持っていた力も出たDeNA:

始めに断って置くが「断じて実力が出た」のではない。本当に実力がソフトバンクより上だったならば、もっと早くから出ていたはずだ。1~3回戦まではソフトバンクがDeNAが持っていたはずの力を出させなかった野球をやっただけのことだと私は見ていた。マスコミが好む俗説に、負けた方にさも同情したような表現で「実力を発揮できずに」があるが、とんでもない fake だ。「なかった力などはそもそも出てくる訳はないのだ」から、この手のお為ごかし報道に迷わされてはならない。

それではソフトバンクとDeNAでは何れが実力が上かと問われれば、率直に言えば「古くから『実力のパシフィックリーグ』と言われた方で確か10数ゲームも2位を引き離して優勝した球団と、劣勢とされたセントラルリーグで3位だった球団とを比べろ」とお尋ねと同じことではないのか。

私は1日の夜の試合はDeNAが持つ優れた面が全て出た試合で、残された課題は「この調子を後何試合維持できるのか」にかかっていると思う。予告先発がなくなったシリースなので、私如きには予想は難しいが、DeNAにはこれという投手が思い浮かばないが、ソフトバンクにはバンデンハークが残されていると思う程度。でも、判官贔屓でDeNAにもう少し勝たせてやりたい気もする。

さて、昨夜の試合である。早朝に受けたブロック注射と午後からのプラセンタエキス注射で勇気と気力を取り戻していたので、時々Prime Newsを見た程度で野球を楽しんでいた。ソフトバンクの敗因は36歳でMLBでは怪我あったにもせよ、不適格で帰って来た和田を良く投げていたとは言っても、気張り過ぎていたことを挙げたい。力一杯だったので5回に宮崎に打たれたところまでが限界で、私は「替え時だ」と叫んでいた。

次は敗因でもあり、DeNAの勝因でもあったこと。それは柳田を8回の内野安打と記録された当たり損ないのゴロ(英語は「グラウンド・ボール」である)だけに抑え、当方が「打たれる方が悪い」と酷評するデスパイネ四球だけで打たせなかったこと。浜口の攻め方はチャンと彼奴の欠陥を突いていたと見た。何故、これまでの3試合では出来なかったのかな。

柳田を始めとしてソフトバンクの打者たちは振り回しすぎに見えた。DeNAの投手たちはカモと見たのか、あるいは「楽勝出来る」との安心感があったのかの何れか。但し、DeNAにはヒットの無駄打ちが多い。12本も打って6点だったし、流れの中での打点(RBI)が3点だったのでは、ホームランしか点が取れていないと思わせて不安である。

DeNAの勝因というかMVPは、怖めず臆せず変化球を使って逃げずに投げ続けた新人で(「ルーキー」は奇妙なカタカナ語で、rookie を何でそう読むのか。辞書を見よ。「ルキー」となっている)22歳の浜口遥大である。この新人はシーズン中に何度か見る機会があったが、怖いもの知らずであったにもせよ真っ向から勝負していく気迫と勢いのある投手である。ソフトバンクはその浜口に圧されたのか、スカウテイング不足の何れか乃至は両方だっただろう。

二番手の功労者が捕手の高城。あれだけ打てれば文句もないし、浜口に「高城さんに良いリードをして貰いました」と言わせた。面白いことに、MLBではダルビッシュが語っていたが「アメリカでは気の毒なほど捕手のリードが云々されることはない」のだそうだ。私は「何が何でも自分が」との自己主張が当然の国であれば「捕手を褒めては自分の credit が消える」とでも考えるのだろうと思う。Credit は「名声、評判、信望、評定、手柄、功績」などとジーニアス英和にあるが、ビジネスの世界では「評定」と「功績」は昇進と昇給に繋がる重大な項目である。

DeNAの野球は未だもろさと粗さが目立った。しかも、筒香君はアウトサイドの低めに対してはファウルボールに打っていく考えも技量もないことがバレバレだったようで、ソフトバンクは和田を始めとしてその欠点をイヤというほど攻め続けた。その為かどうか振り遅れとボールの空振りが目立った。宮崎はホームランを打った時は見事な回転で大振りだったが、8回のRBIの安打などは綺麗な右打ちで流石と思わせた。宮崎は兎も角、ソフトバンクの投手が筒香が打てるような投球をしてくるか否かと、DeNAではどの投手が出てくるかが勝敗の分かれ目になりそうだ。

ラミレス監督の真価が如何に発揮されるかも勝敗の鍵を握るだろう。私は正直なところ、バントがお好みではないことは解るが、外野手出身の為か投手起用には「斬新」と「???」(=引っ張りすぎ)の両方が見えるので、どれほど評価すべきがが解らないのだ。