まるで知らない街の如きだった横浜:
横浜は29年前まで住んでいた藤沢からは近く、愚息どもが横浜市内の高校に通学していたし、亡母が横浜の女学校出身だったこともあって、屡々訪れていたよく知っているはずの街だった。昨日は日本の会社時代の同僚O氏に誘われて横浜駅東口のスカイビルで昼食の後に水上バスで山下公園に向かい、色々な意味で懐かしいニューグランドホテルのコーヒーショップで語り合ってきた。合計4時間も話し続けていた。快感である。
だが、その前に東急東横線の横浜駅で降りて、地上に出ればそこは広場のようで自分が何処にいるかも解らずに、先ずはスカイビルを探すのにうろうろするだけだった。数年前に湘南の級友と待ち合わせたそごうデパートを何とか視界に入れて恐らくその向こうにあると思うスカイビルに向かったのだった。
これは浦島太郎状態と形容するよりも、未知の世界に彷徨い込んだと言った方が正確だろうと思うほど地理が解らなかった。言うなれば「温故知新」の旅だったようだ。兎に角何とかスカイビルの28階に到達して、昔の同僚に出会うことが出来た。
スカイビルから見る横浜駅の東西の景色は全くと言って良いほど29年前の横浜とは違っていた。嘗ては何もなかった東口前も正月の箱根駅伝の中継で映し出される風景とも違っていて、言うなれば「今昔の感」を味合わされた。「三日見ぬ間の桜かな」とは言うが、「29年見ぬ間の横浜駅周辺かな」だった。ここ数年前に久し振りに訪れた成城学園駅の変容に驚き、山手線大崎駅で降りて恥を忍んでニューオータニへの道を駅員に尋ねたのと同じような感覚だった。
そう言えば、メトロの副都心線から東横線で横浜まで行ったのも初めての経験で、その沿線でもいくつかの駅が地下に潜ったのか、建物の中に入ったのか、到着すると暗くなってしまうのも、言わば斬新な驚きだった。この線の沿線にもあまりにも住宅と高層アパートが増えた気がするが、帰りに中華街を5時頃に出発した電車は意外にも通勤時間帯の割には混雑しなかった。
O氏の計画ではスカイビルから眺望を楽しむ昼食後に海上バスで山下公園に向かうことだったので、楽しみにして乗船してみた。横浜港を船の中から見たのも初めてだったし、この手のバスに乗ったも30年振りくらいだったかも知れない。みなとみらい地区などはテレビでしか見たことがなかったが、海上から眺めるのもまた一興だったし、海上保安庁の船などは実物を初めて眺めていささか興奮していた。
また、大型のクルーザーが停泊する大桟橋などは見たのも初めてで、小型のクルーザーが1隻停泊していたのを見られたのも有り難いことだった。約25分ほどで氷川丸の横の桟橋に着くのだが、この船も直ぐ近くで下から眺めれば結構な大きさだと知った次第だった。山下公園から中華街にかけては数年間に来たことがあるが、あまりにも景色が変わっていて往年の土地勘を失っていたことを痛感したものだったが、昨日も初めて落ち着いて増築されていたニューグランドホテルを新館(なのか?)を眺めたのだった。
ニューグランドに内部の古めかしさが私には風格を感じさせてくれるのだが、我が国では段々にこういう歴史を感じさせる建物が改築乃至は取り壊されていくのは、非常に勿体ない気がしてならないのは、私が年をとったことかと思わずにはいられない。以前に、日本の会社時代に馴染み深かった有楽町の三信ビルが取り壊されると聞いた時には「あの風格がある建物は残して欲しい」とあのビル内の会社にいた級友と語り合ったのだった。
昨日は百人町から明治通りまで15分ほど歩いて明治通りの地下にある副都心線の東新宿から横浜まで乗ったのだが、東武と西武が乗り入れているこの線は何かと言えば遅れるし、急行と各駅停車が入り乱れてくるので、どの電車に乗れば目的地に連れて行ってくれるのかと、何度乗っても不安である。帰路は渋谷から先は急行という難しい電車に乗ってしまった為に、東新宿で降りるには新宿三丁目で各駅停車に乗り換えを強いられなど大いに不便だった。
昨年末に愚息と横浜スタジアムに大学フットボールの試合を観戦に行った際には、土曜日だったせいもあって中華街のまるで通勤時間のラッシュアワーのような混雑に恐れをなしてそこを通り抜けるのを諦めたのだった。30年前にあれほど慣れ親しんだ横浜が、別のと言うか知らない街になっていたのは喜んで上げるべきか、悲しむべきかが判然とない半日だった。だが、それはさておきO氏には素直に感謝している次第である。
横浜は29年前まで住んでいた藤沢からは近く、愚息どもが横浜市内の高校に通学していたし、亡母が横浜の女学校出身だったこともあって、屡々訪れていたよく知っているはずの街だった。昨日は日本の会社時代の同僚O氏に誘われて横浜駅東口のスカイビルで昼食の後に水上バスで山下公園に向かい、色々な意味で懐かしいニューグランドホテルのコーヒーショップで語り合ってきた。合計4時間も話し続けていた。快感である。
だが、その前に東急東横線の横浜駅で降りて、地上に出ればそこは広場のようで自分が何処にいるかも解らずに、先ずはスカイビルを探すのにうろうろするだけだった。数年前に湘南の級友と待ち合わせたそごうデパートを何とか視界に入れて恐らくその向こうにあると思うスカイビルに向かったのだった。
これは浦島太郎状態と形容するよりも、未知の世界に彷徨い込んだと言った方が正確だろうと思うほど地理が解らなかった。言うなれば「温故知新」の旅だったようだ。兎に角何とかスカイビルの28階に到達して、昔の同僚に出会うことが出来た。
スカイビルから見る横浜駅の東西の景色は全くと言って良いほど29年前の横浜とは違っていた。嘗ては何もなかった東口前も正月の箱根駅伝の中継で映し出される風景とも違っていて、言うなれば「今昔の感」を味合わされた。「三日見ぬ間の桜かな」とは言うが、「29年見ぬ間の横浜駅周辺かな」だった。ここ数年前に久し振りに訪れた成城学園駅の変容に驚き、山手線大崎駅で降りて恥を忍んでニューオータニへの道を駅員に尋ねたのと同じような感覚だった。
そう言えば、メトロの副都心線から東横線で横浜まで行ったのも初めての経験で、その沿線でもいくつかの駅が地下に潜ったのか、建物の中に入ったのか、到着すると暗くなってしまうのも、言わば斬新な驚きだった。この線の沿線にもあまりにも住宅と高層アパートが増えた気がするが、帰りに中華街を5時頃に出発した電車は意外にも通勤時間帯の割には混雑しなかった。
O氏の計画ではスカイビルから眺望を楽しむ昼食後に海上バスで山下公園に向かうことだったので、楽しみにして乗船してみた。横浜港を船の中から見たのも初めてだったし、この手のバスに乗ったも30年振りくらいだったかも知れない。みなとみらい地区などはテレビでしか見たことがなかったが、海上から眺めるのもまた一興だったし、海上保安庁の船などは実物を初めて眺めていささか興奮していた。
また、大型のクルーザーが停泊する大桟橋などは見たのも初めてで、小型のクルーザーが1隻停泊していたのを見られたのも有り難いことだった。約25分ほどで氷川丸の横の桟橋に着くのだが、この船も直ぐ近くで下から眺めれば結構な大きさだと知った次第だった。山下公園から中華街にかけては数年間に来たことがあるが、あまりにも景色が変わっていて往年の土地勘を失っていたことを痛感したものだったが、昨日も初めて落ち着いて増築されていたニューグランドホテルを新館(なのか?)を眺めたのだった。
ニューグランドに内部の古めかしさが私には風格を感じさせてくれるのだが、我が国では段々にこういう歴史を感じさせる建物が改築乃至は取り壊されていくのは、非常に勿体ない気がしてならないのは、私が年をとったことかと思わずにはいられない。以前に、日本の会社時代に馴染み深かった有楽町の三信ビルが取り壊されると聞いた時には「あの風格がある建物は残して欲しい」とあのビル内の会社にいた級友と語り合ったのだった。
昨日は百人町から明治通りまで15分ほど歩いて明治通りの地下にある副都心線の東新宿から横浜まで乗ったのだが、東武と西武が乗り入れているこの線は何かと言えば遅れるし、急行と各駅停車が入り乱れてくるので、どの電車に乗れば目的地に連れて行ってくれるのかと、何度乗っても不安である。帰路は渋谷から先は急行という難しい電車に乗ってしまった為に、東新宿で降りるには新宿三丁目で各駅停車に乗り換えを強いられなど大いに不便だった。
昨年末に愚息と横浜スタジアムに大学フットボールの試合を観戦に行った際には、土曜日だったせいもあって中華街のまるで通勤時間のラッシュアワーのような混雑に恐れをなしてそこを通り抜けるのを諦めたのだった。30年前にあれほど慣れ親しんだ横浜が、別のと言うか知らない街になっていたのは喜んで上げるべきか、悲しむべきかが判然とない半日だった。だが、それはさておきO氏には素直に感謝している次第である。