新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私のアメリカ論

2017-04-30 10:54:42 | コラム
内側から見たアメリカ論:

私は終戦直後の中学1年生の頃からアメリカと色々な形で接触したし、英語にも慣れ親しんでいたし、GHQの中にも入った経験があった。決してそれが原因ということではなかったが、1972年8月の39歳の時に全く思いがけない偶然の積み重ねでアメリカの大手紙パルプメーカーの1社だったMead Corp.に転身することになって、アメリカ本体と接触するというよりも、アメリカの内側で過ごすようになった。

昭和29年の現在でいう就活の頃には間違ってもアメリカの会社だけには行くまいと固く心に誓っていた。それは、英語が解る為でもあったが、その頃に日本人がアメリカの会社でどのように扱われていたか、如何なる地位にあったかを知り得た為でもあった。それだけではない、英語を使って仕事をする負担の大きさが解っている気になっていたので、敬遠したのでもあった。それだけではなかったことがあったが、それは「戦争に負けた相手の会社に雇われるのは潔くない」といったような感情もあった。

上記のように1972年8月に初めてアメリカにトレーニングと称する出張をして、25日間滞在してきた。そして、ジョージア州、アラバマ州、オハイオ州、ニューヨーク州、コネティカット州、マサチューセッツ州とMead Corp.の本社、多くの製紙と加工工場を回ってきた。その25日間に感心したことが当時の我が国とアメリカとの多く面での差だった。

アメリカの長い年月かけて培ってきた先進的な技術と壮大な規模に圧倒された。それは何らの先入観念なくして入っていったこともあるが、余りの物質的な違いに驚かされた。幹部の自宅にも招待されて打ちのめされたように感じたのが、物質文明の高さというか生活水準の高さと豊かさに圧倒された。それだけではない、幹部級の人たちの知的水準の高さも印象的だった。

この辺りを当時の我が国におけるMeadの代表者でアメリカに留学の経験があったHM氏(今や故人である)は「我が国は漸くそういう物があれば良いなと思う製品が金さえ出せば手に入るところまで来た。だが、アメリカにはそういう物は既に多くの家庭でずっと以前から備えられているのだ。この辺りが日米間の経済的格差だ」と言って私を諭されたのだった。

アメリカの第一印象というか、数日間滞在してMead社の先進的な設備とニューヨーク等の市街を見た後の正直な感想は「こんな国と良くも戦争をしたものだ」だと痛感したことだった。また、オハイオ州内を1時間ほど車で走って知り得たのが「農業は十分に機械化された産業であり、我が国のような家内産業ではない」ということだった。土地が広いということが機械化と規模の違いをもたらしていると認識した。

紙パルプ産業界についてはMeadの工場の設備の規模にも驚かされたが、営業担当者が営業活動用に持ち歩いている大きなファイルホールダーとその行き届いた内容にも驚かされた。車社会だからこそ持ち歩ける大きさと重さなのだが、価格表は当然だが、在庫表から品種事の生産予定まで完備しているのだ。

余り言いたくはないが、あの頃Meadで見た大型の設備や1975年に入ってから見たWeyerhaeuserの凄いと感心した設備も、今となっては中国、インドネシア、韓国等の新興勢力が導入した製造設備と比べれば時代遅れであり、生産能力も何も小規模すぎるし、速度も遅すぎて、極端な表現をすれば「博物館にでも飾っておけ」と言いたいような物になってしまった。

アメリカでは我が国のようにアメリカが後に「複雑過ぎる」と非難された流通機構を通じて販売せず、メーカーの直販の形式であるから、その場で見せられるような価格表を持ち歩いているのも新鮮な驚きだった。言うなれば、営業活動がシステム化されていたのだ。

1975年3月には縁あってアメリカの業界で常に1位の座をInternational Paperと争っていたWeyerhaeuserに転じて、何に驚かされたかを述べておきたい。それはWTCと呼ばれていた各階が所謂「ワンフロア式」の中央研究所内に入って、当然聞こえそうなタイプライターを打つ音も、人の声も全く聞こえた来なかった。

それは天井に超音波を流してあるので、下から上がる音が全てそこに吸収されてしまうからだと説明された。即ち、研究員たちが雑音に妨げられずに没頭出来るようにしてあると説明された。また、研究員たちはレポートや論文を電話に向かって語れば、それを聞きながらタイプアウトしてくれる部署があるのだそうで、その時点では「何れヴォイス・インプット方式を導入する予定」とも聞かされた。

本社のビル内ではアメリカ全土にある営業所と工場を全て内線電話で結ぶようなシステムがあって、言うなれば本社に大きな交換機があって、それを使えば社内のみならず、アメリカ内の何処の都市に電話をしても、市内の公衆電話からかけているのと同じコストで済むようにネットウワークが構築されていたのだった。これには多額の初期投資が必要だったが、カタカナ語にいう「ランニングコスト」(オペレーティングコストの誤り)は低額になると教えられた。

後年、スエーデンが誇る多国籍企業の日本法人である日本テトラパックの大論客のHK副社長(日本人である、念の為)が我が本社を訪問され副社長以下と懇談した後で、一旦私とホテルに戻る車中でしみじみと言われたことが「アメリカに来てW社本社の壮麗な社屋に入って実感したことは、アメリカ人というか御社の皆の物の考え方の規模の大きさがどこから来ているかが良く解った点だった。人口が800万のスエーデンと違いがこれだと思い知った。だが、一言もの申せるとしたら、その違いの大きな要素は『土地が広いこと』に負うのではではないのか」だった。言い得て妙であると思った。

ここまで述べてきたように、確かにアメリカは多くの面で世界の最先端を走り続けてきたが、近年はどうやら走り続け疲れが出たのかトランプ大統領が選挙キャンペーン中に標榜した”Make America great again”が示すように、「現在は”great”ではない」のである。それを何としても再生されようとする試みは決して否定される物ではないと思う。だが、トランプ大統領が打ち出された政策には既に繰り返し批判したように受け入れがたい例が多すぎるのが難点だ。

私は長年内側から見てきたアメリカを褒めることは希である。それは褒め称えることは高名なエコノミストだのジャーナリストにお任せしたいからだ。私は上述のようにその持てる力というか秘めたる可能性を十分に認識しているつもりだ。だが、それを言うことは何故か避けてきたことに、企業社会では中間層にはどうにもならない者が多いと言えるが、上に立つ者や研究者には「とても敵わない」と抵抗する意欲を失わせてくれるような極端に優れた人たちが数多くいるのは確かだ。

そのような連中が良い方向にアメリカを牽引している限りアメリカも世界も安泰だろうと信じてきた。だが、トランプ大統領の方針のように斬新ではある色々な面で波紋を巻き起こすようなやり方が、どれほど速やかに平和裏に再びアメリカを偉大な国に仕上げるかは英語で言えば矢張り、”remains to be seen”だと思うのだ。